両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 孤高の釣りか、分かち合う釣りか

 どんな釣りでも同じ事だとは思うのですが、釣れた喜び度合いは時と場合によって違っていると思うのです。海釣りでも最近はリリースする事が多いようですが、私が海釣りをしていた頃は食べたい魚を狙っての釣行が主でした。勿論その中でも釣れた充実感が寄り高まる対象魚にしていましたのですが、いつもいつも自分優先とは行きません。


 仮にアジやサバなどは家人が食するに喜びを感じるでしょうが、釣り師としては下魚扱いとまではいいませんが、高級魚の部類に入らないものですから、釣れた充実感は乏しいと感じています。その為、鯛や平目にハマチにブリと一般的な高級魚を狙ったりするのですが、同じ鯛でも真鯛より黒鯛のあの燻し銀のように黒光りする魚体に魅せられていました。とはいえ黒鯛はそれ程美味しい魚でもありませんので、家人の喜ぶ顔は真鯛に比べると落ちてしまうのですが、それでも釣って帰って食べてくれる家族がいるから釣れた喜びも増すというもので、自分1人しか居ない時期の釣行でどんなに良い釣果をあげようとも、共に分かち合える家人が居ないと喜びは半減してしまいます。


 ではヘラブナの場合はどうでしょう。野池組の場合は単独釣行が多いのでしょうか。仲間との誘い合っての釣行だとしても、並んでかかれる釣り場も少ないでしょうから、行き帰りは同じだとしても現場では離ればなれになるとすると、枚数もさることながら大助を釣り上げた喜びも分かち合え難く、1人寂しくガッツポーズも小さくして充実感に浸ることとなってしまうのでしょうか。


 その点釣り堀組は単独釣行であったとしても、同じ池に他の釣り師も居ますので何となく誇らしい思いが感じられるのです。他の釣り師より数を釣り上げていたとすると当然目立ちますし、大助を釣り上げて手間取っている姿も羨ましい限りです。
 その目立って羨ましがられている対象が自分だったら、これまた誇らしいというものですが、そこに仲間達がいるとその思いは寄り一層強く感じる事が出来ると思うのです。


 勿論釣れたときばかりではありませんね。釣れない日だとしてもその嘆きも分かち合えるのですから、受けた傷を互いに舐め合うようにしてその日の落胆を和らげられるというものです。


 釣りは個人の楽しみでしかありません。良い当たりが出たとしても、餌の選択が間違いなく的確な合わせが効いたとき数が釣れたときなど、また大助が上がったときの偶然性など、その喜びは自分1人のものでしかないのですが、羨ましがってくれる仲間、共に喜んでくれる仲間がいたとすると、その思いは倍増するに違いないと思うのです。


 孤高の釣りを否定するものではありません。ある時期には私自身孤高の釣りを良しとしていました。誰に煩わされることなく好きな時間に釣行し好きな時間に竿が納められる。もう少し釣りたいもう辞めて早く帰りたいなど、今回の対象魚は黒鯛が良いいやいやハマチにしようなどと、同行者との意見が合わないことも多々ありますので、孤高の釣りこそ釣りそのものが楽しめると思っての釣行を繰り返していました。しかし決まって家人と共に食することに繋がっていたのです。


 対象魚がヘラブナになったとたんに、食する対象ではなくなりましたので帰宅後の楽しみはないわけです。釣り場でのみの楽しみとなるのですから、その釣り場で寄り楽しめるには同行者が必要になると感じるようになりました。
 それはなにも多人数である必要はありません。同行二人のように心に秘めた人との釣行も良いのですが、出来れば傍に居てくれる気の合った人と行くことに、やはり寄り以上の喜びが感じられると思うのです。


 ある時大助が釣れた老釣り師が居ました。横目でそれは確認出来しいたのですが素知らぬ顔で浮きを凝視し続けていたのです。すると後ろを通ったその釣り師はホレ!ホレ!と声を掛けるのです。それでも無視を続けていると振り返るまでホレ!と言い続けるのです(笑)。やっと振り返ってその大助を見て上げると嬉しそうにニコッと笑っておられました。つまりその老人は共に喜び羨ましがられ褒めて貰う事を待っておられたのです。


 これは釣具でも同じ事で、竹竿であろうがカーボンであろうが釣れるヘラブナに違いがあるわけではありません。しかし竹竿で釣り上げたときのヘラブナの動きや手応えもその釣行の喜びを膨らませてくれます。持っている道具を人に見せびらかすものではないですが、まさに自己満足の世界が寄り広がることになります。
 1枚のヘラブナを釣り上げることについては、誰と釣行しようがどんな道具を使おうが全く違いがありませんが、その1枚に寄り充実感が得られる方法があるとするなら、それを選ばない手はないだろうと思うのです。


 ただ反省しなければならないのは、釣りクラブなどでは仲間意識が高まってしまうのでしょう、釣り場での大声での話し声は閉口ものです。自分達は楽しいと思っているのでしょうが、それを否応なしに聞かされる他の釣り人達には只の雑音でしかないはずです。
 ヘラブナ釣りは静の釣りであって、真剣な眼差しで浮きを凝視しているからこそ素晴らしいのであって、ワイワイガヤガヤと騒がしい釣りは閉口ものです。
 ある時のことです。釣り堀へ釣行した折りに釣りクラブの人達が大声で話していたので、少しでも声が聞こえないようにと釣り場を移動していたことがあります。多いときは3度も変わったのですが、変わっても変わっても煩かった記憶があります。最近では自分もそうなっていないかと思い、出来るだけ静かに釣り続けるようにしています。


 あのクラブは静かで上品だけどあのクラブは口汚くて下品だなんて事が、噂されないように互いに気をつけなければなりませんが、あるクラブでは良い歳をしているにもかかわらず、パワハラにも似たパシリ役を作っていますし、口汚く罵るような体型をあだ名にしている人がいます。聞いていて恥ずかしいというより腹立たしい思いをしますが、一向に正そうとはしないのですから困ったものです。


 とはいえ、孤高の釣りより1人でも仲間がいるだけで充実したヘラブナ釣りが出来るとするなら、同行者が居る方が楽しいと思うのですが如何でしょう。
 勿論野池組も単独釣行は危険ですから、誘い合いながらの釣行を是非ともお薦めします。