両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 無邪気な思いで釣りをしよう

 運勢などを気にする方が一定数はいるようですが、六曜や方位などと気にし出すと切りがないものが多数出てきます。個人的には全く関係ない事と思っているのですが、最低限人との関わりの中で行う行事については、私自身が気にするというよりも人の与える影響を考えて、取り敢えずは悪い日という日は避けるようにしています。


 その1つが仏滅です。誰が決めているかは知りませんが、世間で言うところの仏滅に結婚式は挙げないようにすべきだと思っています。別に仏滅に挙げたってなんら関係はないのですが、結婚式に出席して戴く来賓や友人親戚の方々が、もし参加するためまたは帰宅途中に事故に遭ったとすると、仏滅になんか結婚式を挙げるからだ!と言われかねないので、仏滅の日に婚式は避ける方が良いと思っています。


 ある日風水かなにか知りませんが、トイレは邪気が溜まると書いてありました。読みますと水の流れがお金に関連しているのだそうです。常に整えていないと邪気、衰気、殺気と運気を下げる気が溜るそうで、特にトイレは水のエネルギーが強いとのこと。


 ここでちょっと待った!!と思ったのです。トイレと水の関係って水洗トイレが出来てからのことではないですか。それまでは汲み取り式ですから水とは一切関係がありません。確かにその昔は川に流していた時期もあるようですが、田畑への肥料として使われていた時期も長く、今のように無駄に捨てていたりはしなかったのです。


 現代の生活から水との関連を思いついたのかも知れませんが、それなら釣り堀のほうが余程水と関係していて、池の水が綺麗に保たれていなければ邪気・衰気・殺気が溜まるとすると、池主はそれはそれは悲惨な人生を送られていることになりますが、そんな話は聞いたことがありません。勿論池を汚している釣り人も悲惨な人生が待っている事になるのですが、決してそんなことはないのですからいい加減な話です。


 邪気が溜まるといいますが何となく誤解があるようで、反対に無邪気という場合は子供達の遊んでいる様子を見て無邪気に遊んでいると表現します。つまり邪気とは悪意のことですが水が悪意に繋がるなんて事は決してないはずですが、どうしてこんな表現をしてしまうのでしょう。何事も水に流すというではないですか。水は清める事に使われます。キリスト教でも聖水というものがあり神社では手水で手を清めます。


 ただ昔からトイレの神様との表現はあります。それは敬遠しがちなトイレも綺麗に保つことを良しとした日本人の考え方です。近年までお隣の中国のトイレ事情は悲惨なモノで、今でも子供には尻割れのズボンをはかせ、うんちをしたくなると道端でしゃがんでしてしまいます。尻割れズボンはしゃがむと自動的にお尻が露出するように作られているのです。


 中国のトイレットペーパーは質が悪いためか水洗設備の問題化は知りませんが、使用したトイレットペーパーをトイレに流すことが出来ないところも多いのです。そのため備え付けの汚物入れのようなところにトイレットペーパーを入れておくのですが、日本の水洗トイレも同じように考えて、中国の方が使った後は汚物入れに捨ててしまうのです。そのため公衆トイレなどには一緒に流すようにと注意書きされています。


 私が見た中国の学校でのトイレも酷いモノでしたが、私の子供の頃ですらもっと清潔に保たれていたのですから、国民性というか考え方の違いだったのかも知れません。その考え方の違いを取り込んで怖がらせる運勢とはいったいなんなんでしょうね。


 反対に運気が上がるのは観葉植物を置くことだそうです。ここでもちょっと待った!です。本を置くと運気が下がるそうでその理由は、本は紙で出来ているので湿気が溜まるからだそうです。だったら観葉植物も常に水を与えていますので、本以上に湿気を溜めるはずですが、植物は空気を綺麗にするから良いのだと。だったら図書館は運気が下がる最たる場所となるのですが、ここまで来るとご都合主義が透けて見えますよね。


 そういえば・・・釣り堀に出かけるとおしっこをしたくなりませんか。外出していて帰宅するとトイレに行きたくなることもありませんでしょうか。それをトイレの神様が呼ぶと表現するのですが、男は特に無意識ですが縄張りの確認をする行為のようで、いわゆるマーキングをしているのです。


 邪気を含んだ釣り師もいるかも知れませんが、無邪気に楽しむ方が良いに決まっています。ストレス解消のためにも無邪気に竿を出すことが必要ではないでしょうか。ただどうしたら当たりが出るだろうかは常に考えている必要がありますね。


 ん?ヘラブナ釣りはどこに書いてあるかですって?・・・・今回は雑談っことで無邪気な奴とお許しください。