両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 常連客の戒めと役割

 ヘラブナ釣りは管理池や釣り堀での釣りが圧倒的だと思うのですが、私がその池を選ぶ基準として良く釣れるとか設備が整っているとかもありますが、やはり自宅から近い池を選んでしまいます。


 選択理由に拘わらずどうしても通い慣れた池に毎週のように訪問するようになるのですが、結果として常連客的になってしまいます。当然池主とも顔を合わせる機会も増えて、比例して親しくなってしまいますので、雑談なども交わすようになりますが、その内容も雑談程度で収まっていれば良いのですが、ついつい釣れない原因を釣り池の問題として決め付けて、もっと釣れるようにとか放流量を増やせとか、釣り人側の欲求を突きつけてしまいます。


 釣れない多くの場合は池の問題ではなくて、管理池だとしても自然環境の中にありますので、季節要因としての水温にも大きく影響されてしまいます。それを管理責任のように追及するのはお門違いと思うのですが、良く釣れた事が頭に残っているために、今の状況で釣れる釣技に達していない事を棚に上げて、池主を捕まえてクレームを言い出してしまいます。


 釣れないのは自分の性だと理解しなければ、何時まで経っても釣れないのですから、釣技の向上も見込めないことになります。少しでも改善すべき方法がないかと探る事で、案外ヒントが見つかるかも知れません。それはネット検索でも良いですし、how to本でも良いと思うのですが、やはり釣れている釣り人の意見を素直に聞くことでしょう。


 今まで通してきた釣り方に固守するのではなくて、1から考え直せるような柔軟さが、明日の釣果を約束してくれると思っています。そんな工夫をせずに池主にどうにかして欲しいとの欲求は間違っています。それは常連の横暴でしかないと思ってしまいます。


 昨今閉鎖される池が増え続けています。ヘラブナ釣りの高齢化に伴って極端に減っています。今遊ばせて戴いている池が少しでも長く営業が続けられるように、共存共栄を図ることに尽力すべきではないでしょうか。


 バカな客は、お客様は神様ですを客の方が偉いと思い込んでいます。本来の意味は神殿に奉納する行為を指す言葉です。なにも客を神様のように扱うとの意味ではないのです。
 元々は献茶式・献花式と同じような意味でしたが、客に満足して欲しいとの心構えとして使われたのですが、それをお金を払ったのだから満足させろと要求をするのは大いなる間違いです。


 勿論その対価に見合うサービスを提供する必要があります。提供者が取り決めた料金に見合ってこそ、店と客は対等になれるのですから、何も店が謙る必要もなく、反対に客側が謙る必要もないわけです。


 飲食店のバカな店主が、偉そうにウンチクを垂れて客を見下すような態度は大いなる勘違いです。反対に客だからと偉そうにする態度も全く間違っています。関西ではお金を支払う段階でありがとうといいます。それは飲食店だけでなく、買い物をした場合や医者に掛かった場合でも同じように、ありがとうございましたとお礼を述べます。


 それを食べさせてやったとか診てやったなんて態度をすると、当然のように客離れをするはずですが、何故か予約の取れない飲食店では店主側が大いなる勘違いをして、偉そうな態度を取っているのを見かけると、私は二度と行くか!!と思うのですが、何故かいつまでも予約の取れない店になっています。


 実は釣り堀でもそんな時期があったのです。釣り客が押し寄せて釣り座どころが駐車場も満杯で、予約しても例会が入ったので移動して欲しいなんて電話が入ったりしました。また予約も2人や3人ではなくて5人以上と決められたこともあります。
 それが釣り客が減ると一転し1人でも予約が取れるようになったのですから、客の入り方で態度を変えるのも、いい加減なものだと思ってしまいます。


 その反対に釣り客が少ないことから常連客は、やりたい放題となり池の私物化が始まります。場合によっては勝手なルールを作って、新しく訪問した釣り客を閉め出す結果になり、余計に池としてはその常連達は迷惑な存在となっていきます。しかし釣り客が減ってしまっている現状としては、むげに出禁にも出来ずに受け入れ続けてしまいます。


 結果として池の閉鎖に繋がりかねないのですから、常連客は良いこともあれば困った存在にもなってしまうのです。ある池で釣れないことからもっと放流量を増やせとか、釣れるようにしろとかクレームを言った釣り客に、池主はその場で2度と来るな!と出禁にしたそうです。車の置き場所がないとクレームを言った客にも、少し離れたばょに案内しようとしたようですが、結局はもう来なくて良いですと帰って貰いましたとの話を池主から聞きました。


 お互いに対等な立場で池を利用させていただいているとの思いがあれば、友好的な関係が築けると思うのですが、人の慣れからくる意識はなかなか難しいものですよね。お客様は決して神様ではないのですが、変な勘違いをしてしまっているようです。但しサービスは無料だと思っている日本人が多いのも間違いなく、それは日本の文化の1つでもあったのでしょう。そのため欧米のようなチップ制度は日本では根付かなかったようですが、実は日本でもチップ文化はあったのです。


 その昔は心付けとして支払うことがありました。旅館に泊まって仲居さんに心付けを渡すのは当たり前で、その仲居さん個人の心付けだったのですが、昔はその仲居さんが食事中着いていてくれて、ご飯のおかわりやお酒を用意してくれたりしたのです。しかし時代と共に客室まで案内してくれる仲居さんと、部屋付きの仲居さんが別となり、また部屋食出来る旅館も減ってと、次第に旅館にプールして皆で分けるシステムに変わったりしたのですが、その後旅館でもホテルなどでサービス料と料金表に明記して要求する文化が取り入れられることで、心付けの文化は下火となっていきました。


 ただ花街などで芸者さんや舞妓さんに対する心付け文化はまだ残っています。好きな小唄の伴奏をして貰ったからと、懐紙を折りたたんだりポチ袋にいれて渡したりしたものです。しかしこれもサービースに対する正当な対価だったので、サービスは決して無料ではないはずです。


 私的には釣天狗池に通い出して多分10年になるのではと思いますが、特別池主と親しくしているわけでもなく、ある一定の距離を保ったお付き合いをさせていただいています。なにも通い続けているから何か融通を聞いて欲しいなんとこも要求しませんが、例会日などについては事前に知らせて、池に迷惑にならないようにしています。


 正直いいまして通い続けている池が閉鎖されると困るのは自分自身ですから、出来るだけ同じ池に通い続けては、無理なお願いをしないなど一定の配慮をもった付き合い方は考えています。


 世間では消えていく職業があります。学校前の文房具店はなくなりました。街中でアイロンを掛けているクリーニング店も見なくなりました。荒物屋さん、布団屋さん、お菓子屋さん、牛乳店そして個人経営の釣具店も消えてしまいました。
 釣り堀も消える運命にあるとすのなら、少しでも延命して貰うためにも、良く行く釣り池を決めてあまり浮気しないようにすべきではと思います。勿論負担を掛けると延命が出来なくなりますのまで、お互いに配慮して遊ばせて頂きましょう。