両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り うどん餌を早く食わせるコツ

 両うどんの底釣りをしていて、未だにどうしてうどんが餌になるかは全く解らないのですが、事実として食ってきますので餌として成り立っています。しかしうどんそのものには全く集魚効果がありませんので、寄せるための餌が必要になります。
 段底や段差の釣りでは上針に寄せ餌を着けて集魚して、段差の釣りでは下針の餌を誤食させる方法で釣りますので、目立たせる必要もなく散らばっているバラケ餌と共に吸い込んでくれればいいわけです。
 段底では上針の撒き餌効果を利用して、底に絨毯のように餌を敷き詰め、そこに食わせ餌を置くことで成立します。


 両うどんの底募り場合は、集魚効果を狙うにはうどんにまぶし粉を附着させて、その匂いなどでヘラブナを寄せるようにします。ただ過去の経験ではあるのですが、この集魚材はペレットを利用することが一般的で、時期を限らず年中利用できるまぶし粉です。しかしペレットのまぶし粉が着いていると釣れるのか。実は個々に大きなに誤解があると思っています。


 先ず夏期などヘラブナだけでなくジャミも活発に動く時期は、どのようなまぶし粉の付け方をしていても釣れます。反対にいうと上ずられせないためにしっかりと附着して、底まで導くような釣り方をする必要があります。早く剥がれるようにするとヘラブナが上ずってしまい、底にある餌を食わなくなってしまうからです。


 では冬期はどうでしょう。冬期は食い気が乏しいのですから、寄り多くまぶし粉を附着させた方が良いのかどうかです。単純には寄り多く附着させた方が集魚効果は出るはずですが、何故か食いが遠くて当たりがなかなか出ないようになります。


 ここで考えるべき点は、冬期はうどんに着いたまぶし粉を突く魚が殆どいない点です。夏期など魚が活発に餌を追う時期は、うどんに附着しているペレットも突きに来ますが、冬期は魚が積極的に餌を追いませんので、いつまでもまぶし粉が附着したままになってしまいます。


 つまりうどんのまぶし粉は出来るだけ早く剥がす必要があるのです。なぜだか解りませんが、まぶし粉がタップリとしているとヘラブナは食ってくれないのです。


 実は一度実験したことがあるのですが、うどんに色を付ける事でした。着色剤が含まれているペレットがありますので、そのペレットをまぶして使って見たのです。結果は緑<赤<黄の順で当たりが良く出たのです。反対にいうと緑が殆ど当たりが出なかったのです。


 もう一つの実験ではペレットを溶かした液を作り、それにうどんを一晩漬け込んだことがあります。そうするとうどんにはペレットの匂いが染みつき、色も茶色っぽく仕上がりましたので、これは爆釣間違いなしと思って使って見ました。結果は不様に撃沈してしまいました。それこそ全く当たりが出なかったのです。


 やはり目立つ色のうどんを食うと解釈できます。そこで今使っているような白色のうどんが定番として使うようになったのですが、その白色のうどんと認識させるためにも、ペレットは出来るだけ早く剥がれてくれないと困るのです。


 夏期ではジャミなどが突きますので、少々多くペレットを付着させていても剥がれてしまいますが、冬期ではジャミも突きませんのでいつまでも附着したままになります。特に冬期は乾燥していますので、まぶし粉を附着させてからの放置時間が長いと、水中に入ってからでも簡単に剥がれないのです。


 附着させてから30分経過させた餌を打ち込んでも、15分以上剥がれずにそのまま附着しています。この状態では特に冬期の食いの悪いときには当たりが出ません。イメージとしては1分程度で剥がれてくれるようにすると当たりが早く出るようになります。


 お薦めは着底すると直ぐに剥がれ落ちるようにすることです。そうすることで1分以内に当たりが出るようになります。但し剥がれが早過ぎると冬期でも上ずってしまいますので、着水して直ぐに剥がれては困ります。このコントロールは至極簡単で、うどんは1本ずつまぶし粉に付ける事で、何本も同時に着けないようにすることです。


 何本にもペレットを付着させていると、使い終わる頃には相当な時間が経過していますので、簡単にペレットは剥がれてはくれなくなります。そうすると余計に当たりが出ない事になりますので、釣果に恵まれなくなってしまい冬期は釣れないなんてことになります。


 冬期のコツとしては、ペレットは着けすぎない。着けてから放置時間は短く。ドロやノリは使わない。そして剥がれすぎないことで冬期でもそれなりの釣果が得られるはずです。


 そう・・・はずとしかいえないのが問題で、時と場合によって変わるのが現実のことです。そのため1つのことをやり続けるのではなくて、その時その場で何が出来るのか、出来る事から試す以外ないのが現実の話です。