両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り ヘラ竿の尺数選択

 私的には釣り味の良い長めの竿が好きでした。そう少しだけ過去形の表現になっています。そのひとつが体力的な問題だろうと思うのですが、それ以上に長尺有利の原則が崩れてきていると感じだしたからです。


 ヘラブナ釣りでのマナーの中には先着されている釣り人の横に入る場合は、その方の使っている竿より短くするというものです。このマナーは先着されている方が釣っているポイントより少し沖を釣る事でその方が集めたヘラブナも横取りしてしまう事を意味しているのではと思うのです。


 単純なイメージではあるのですが人がいることでヘラブナは警戒するはずです。警戒しながらも餌によって集まってきたのですから、少しでも人から離れた方が安心してヘラブナは餌を食うことが出来るという人間的解釈が働いているためではないだろうかと思うのです。


 勿論これは対象の池によって違うとは思うのです。特に釣り座が浮き桟橋の場合はその浮き桟橋そのものが身を隠す場所であるはずですから、先着されている方より短竿を使った方が有利だと思うのですが、釣り座が岸であった場合はやはり沖目の方が有利だろうと思われるわけです。


 その結果としてホームの釣天狗等では浮き桟橋はありませんので、沖や横の波除けパイプ際が身を隠す場所になっている訳ですから、その近くが狙える竿を出したくなるというのも人情だろうと思うのです。


 ところが放流数が多いためかそれともジャミ対策を失敗したためか解りませんが、沖ほど当たりがしっかりと出ない傾向があり釣果が伸びにくいと感じるようになりました。そこで沖目より1尺2尺3尺と竿を短くしていくのですが、通常より5尺も短い竿を出した方がテンポ良く釣ることが出来ることに気がついたのです。


 つまり集まりの悪いはずの中途半端な尺数こそ的確な竿選びとなってしまったのです。


 実はホームの釣天狗だけでなく第2ホームの清風池でも長尺より中短竿の方が数もサイズも良かったのです。そしてもう一つの西池ですが最初に訪問した時に使用した竿は15尺でしたがその後14尺13尺と短くして行きました。その次に訪問したときは16.5尺と一気に伸ばしたりと色々と試したのですが、結果的には9尺で爆釣を演じることが出来たのです。西池も浮き桟橋ではないのですから岸近くに隠れる場所はありません。またスリバチ状に底が傾斜していますのである程度深くなっているポイントの方が良いと感じていたのですが、何のことはない傾斜途中の中途半端なポイントが良かったのです。
 実はその後も西池に訪問する度に尺数を変えて試していたのですが、数は9尺絶対有利だと感じながらも11尺にするととても綺麗な当たりを返してくれるのです。長尺でもない短竿でもない中途半端な尺数で良い釣りが出来た事もあったのです。


 今日は当たりが少ないとかカラツンが多いとか何か変だと感じた時は、仕掛け全般を見直していましたが、このように尺数を変えるだけで良い釣りが出来たりする事に今更ながら感じているのです。もし何らかの疑問を感じた場合は1尺また1尺と伸ばすが縮めるかしてみられることも重要なことと感じたのです。
 この池はこの尺数で決まりとの決めつけは失敗する可能性もあるのでは無いでしょうか。つまり日によってその時期によって違っている事を改めて確認することが出来たのですから今まで何をしていたんだと思うこと多数ですが、思い込みは思考停止させるとっても大きな要因だと感じたのです。


 ただ当日は色々な尺数を試しながらその日の状況を確認した結果として、今日はこの尺数で決まり!との決めつけは良いのではないでしょうか。ただ全般的な傾向として長尺有利とは全く感じなくなってしまいました。


 釣天狗池は大池と小池と別れていますが、小池でもパイプ際一杯を釣る方が有利だと思っていたのですが、最近は大池同様中途半端な尺数で良い釣りが出来るのです。
 勿論これらは固定的な考えをするのではなくてこれから秋に向かい水温も徐々に低下していくとどうなるか解りません。どこまで中途半端な尺数が有効でいられるのか確かめたいと思います。


 ただ釣り味としてはやはり長尺に勝るものはありません。先日は7尺で通したのですが数は釣れても面白くなかったのです。ただ身体は楽だったのも間違いなく短竿ですから手返しも楽で、ポンポンと釣り上げられ尚且つ当たりもとても微妙な当たりも食い当たりとして捉える事が出来たのです。多分長尺では合わせる事はないような当たりも綺麗に食っていたのですから、コレが食い当たりと決め付けるのは今更ながら良くないと感じてしまいました。


 反対にいうと綺麗な当たりを出す方法を探る必要があるともいえるわけで、変な当たりで食っていること事態に釣り方のどこかに間違いがあったことを意味するのかも知れません。


 しかし何時まで経ってもああだこうだと迷い続けていますが、だからこそ面白いとの感想は負け惜しみでしょうか。