両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り ヘラブナとの対話

 私は基本的に魚が好きです。釣る対象魚であろうが飼育対象魚であろうが、それこそ食味を追求する食用魚であろうが、いわゆる魚と称する生きものが好きなんです。


 小鮒やオイカワを釣っていた時期は、釣れた魚を逃がすというような感覚は無く、持って帰っては数日水槽で飼っていました。当然長く飼育を続けることは出来ずに死なせていたものですが、飼育を続けるために熱帯魚を飼いだして色々と研究するようになったのですが、その趣味は未だに続いているのですからもう50年以上も続いていることになります。


 小鮒を相手にしていたのも随分昔のことで、お袋の田舎に行ってはじいさんと小川に出かけていたものです。それこそ幼稚園にすら入っていない頃かも知れません。
 小学生の間は親の目を盗んでは近くの川や池に釣りに出かけ、中学になると自転車で遠征してみたり釣りクラブを作ってみたりと、そうそうワンゲルにも入っていましたので自然そのものが好きだったのかも知れません。ただ山に入っても山肌や稜線を眺めるより、流れる清流に目をこらしては微かに動く魚影を見つけては喜んでいたものです。
 京都の北山ですら湧き水というか山肌を湿らす程度の流れに、2~3㎝程度のサンショウウオを見つけては喜んでいた記憶もあります。


 釣った魚を食べ出すのは海釣りを開始してからで、淡水魚を釣って食べた経験はとても少なく、佃煮を作って貰ったのもほんの数回で、鯉を釣りっていた時期でも水槽で飼っていたのですが、客人に洗いを作って食べさせた記憶も残っています。懐かしい十代の頃の話ですが、鯉には苦い経験もあって元からいた高級魚アジアアロワナに病気を移されて死なした経験もあります。このアジアアロワナはワシントン条約で輸入禁止が決まる直前に、熱帯魚店で10㎝の幼魚を10万円で手に入れていたものです。それが成長し40㎝は超えていた頃でとても綺麗な黄金色に発色した魚だったのですが、琵琶湖唯一の流出河川である瀬田川で釣って持ち帰った鯉から、何かの菌かウイルスが移されて簡単に死なせてしまいましたが、これもまた懐かしい思い出として記憶しています。当然10㎝で10万円なんて価格は家人には未だに知られていません(笑)。


 海釣りを続けていますと食べたい魚を釣りに行くという、その時期に合った対象魚を釣るという贅沢な選択をしていたのですが、海までの行き帰りの時間が身体に負担で、そう思った段階で行かなくなってしまいました。
 ただ近くの川で鮎釣りもしていましたので、海から足を洗ったあとは鮎三昧となっていたのです。とはいえ鮎も初めの1度食べるだけでその後は食べなくなりますので、全て配り食べて貰うだけの、まさに釣る楽しみだけの対象魚となっていました。
 その鮎も夏限定ですから周年釣りをするためには、対象魚が鮎だけでは成り立ちません。そうこうしている内に途絶えていた釣りを再開することとなりました。


 それがヘラブナ釣りとなるにはまだ少し時間が掛かり、その昔子供が小さい頃に鯉釣りに連れて行っては、大量に釣り上げさせて喜んでいたのですが、その釣り場は今もありますのでまたその釣り場からスタートを切ったのです。そこには2つの大池小池があるのですが、小池だけが恋釣り場で大池はヘラブナ釣りと変化していました。
 ヘラブナ釣りはその昔少しだけしてみたのですが、職人の特別な釣りとして私には縁遠く感じていましたので全く足が遠のいていたのです。


 その頃からもその釣り場の鯉釣りは人に負けないと自慢出来る程度は釣っていたのですが、ヘラブナ釣りでは全く太刀打ち出来ません。上手い人がポンポンと調子良く釣り上げる中で、私には当たりすら出ない日が続いたのです。やはり素人が見よう見まねで入門してみたものの、全く太刀打ち出来ない世界だったのです。
 結果的にヘラブナを相手にする事が出来ましたので、無謀にもワンランク上の釣り堀へと足を伸ばすようになったのですが、その池こそ今でも通う淀の釣り天狗池です。


 淀の釣り天狗池はまさに職人集団が腕を競い合っています。私なんか足下にも及ばないのです。コソコソと隅っこで釣りだしてみたものの、数毎釣り上げるのがやっとで、どうしたら皆さんのように釣れるのだろうと思っていたものです。


 そこで仕掛けから全て見直して市販されている単純なhow to本に頼ることなく、独自にアレコレと考えては1から見直す事から始めました。
 針サイズや針の形状、ハリスや道糸の素材や号数、浮きの形状や素材を見直し、竿の尺数や調子、そしてうどんのサイズに素材、まぶし粉の形状やペレットの種類、臭い成分にアミノ酸成分と考えられる部分については見直していくこととしたのですが、それが単なる自己満足にならないためには、毎週釣り場に行っては答えを出すべく試していく必要がありました。


 どんな組み合わせであればヘラブナは応えてくれるのか。まさにヘラブナとの対話が始まった瞬間です。


 そして1日10枚なんて全く釣り上げる事が出来なかった私ですが、気がつけば70枚を数える釣果を出す事が出来たのです。その日のことは今でも覚えていますが、釣り天狗池のどのポイントで釣り上げたのか、それこそ毎投当たりを返してくれるような日だったのです。
 50枚以上を釣り上げる事が出来るようになったのも、ヘラブナがこの餌を食っても良いとする状態に如何に持っていくことが出来るか。
 釣果とはその結果でしかないことが解ったのです。


 昨今20枚台に沈んでいる日が多いのですが、それは単に冬期だからではなく、また特に仕掛けを変化させたわけでもないのですが、昨日釣れたのに今日は釣れないとするような、ヘラブナの於かれている自然環境によって、同じ攻め方をしているとヘラブナは応えてくれないことの証明であり、ヘラブナの今日のご機嫌が良かったとしても明日も良いとは限らず、その変化をいち早く知る事で、その場で速攻対応出来るとするならば、ある程度の釣果が約束されていくものと思うのです。


 とはいえ、いうのは簡単で答えなんか簡単に見つけることは出来ません。その証拠に私なんかが他の池に行くと手厳しいしっぺ返しをされるのですから、まだまだ修行が足りないと思うのです。


 こうすれば釣れる!なんて答えはどこにもなく、今日のご機嫌は如何ですか?と問いかけるような、一投一投ヘラブナから送られてくる信号を受け取る。そんなヘラブナとの対話が必要な気がしています。
 浮きに変化が現れない。それこそヘラブナの今日の対話の結果でもありますから、それに対応した釣り方を即座に考えられるような、ベテラン釣り師を見習う必要がありそうです。


 次の日曜日には、どんな応えを返して釣果という結果に導いてくれるのでしょう。


 だとしてもその答えの中に大助の釣り方は教えてくれないんですよねぇ。