両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 真剣勝負

 真剣勝負という言葉があります。本物の刀を用いた勝負のことですが、今では生死を決するような勝負事はありません。
 では闘牛はどうでしょう。牛と人間の戦いであり時に命を落とすこともあるので、真剣勝負と表現することも出来るのですが、勝負を決する場面は間違いなく牛が殺されて終わります。仮にマラドーナが牛に跳ね上げられたり踏み殺されたりしたとしても、牛が勝って生き残ることはないのです。つまり真剣勝負に見せかけてはいるが、必ずその牛は殺される運命を辿るのです。


 格闘技の世界でも真剣勝負があります。相撲ではガチンコ勝負を指しますが、場合によっては死に至ることはあったとしても、相手が死ぬまで戦うことはなく、相手の力士が土俵を割ったり手をつくだけで勝ち名乗りを上げることが出来ます。
 動物界では角あわせをしても相手が戦意を失った段階で勝負が付いたことになりますので、動物界で生死を賭けた戦いをする事は殆どないと思うのですが、人間は死をもって終わらせたり償わせたりしています。


 特に日本では切腹文化があります。死を持って償わせるのですが、今でも責任を取ってその役を降りるなんてことは日常的です。あのレジオネラ菌の発生した旅館の主人は、死をもって償ってしまいましたが、マスコミ各社は責任者が死ぬことで償ったとしてか、それ以降の報道はされなくなってしまいました。
 反対に言うと死ぬまで平気で追い込んでしまうのです。日本のマスコミ体質であり、日本人の持っている責任追及をする姿そのものではないでしょうか。マスコミは国民を映す鏡だと私は思っていますが、国会でも野党が与党の大臣などを辞任に追いやることばかりに血道を上げて、肝心の決め事はどこかに追いやられらてしまいます。


 あのガーシー元議員を国会に出ないとの理由で辞めさせましたが、実は田中角栄元首相も脳梗塞を患って5年間も国会に一度たりとも出ることはなかったのです。実際病状から議員活動そのものが出来る状態ではなかったのですが、国会に出ないからとの理由で辞めさせるようなことはなかったのです。
 別にガーシー元議員の肩を持つつもりは全くありませんが、野党も辞めさせることに同調したのですからお笑いで、少なくとも田中角栄氏の例を上げて論理的に戦う必要があったはずです。
 キット自分に降りかかりそうな事を想定して、病気による国会欠席ができる道を残したのだと思いますが、こんな国会に真剣勝負があるとは到底思えない、まさに国対政治そのものではないかと、そう政治こそガチンコ勝負のない八百長の世界だと思えてしまいます。


 安倍元首相も兇弾に倒れてしまいましたが、岸田首相も爆発物で襲われてしまいました。日本の大臣には日常的にSPが付きます。日常警護されているのですがどこかに油断があったのか、日本人の性善説のためか解りませんが、どこかに油断があったのかも知れません。事実ロシアの隣にあるウクライナは攻め入られていますが、同じロシアの隣国である日本はどこか安全神話があるのか、危機感が微塵も見えずにコロナの警戒を解いたことで、旅行や食事飲み会と気楽に動き回っています。
 いやいや私だつて例外ではなく、日曜日には釣り三昧をしているのですから気楽なものですが、決して真剣勝負をして生きてはいません。


 ん?ヘラブナ釣りと何の関係があるのか(笑)。ついつい熱く語ってしまいましたが、ヘラブナ釣りもある部分では真剣勝負で、先の闘牛の例ではありませんが、人間が負けることは決してないのです。ただ熱い思いを握る竿に込めているのは間違いなく、今この瞬間に当たりが出る浮きを真剣に見つめ、今か今かと待っている図は、まさに真剣勝負を表しているような気になります。


 真剣勝負をしているからこそ翌日は疲れてしまいます。神経の疲れそのものですが、それでも釣果が良かった日などは、その疲れがとても心地よいのですから、人の感覚とはいい加減なもので、それこそヘラブナをへこましてやろうと勝負を挑んでいするのですが、その駆け引きの中にはありとあらゆる思考が渦巻き、それを具現化する知識が必要になってきます。
 どうしたら当たりが出るだろう、どうしたら食い当たりを出すことが出来るのか、どうすれば・・・どうすれば・・・。その答えを見つけることが出来れば、してやったりとほくそ笑むのですが、小さな浮きをも見つめては勝負に挑み、結果として負け越すのが当たり前になっている現状に、真剣勝負なんて出来てないことを自覚してしまいます。


 やはりどこか緩んだところがあって、ヘラブナ釣りなんてとどこかバカにしているのか、舐めてかかっているために、いつもいつも撃沈してしまっては、次こそはとまたまた闘志を燃やすのであります。