両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 事実・真実・普通・常識

 ヘラブナ釣りをしていますとコレが常識なる表現が出てきます。例えば私のような底釣りをしているものにとっては、底で食わせるのが常識となります。


 底で食わせるのはルールとして存在しますが、釣り方としては多数ある中の1つでしかありません。その1つに自ら縛りを付けた釣り方をしているに過ぎないのですが、勿論ルールですから底で食わせる事が常識であり普通のことで、まさに真実そのものではないでしょうか。


 底で食わせるルールを自らに科して縛りを付けた釣り方ですから、底で食わせるのが当たり前となりますが、実際のところ底で食わせたかどうかは解らないのです。厳密にいうと上唇に針が掛かっていると底で食っています。下唇に針掛かりしていると餌の沈下途中で食った証拠になりますので、底では食っていない証明ですからアウトです。


 1つの目安として浮きが立ち餌が着底することで、浮きにはなじみ巾が出ることで着底した事が解るのですが、それはあくまでも餌を打ち込んだあとの浮きの動きの1つでしかなくて、誘いを掛けた後などに釣れた場合は餌が浮いた瞬間かも知れません。


 そうすると今釣れたヘラブナは底で釣れたと言いきれるのでしょうか。


 つまり今釣れたヘラブナは底で釣れたのば事実でしょうか。実際は見えてないのですから真実とは言えないのです。例えば食い上げ当たりがあります。その状態になるということは間違いなく餌は底から離れているはずです。見方を変えれば底にある餌を食って浮き上がったのかも知れませんが、それでも底釣りだと言いきれる真実はあるのでしょうか。


 いやいやそんな現象の話は実は問題ではなくて、人が感じている事実や真実、普通や常識は、単に自分の物差しで測った独断的解釈でしかないという話です。


 餌打ちの方法として両うどんの底釣りでは振り切りが一般的です。昔からうどん釣りをしている方に取れば、餌打ちは振り切りが常識となります。また普通は振り切りで餌打ちをするものと表現します。


 でもその常識や普通は自分の物差しでしかないか、ある特定の範囲にだけ通用する常識でしかないはずです。普遍的に通用する常識や普通論は存在しないと断言しても良いはずです。


 そして真実と事実については、真実という表現も自分個人の受け止め方を言い表しているだけで、世界の常識なんとことにもならないのです。但し事実は現実に起きている現象ですから、そのまま受け止めて良いはずとなります。


 別にヘラブナ釣りと直接関係する話しではないのですが、特定の釣りクラブの中にだけ存在するルールや特定の池にだけ存在するルールを、初めて訪れた方に強要するのも何となく違うような気がしているのです。勿論池そのものが決めたルールには従う必要がありますが、その池の常連達が勝手に作り上げた自分たちのルールを、さも当たり前のように押しつけるには問題だろうと感じています。


 得てして常連の横暴を目にする事があるのですが、池としても常連の皆さんですからついつい目をつぶっている感もしなくはありません。そうなるとその池に訪れる他のヘラブナ釣り師は減ってしまっても仕方がなく、上手くその常連達に溶け込めた人だけがまたその池に通えるとしても、訪問者が益々減っている釣り堀の現状を見ていると、それでいいのだろうかとつい思ってしまいます。


 ただでさえ減り続けているヘラブナ釣り師ですから、常連の釣り人達もわがままを極力抑えて、初めて訪れた釣り人にも快適で皆が楽しめるように協力を望みたいです。


 釣れないと文句を言う人がいますが、自分の工夫が足りないとは感じないのでしょうか。何れにしても池主に文句を言うのだけは避けるようにしましょう。これは常識ですよね!!