ヘラブナ釣り 運がいい人悪い人
ヘラブナ釣りをしていると良い釣りが出来た日と釣果の良くなかった日があります。良い釣りが出来たと感じる時は、釣果として釣り上げた枚数が多い場合がありますが、それよりも理想通りの当たりが出せてそれが釣果に繋がったときです。反対に釣果はある程度良かったとしても、理想的な当たりが出せないまま浮きの動きに対して合わせているだけの日は、気分的にも良い釣りが出来たとは到底思えないのです。
理想的な当たりが出せる日と出せない日、この差はいったい何だろうと思うのですが、私の釣り方は両うどんの底釣りが基本ですから、とても綺麗なツン当たりが出るのが本来です。これが団子餌になるとフワッとした当たりであったりモヤッとした当たりも出るのですが、うどんのような固形物を餌にしていると、とても綺麗なツン当たりが出るのが本来の当たり方です。
それがうどん餌でもモヤッとしたりもたれ当たりのようなものが出たりと、自分では納得出来ない当たりが出る日があるのです。どうしてそんなことが起きるのだろうと思うのですが、何故か違っているのですから不思議です。
ところがとても良い当たりを出せる日があります。特に何をしたからとの思いもなく、今日の当たりは良いなぁって思うのですが、単に運が良かっただけと感じてしまいます。多分細かな分析をすると明らかな違いがあるのだろうとは思うのですが、確実にコレが原因とするようなものが解らないのですから困ったものです。
ところで釣果は特に安定している事も無いのですが、比較的釣果を伸ばすにはどうすれば良いかは、その場その場で考えて対応することは出来るのですが、なんとか答えを見つけ出して少しは納得出来るのですが、天釣会ではサイズ競争をしていますので、如何に良いサイズを釣り上げるかで優劣が決まります。
このサイズ競争は曲者で釣果が良いから良いサイズが釣れるとは限らず、どちらかというと数枚しか釣れなかった場合の方が良いサイズに巡り会えるのです。
そこで分析をすると釣果の良い日は比較的小型のサイズが集まっている日です。釣れども釣れども尺前後で、尺2サイズがなかなか釣れず勿論大助なんてどこにいるのかと思ってしまうのですが、数枚しか釣れない人の方が良いサイズを釣り上げている傾向があり、じゃあ釣果を伸ばさない方が良いのかとも思ったりしますが、やはりそこは卑しい私ですから釣果も良くして良いサイズも釣り上げたいと思うのです。
そんなある日にそこそこのサイズが釣れていたにも拘わらず、最後の最後に良いサイズが釣られて逆転をされてしまうなんてことが起きるのですから困ってしまいます。
さぁこれは運が良いのでしょうかそれとも悪いのでしょうか。
結果的に私は運が悪いと感じるのですが、逆転した人は運が良いことになるのでしょう。現象的に見るとまさにその通りではあるのですが、実は運なんてものはどこにもなくて、実際運が悪いのではなくて運が悪いと感じる私がいるだけの事です。
運が悪いのであれば普遍的に運が悪いはずで、それが時には優勝も出来るのですからその日だけ運が良かったなんてこともなく、またある日には運が悪かったなんて事も無しはずです。
つまり運が悪いで済ませると次の一手が打てないのです。これはその日の状況によって良く釣れたり釣れなかったりしますが、その原因を水温や地震そして池の水質などを原因としてしまうと、対応が全く取れないのですから何時まで経っても釣果が良くなりません。
やはり運は自分で引き寄せるものですから、如何に釣果を上げるためには今何をすべきか、その一つ一つを試して結果に結びつけなければ、何時まで経っても他人任せの釣果に終わってしまいます。
運というものは存在しなくて、運が良いまたは悪いと感じている人がいるだけだとすると、釣果が伸びないのは釣り人の努力不足と結論付けることが出来るのではと思うのです。そのため今日の釣りは駄目と諦めずにどうすれば釣れるのかを、常時考え続けて如何に理想的な当たりに結びつけることが出来るのか、まだまだ課題は満載のまま続きそうです。
理想的な当たりを出して程々の釣果でそこに少しの良いサイズが混ざる。とても満足のいく日を過ごせると思うのです。残り少ない人生ですから1日を濃密な日にしたいと感じています。
しかし宝くじも当てて運が良かったと言ってみたいのも本音ですけどね(笑)。
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