両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 誕生日を迎えて昔を振り返る

 私のヘラブナ釣り歴はとても短いのですが、私の周りには50年選手のベテランさんが数多くいらっしゃいます。そんな超ベテランさんの中に混じって糸を垂れるのは、釣り場に持ち込む道具類を見て笑われないだろうかとか、下手くそな釣り方をしているこの素人が!と蔑まれるのではないかとかそれはそれは怖かった記憶があります。


 初めてヘラブナ釣りをしたのはもう40年以上昔の話まだ大学生だった頃と思いますが、小さな箱池に初めてヘラブナ釣りに行った時のことです。関西のことですからうどん池でしたが、その日は平日にも拘わらず1度の当たりも貰えなくてスゴスゴと引き下がった記憶が今でも鮮明に残っています。ヘラブナ釣りは職人の世界で素人が簡単に手が出せる代物ではないと思った瞬間でした。その後鯉池の釣り堀に行くようになったのですが、ヘラブナ釣りはそれ以来極最近まで手を出すことはなくなっていました。


 鯉の箱釣りではそこそこの釣果が得られるようになったのですが、その昔の鯉池では買取制がありました。フラシには10枚程度が限度だったと思ますが、何キロだったか1度に計れるキロ数が決められていたのです。それは多数の鯉をフラシに入れて鯉を傷めないようにするためでしたが、ある程度の枚数をフラシに入れてはキロ数を測ってもらって記録していきます。それ以外にサイズの買取やサイズ競争もありましたので、良いサイズを釣り上げるとそれは単独で測ってもらうのです。


 釣り終わりに事務所によって当日のキロ数は何キロだったかで1キロ30円程度だったように思いますが買い取ってもらうわけです。記憶はもう曖昧ですが何キロまでが30円でそれ以上になると20円に落ちたような気もしていますが、1日釣って900円程度で買い取って貰っていたように思います。同時に当日の重量として上位3位までは景品だったか賞金だったかもう忘れてしまいましたがそれも貰って帰る事が出来たのです。
 またサイズも上位3位までだったと思いますが景品か賞金を貰えたはずです。1日遊ばせて頂いてその賞金などを貰って帰る事が出来ていましたが、毎釣数釣りかサイズかのどちらかは確実に貰って帰っていた記憶があります。


 その池でも私が通う前からの常連の方が当然いるわけで、私は意識していなかったのですがその方から意識されて対抗意識を燃やされていたこともありました。その為に私は小心者ですから極力その方から離れたポイントに入るようにしていたのですが、それでも最後に事務所に入ると何位やった?と聞かれてその人より勝っていると気まずかった記憶も残っています。


 今当時を思い返しても鯉釣りだから大きな当たりが出ることもなく、1節か2節程度の小当たりだったように思います。野池のようにトンカチ当たりが出るようなことは決してなかったのです。サイズ的には80㎝クラスも入っていましたのですが、70㎝を超えると鯉のぼりのような雰囲気だったのも覚えていますが、そんな大物でもハリスは1号なんて太い事はなかったはずで0.8か0.6だったように思います。


 その前後して海釣りに行くようになり鯉池には行かなくなってしまったのですが、海ではチヌ(黒鯛)ばかりを追いかけていました。初めは筏釣りでしたが舞鶴湾で伝馬船を借りて牡蠣筏に船を着けて筏用の短竿で釣っていました。少し大物になると牡蠣筏の下に潜られて、吊されている牡蠣に糸ズレして一発で切れてしまうのですが、それをかいくぐり釣り上げるのはとても楽しかった記憶があります。


 このように櫓を漕いでボインに着けるのですが、慣れない間は真っ直ぐに行かなくて同じところをぐるぐると回ってしまうんですよね。

 沖にある牡蠣筏まで自分で漕いでいき筏に伝馬船を括り付けて釣っていました。今では伝馬船を漕いで行く釣り方はなくなってしまったのですが、とても懐かしい思い出となっています。
 予約しておくと船が用意されていて勝手に漕ぎ出すのですが、まだ暗い時間帯に出てカーバイトを炊いてアジを釣っていた事もあります。真冬には寒いので火鉢も用意してくれたのですが、餌に用意して貰った牡蠣をその火鉢の上で焼いて食べていたこともありました。


 その後海の上に張られた板の上でいわゆる筏釣りをするようになるのですが、少々走られても障害物がありませんので簡単に釣り上げるとが出来たのです。ただ反面スリルもなく秋には20や30の数釣りも簡単に出来るようになり、筏釣りから徐々に磯釣りへと変わっていきました。


 磯釣りでは朝のまだ暗い時間帯に渡船してもらいヘッドライトを頼りに仕掛け作りをするのですが、まだ暗い時間帯からケミホタルを棒浮のトップに取り付けて、その光が海中にすーっと引き込まれるのを確認して釣り上げるのは、それはそれはとても気持ちの良いものでした。筏に比べて磯の方が数は少ないのですが平均サイズが良かったので、数年間は磯釣りに通っていたのです。京都や福井の磯は1人1磯だったのですが和歌山などでは何人も乗せるので閉口した記憶があります。


