両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 釣行時の行き帰りに感じる時間差

 歳と共に月日の流れるのが早くなりますが、これは感動が少なくなったためとされています。子供の頃は経験も少ないので次は何だろうとの期待感と、次々と変化する事柄を体験し続けていることで1日がとても長く、結果として月日の流れるのがとても遅いのですが、歳と共に経験則も増えてしまって感動も当然少なくなってしまいます。


 ヘラブナ釣りでは釣れて当たり前になっているのも頷けるのですが、初心忘れることなく1枚釣り上げる感動を味わうことで、1日を有意義に過ごせるのではと思うのですが、思っただけではどうしようもありませんので、自らが新しい感動を求める必要があるわけです。


 車を利用して未知の場所に行く場合に、到着するまでの時間がとても長く返りの時間は早いと感じたことはないでしょうか。実はコレこそが経験による感動の受け方の差であり、日時の過ぎる時間を早く感じるか遅く感じるかの差でもあるのです。


 今でこそカーナビをつかっての移動が常識になりました。全く未知の土地へ移動するにも何も心配はなくなったのですが、その昔は地図を片手に道の確認をして標識を見逃さないように走っていたものですが、今は殆ど標識の確認も必要なくカーナビの音声に従って移動するだけとなっています。
 ただそれだとしても未知の土地への移動はどこか不安があり、次々に見えてくる風景も初めて見るものばかりですから、不安と期待とをない交ぜにした感情と共に移動することで、その行程がとても長いものに感じます。


 ところがあれほど長いと感じていた行程が帰り道になるとあっという間に帰宅できてしまいます。それは未知への不安と期待が既に薄れていることによって感じる差で、もし帰り道を同じ道順を使うのではなくて、別のところに寄り道をするようにすると感動が長持ちしますので、帰宅時間も案外掛かったと感じるのです。


 ではヘラブナ釣りではどうでしょう。朝の7時から釣り出して夕方の3時まで釣っていた場合は約8時間も釣り続けていたことになりますが、その時間を長いと感じられるでしょうか。座り続けて浮きをじっと見つめる時間が8時間もあるにも拘わらず、それ程長い時間だとは感じていないはずです。それこそ大会などで残り30分だとするともう時間が無いと焦り出すのではないでしょうか。
 途中ランチを挟んだとしてもその時間が、もうランチの時間?早いなぁっとの感想を持ってしまいます。


 もし8時間もの間だ釣りをすることなく、ただ椅子に座り続け一点を見続けろと指示されたとすると、これは拷問そのもので大変な苦痛と感じるはずです。ところがヘラブナ釣りをしていますと、釣り台やスノコに座って浮きの1点を見続けているのですから、それを長いと感じてしまうと釣りは成立しないのですが、それを長いとは感じなくなっているのも事実なのです。


 実は私は元々色々な釣りをしていたのですが、子供の頃の釣りでも必死になって釣りをしていましたので薄暗くなって帰宅するとこっぴどく叱られたものですが、それ程夢中になって釣り続けることが出来ていたのです。それから成長と共に色々とな釣りに手を出すのですが、鮎釣り・渓流釣り・黒鯛の筏釣り・磯釣り・船釣りへと変化していきます。


 その変化の途中で鮎釣りは朝からではなくて昼前に着けば良いとゆっくり出かけ、筏釣りは釣り時間が長いからと磯釣りに変更し、磯釣りでは朝の3時に磯渡しをしてもらい8時には迎えに来て貰う短時間の釣りとなりました。
 船の場合もイカ釣りなどは先に鯛釣りをして暗くなってから集魚灯を炊いてイカ釣りをするのですが、その時間がとても長くてイカから鯛やブリ釣りに変更したのですが、それでも約12時間の釣りはとても長く感じたのです。
 釣行時間が長いと感じだした理由としては、やはり釣り上げる期待感が薄れたためだろうと思うのです。反対に船釣りを続けられている方は釣り時間を長くは決して感じてないはずで、2泊や3泊しての船釣りや離島の磯釣りも決して長くは感じないからこそ釣り続けられているのでしょう。それは次に大物が釣れるかも知れないとか幻の魚が釣れるかも知れないとの期待感が、時間の経過を早くしてしまって決して釣行時間を長いと感じないからです。


 今のところヘラブナ釣りを続けられているのも、他の釣りのように釣り時間が長いと感じることがないから続けられているのですが、ヘラブナ釣りでは当たりを出すことそのものが楽しみの1つであり、当たりを的確に合わせられることも楽しみとなり、上手く針掛かりしてから取り込みまでの引き味など、複合的な楽しみが味わい佐々けられているためだろうと感じています。
 1年に内で何度か海釣りもしますがその時間は長くも5時間程度で早々と終了してしまいますが、1つは多数釣ったとしても持ち帰った魚の処理が面倒になったこともあります。ヘラブナ釣りの場合は全て放流しますのでその点は楽なのですが、海釣りも再放流することでまた違った感覚になるのかも知れません。


 そういう意味では歳を取って感動が少なくなっているのかも知れないのですが、1つには他の釣り人との比較対象が出来る事で、他の釣り人より良いサイズが釣れたとか数多く釣れたとか、1人で感じる釣り味に付加できるものがあるカラかも知れません。今後突然ヘラブナ釣りの時間を長く感じ出すかも知れませんが、そう感じたときには私のヘラブナ釣りからそつぎょぅする事になってしまいますが、今のところその心配はなさそうです。


 しかし釣りから卒業してしまうと残りの人生がつまらないものになりそうで怖いのですが、如何にヘラブナ釣りを面白く続けられるかは、やはりある程度の釣果が見込まれてそれなりの成績を上げられることでしよう。


 しかし月日の過ぎるのを遅く感じるにはヘラブナ釣りだけなく、新しい感動はどこかに見いだすことも必要な気がします。