両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り ストレスとフラストレーション

 ヘラブナ釣りは数釣りが基本でしょうか。それとも大助を釣り上げることが基本でしょうか。


 関西的にはヘラブナに限らず魚に対する価値はサイズの大きさで判断します。関東的には重量で価値判断しているようですが、それは市場価値の考え方と連動させているためでしょうか。
 大間のマグロを何㎏だったとの発表が有り、それを何億で落札したってニュースが流れたりしますが、まさに市場価値の論理でしかないのですが、関西の釣り人は市場価値よりも釣魚としての価値を見いだしていますので、その場合は太っていようが痩せていようがサイズ至上主義となるわけです。


 黒鯛の年なしとの表現は50㎝以上でしょう。石鯛は口黒でイシガキダイは反対に口白と称し老成した魚を珍重します。ヘラブナの大助は40㎝以上でしょう。キスの肘叩きは30㎝以上でしょうか。鮎も尺鮎と表現するように30㎝以上を求めています。これらの魚の価値を何㎏あったとから凄いなんていわないのですが、関東では全て重量で価値判断をしているとするならば、やはり市場価値の論理つまりは漁師の論理であって、遊漁者としての価値ではなさそうな気がします。


 いやいや別に関東の方達に喧嘩を売っているわけではありません!!。


 今回話題にしたいことはヘラブナの釣り上げる満足度の話です。


 野池組は夢50との表現があると思うのですが、これは関東でも同じ事でしょうかそれとも関西だけでしようか。私の知る限りでは野池組の場合は、サイズ重視のように思っています。春先の乗っ込みシーズンに大助を求めて遠征される方も多いと思いますが、やはり最低40㎝オーバーの大助を1つの基準として、あわよくば尺半の45㎝以上を熱望し、夢の50㎝オーバーがヘラ師の大きな目標ではないでしょうか。


 ストレスとの言葉があります。昨今の病気原因の順位第一位がこのストレスによるものとされています。その昔神経性と称された病気全般がこのストレスが原因だったと思うのですが、ストレスは現代人の大きな病気の原因だとすると、遊びの釣りでストレスが溜まるようなことにならないようにしなければなりません。
 今日は少ししか釣れなかったとかボーズだったとか当たりが出なかったとかは、貧果による心持ちは大きなストレス原因になってしまいます。それこそ大助を釣り上げているにも拘わらずバラしたりすると、それこそ悔やみきれないほどのストレスが溜まってしまうことでしょう。


 もう一つの表現としてフラストレーションがあります。ストレスに似しているようですが実は全く違っていて、欲求不満をフラストレーションと表現します。
 ここで感じませんか?釣りで感じていたことはストレスではなくて、全てはこのフラストレーションである事を。
 釣れない事で募るのはストレスではなくて欲求不満です。
 大助を取り逃がして感じるのも欲求不満です。
 必死に頑張ったのに良い結果が得られなかったのも間違いなく欲求不満です。


 現代人の多くはストレスを溜めすぎだというのですが、案外ストレスではなくフラストレーションが溜まっているに過ぎないのではないかと思うのです。


 ヘラブナに話を戻しますと、何㎏との釣果を求めている限り枚数こそ価値がある事になってしまいます。当然今日の釣果は何枚だったから良かったとか悪かったとなるのですが、関西的価値判断の場合は、5枚しか釣れなかったけど1枚大助が釣れたから良かったとか、尺半の45㎝オーバーが1枚釣れたとか、夢の50オーバー1枚だけ釣れたけど興奮して足が震えたとか、枚数至上主義からサイズこそ命との価値判断になったとすると、フラストレーションも溜まり方も違ってくるのではないかと思うのです。


 ただフラストレーションが溜まりすぎるとストレスになってしまいますので、大助が釣れなかったとしても、少数しか釣れなかったとしてもたかが釣りってことで気楽に行きましょう。
 なんてことを書いていますが、やはりいつも書いているようにある程度の枚数を釣りたいのが人情ですよねぇ。大助1枚で満足なんて出来ない私がいます。人一倍フラストレーションが溜まってストレスが発散出来てないのですから、昨年は病気を引き起こしてしまったのでしょう。


 なんやかやといながらも貧果な結果ドヨ~ンとした気持ちで月曜日を迎えている私は、いったいどうしたら良いのでしょうかねぇ(笑)。