 その次は船釣りに変わっていきます。鯛をメインに釣っていたのですが大は70㎝を超える大鯛を釣り上げたこともありましたが、食味は全く良くなくて40㎝程度の鯛が一番美味しいと解るようになるのですが、釣りとしては大きいサイズが釣りたいのですから困ったものです。
 その後ハマチやメダイをターゲットにしていくようになり、水深100mのところでオモリも80号とかを使いますので電動でなければ釣っていられないのも事実でしたが、電動リールを駆使するようになってから、釣りというより漁の感覚になってしまって海から遠ざかるようになってしまいました。


 その後また海に行くようになるのですが、同時進行的に鮎釣りに填まっていくこととなります。夏の3ヶ月は毎週川に入っていました。正直今までに経験した事のない強い引きに虜になってしまったのです。
 ただ今思い返すとその頃の鮎竿はグラスロッドがメインでしたから、重くて長くても7.2mで通常では6.3mの竿を使っていましたが感度がとても悪いんです。今のような空中輸送の取り込みではなくて、羽二重で出来た京タモを腰に差して釣れた鮎を玉に落とし込むのです。
 格好も菅笠に法被を着て川に入り込んでいました。今では全く見なくなった格好ですがその昔はそれが格好いいと思えていたんですよねぇ。 


 7.2mの竿に9mと飛んでも長い仕掛け糸を着けて釣っていましたので、竿を肩に担いで道糸を手でたぐり寄せ、腰に差しているタモに吊し込むで取り込む釣り方です。それはそれは優雅な釣り方だったのですが、グラスロッドですから初期の当たりが全く解らないので、鮎が掛かってグーンと引っ張られて初めて鮎が掛かったことを知るのですが、そのグーンと引っ張られる当たりが強烈で、例えるなら石鯛を釣り上げたような感覚と表現されていたのですが、それ程の強烈な当たりに虜になってしまいました。
 ただオリンピックからカーボンロッドが発売されて、とても感度が良い竿だったが為に初期の当たりが明確に解るようになり、走られるまでに釣り込み態勢に入る事が出来るようになり、釣果は飛躍的に伸びるのですが反面強烈な当たりが全く姿を消してしまったのです。
 それでも夏になると鮎釣りを続けることとなるのですがいつ頃でしょうか、鮎釣りからも足が遠のくようになってしまいました。1つは空中輸送の取り込みが全盛になって来たことと、一時期ですが10mとの超長尺の鮎竿が使われるようになって行ったことにありました。実際私も購入して使っていましたが、当然操作性はとても悪くて面白みに欠けたのも鮎釣りから徐々に遠ざかる原因だったかも知れません。


 その後またまた海釣りを再開したのですが、その時は既に磯私や筏に渡して貰うのも面倒になり、車が横付けできるような人が見向きもしないような何でもないポイントで、60㎝70㎝のスズキをターゲットにした釣りをするようになって行きます。ただしスズキが釣れるシーズンが鮎釣りが解禁される時期と重なるために、なかなか悩ましい時期でもあったのですが、そのポイントが数十年ぶりに海釣りを再開した今でも有効だったことを知り嬉しくて仕方ないのですが、その昔も誰も釣っていなかった隠れたポンとでしたが今でも誰にも会わないようなポイントです。
 このまま知られることなく独占ポイントとなってくれると嬉しいのですがそうも行かないですよねぇ。


 そうそう鮎釣りでも川に多数の人たちがいて入る場所を探すのが大変なのですが、不思議と誰も入らないポイントがあったのです。毎週そのポイントに入っては数釣りが出来ていたのですが、川の増水が繰り返されて川相が変わってしまってそのポイントは消滅したのですが、そんな独占が出来るポイントを見つけると嬉しくなってしまいますよね。
 海でも今のポイント以外に昔は貯木場がありその材木に付くエビを狙ってスズキやチヌが入り込んでいたのです。貯木場の材木の上に乗って材木の隙間を狙ってシラサエビを撒いて釣っていたのですが、それはそれは良い釣りが出来た記憶があります。ただ何が原因か知りませんが全国の海の貯木場が消えてしまったのです。いいポイントだったのでとても残念です。


 あっそういえば一時期ブラックバスを釣るのに填まったことがありました。当然ルアーフィッシングですがロッド類もアメリカから取り寄せたりしていたのです。

 リールは当然AbuGarciaです。


 それも今は埃がかぶった状態になっていますが、ルアーからフライに移行した時期もありましたがそれも昔話になってしまいました。フライでアマゴやイワナを狙って山の奥深くへ入り込んでいたこともありました。フライロッドはアメリカとイギリスから取り寄せていました。
 竹のフライロッドは間違いなくイギリスものが良かったです。その竹の素材も日本製は全く駄目で中国製がとてもいいんです。その竹はトンキンケーンといいましたが広州でとれる竹が最上だったはずです。


 もう新しいことはこの歳になってなかなか出来ませんが、今後は体力的なことも思うとヘラブナ釣り一辺倒となるのでしょう。まだまだ素人から抜け出せてない私ですから突き詰めることなんか出来はしないのですが、これからも色々と悩んでは苦労する試練の釣りを展開することとなるのでしょう。ただ色々な釣りを経験した事でヘラブナ釣りにも役立っているのも間違いなく、想像できる引き出しは案外多いのかも知れません。


 しかし誕生日を迎えてこんな思い出話を語っているようでは駄目ですよね。次の日曜日は今年最後の月例会です。出来れば有終の美を飾って今年の大会の締めくくりとしたいものです。


 今年も健康で良い年でありますようにと思うのであります。