両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り へら釣りこそ一生の釣り

 ヘラブナ釣りをするまでいろいろな釣りをしてきました。池・川・海と魚釣りと名のつく釣りはほぼ全てをしてきました。今のところ一度もトライしたことがないのはトローリングと深海魚釣りだけです。


 単に食べたいからと真夏の夜に船を出してのイカ釣りは、まさに漁の釣りであって遊漁としての釣りとは違っています。海釣りの多くは食べるためだったのですが、最近の釣りを見ていますと真鯛ですらリリースしてしまうのですから意味がわかりません。
 とはいえ持ち帰ってからの魚の処理はなかなか面倒で、鱗は散るわ内臓の処理魚の血と魚臭いことこの上なく、淡水魚の生臭さとはまた別の魚特有の匂いが鼻につきますので、調理をしても食べたくないなぁって思ってしまうことになります。


 随分ご無沙汰していた海釣りを少し再開したのですが、体力的限界と魚の処理を考えると如何にヘラブナ釣りは楽しめる釣りかと再認識できます。当たりを取り一瞬の掛け合わせと取り込みまでの引き味を楽しむ、まさに遊漁に特化した対象魚と断言できそうです。


 釣りの中でもへら竿は軽量の部類に入ります。海釣りのようにリールを取り付ける必要もなく、2号3号のハリスを切っていくほどの馬力もなく、ほどほどのチカラでやりとりできますので、相当なお歳を召した方でも十分に楽しめる釣りだといえます。そういう意味では間違いなく生涯楽しめる釣りに違いないと思うのです。


 西洋の紳士の釣りとしてはフライフィッシングがあります。今でこそカーボンロッドですが、もともとは竹を組み合わせたいわゆる六角竿です。フライフィッシングの本場であるイギリスでは、ツイードのジャケットを来てトンキンケーン(中国の竹)の六角竿で鱒を釣るのが紳士のスポーツでした。
 日本の渓流はなかなか厳しい川ですので優雅に釣りをする事も出来ませんが、渓流を分け入ってフライでアマゴ釣りをしたこともありますが、やはり今では体力的にも足腰の弱さもあって、渓流に分け入ったとしても無事に帰れる保証もなく、それこそ家人に迷惑をかけてしまいますのでご無沙汰している釣りとなっています。


 その点野池は別としても釣り堀であれば、設備も充実していますし管理人もおられますので、万一何かがあったとしても対応してくれるでしょう。山の中に1人で倒れていると助からない命も、釣り堀ではまだ安心していられますので家人も安心して送り出せるはずです。


 自分で運転して釣り場まで行くにしてもいつかは免許の返納時期が来るでしょう。しかしサポカーとして自動ブレーキやアクセル踏替え事故防止装置も備えられていますので、事故率は極端に減ることとなるはずです。とはいえ体力的衰えは自分の思っている以上に進行していますので、決して安心することは出来ませんね。
 ただ遠路乗り付けるような釣り堀であれば危険度は増しますので、自宅近くの池がいつまでも営業を続けてくれる事を祈るばかりです。


 そんな身近なヘラブナ釣りが一生の釣りとあえて言い直したのも、久しぶりに海釣りをして体力のなさを痛感した事にあります。
 不思議なもので釣っている間は全く平気なのですが、帰宅後の一眠りの後一気にガタを感じるのです。そしてその疲れは2~3日は取れないのですから、歳を取れば取るほどこの傾向は強くなって行くに違いないのです。
 その点1日ヘラブナ釣りをしていたとしても、体力の限界を感じるような疲れ方はしませんので、長くつきあい続けられる釣りだと改めて思ったのです。


 そうなるとまたまた余計に新しい竿を使ってみたくなるではないですか。これはいい傾向ではなくて悪い癖が頭をもたげてきている証拠で、これはいささか抑制すべきだと思っているのですがもう1本だけ欲しい竿があるのです。
 上手く掘り出し物に出会えれば良いのですが、無茶はしないでおきましょうかねぇ。でもせっかく国民一人一人に10万円も気前よくプレゼントしてくれたのですから、使うことで経済が回ることとなります。生活費に使って事こそ本来の意味ですが、お金に名前はついていませんからねぇ。


 う~ん・・・・・やはり我慢我慢ですかね。