両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 水中への透過光と餌の色

 光はいろいろな物質によって減衰します。海などでは30mの推進では既に青色の世界であって他の色の太陽光は届きません。それこそ日本近海では100mにもなるとほぼ暗黒の世界が広がっています。外洋や沖縄のような透明感のある海の場合は水深200mでやっと暗黒の世界となります。
 これが淡水となりますと一気に浅くなるのですが、渓流など水が澄んでいる場合でも滝壺のような水深のあるところでは、濃い緑色になるなど数メートルまでとどくのですが、池の水などでは酷い場合は数㎝であり、少し深くなるだけで全光束は届かなくなるのですが、光が届いていたとしても色は変化してしまいますので、青の世界以下になっていることでしょう。
 そうそう黒色があります。これは光が届かない暗黒の世界ではなくて、全光束を吸収してしまって反射していない事を意味しています。浮きのボディに黒色を塗られているのは、目立たせないためかも知れませんが、それは人間の思い違いで水中からは水面を見上げますので、水面は白く光っていますので黒色は目立つ色となります。つまり浮きのボディーは白色が正解と私は思っています。


 さてそんな水中の光がどの程度届いているかによって餌に対する視認性も変わるはずで、それもあって私的には白色を主体とした餌を使うようにしています。単純に臭い成分は別として色だけでいえば、明らかに白色の餌の方が集魚効果としては軍配が上がります。不思議とヘラブナ用の餌は、白・緑・茶色で構成されていると思うのですが、白はマッシュポテトの色や麩の色であり、茶色はペレットの色ですからまだわかるのですが、スイミーのような緑色は何を意味しているのでしょう。多分に草食性としての藻の色を意識されているとは思うのですが、私的にはまだヘラブナが藻を意識して食んでいる姿は見たことかないのです。とはいえ金魚は藻を意識して食べていますので、同じフナの仲間としては食べているのかも知れません。


 今回餌の色をどのようにして決めるかをポイントとして、水中への光の透過性を取り上げているのですが、届く光と見える光には違いがあると思ったことはないでしょうか。
 水中から水面を見上げますと、水面の明るい空の明るさを表していると思うのですが、それと同じ光量が届いているとは思えないのです。私の認識不足もあると思うのですが、仮に夜空の星を見上げていたとします。微々たる光ではあるのですが夜空に星が見えているはずです。光が見えるということは光が目に届いているはずですが、その星の光を手のひらに映す事は出来ません。この違いは一体どのように説明すれば良いのでしょう。別の見方をすると日中の明るい日差しの元では星を見ることは出来ません。周りの電灯の光ですら見えなくしていますので、都会の夜空で星は見えない事となります。
 これは明るい昼の光と曇り空や雨などの暗さが、水中に届けている光の強さの差にもなっているはずですから、餌を選ぶときの目安にもなるような気がするのですが考えすぎでしょうか。


 人間の目で捉えられる光を比視感度という表現で表すことが出来るのですが、明るい光の下で見える光と暗い光の下で見える光、また視感度との表現でも表すことが出来るのですが、光を感じ取れる強さでもあるわけですが、これをヘラブナに当てはめますと、暗い水中で見える餌と明るい水中で見える餌の感じ方に差があるはずで、暗いから見えないのではないとの仮説が成り立つのではないかと思っているのです。


 どんなに池の水が濁っていたとしても最後の最後に餌を食ってくれるためには、餌を認識して食ってくれなければなりません。但し段底や段差の釣りでは誤飲による釣り方でもありますので、餌を見せる必要はないことになるのです。つまりここでいうところの視認性とは真逆の餌が、段差の釣りで誤飲を誘発しやすい事になると思うのです。それが底釣りであればやはり視認性が重要であり、特にうどん餌であれば確実にうどんを認めて食ってくれなければならず、決して誤飲を誘発するような演出は成立しないと思うのです。


 うどんにも着色剤があったりしますが、私自身色々と試した結果でも白色に軍配が上がりました。それ以降着色することはなくなったのですが、団子餌でもやはり色というか光の反射を意識して配合するようにしているのですが、果たしてこの考え方で合っているのでしょうか。