両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り カッツケ釣りは飼い付け釣りだった!!

 ヘラブナ釣りでは棚の決め方によって釣り方が違うのですが、一番浅い棚で釣る場合の浮き下は浮き直ぐにハリスがあるハリスカッツケです。次は50㎝程度のセミカッツケから1mの浅棚となるのですが、これら以外はチョウチンの竿の長さに合わせた宙、そして水深に関係ない底釣りとなります。


 水温の高い時期にはヘラブナは水面が真っ黒になるほど集まって来ます。そうなると私のような底釣り師では途中で餌が揉まれて、底に着底する頃には既に餌がなくなっていることが多々あります。


 水面に集まったヘラブナを釣り上げる方法としてカッツケ釣りがあり、それこそ打ち込むと即餌を食って走り出してしまうような、釣りといえるのか疑問を感じる釣り方をされる方がいます。


 このカッツケの語源は何だろうと思った事はないでしょうか。カッツケ釣りはカツオの1本釣りに似ていると思うのですが、何となく釣り方の様子を表したものだはと思っていました。その様子からカッツケ釣りというのかもと思っていました。


 ある時「飼い付け釣り」がカッツケ釣りの語源だとする表現を知りました。実際のところは知りませんが、まさに言い得て妙な表現だと思ったのです。ヘラブナの活性の高い時期にバンバンと餌を打ち込んで、養殖場の餌やり風景のような警戒心など微塵も見せない、餌に群がるヘラブナを釣り上げるのですから、飼い付け釣りに間違いないと思うようになりました。


 別にカッツケ釣りが好きな方はすれば良いのですが、私的にはカッツケ釣りをするのであればヘラブナである必要はないのではないか、それこそ放流されているニジマスなど餌を見れば食いつくのですから、それで良いような気になってしまいます。


 ヘラブナは食い当たりを出すだけでも難しい対象魚です。ここにこそヘラブナ釣りの面白さがあると思っているのです。
 *新ベラ放流直後の爆釣を期待する釣りとは矛盾する考え方ですが・・・。


 つまり安易に釣果が期待できる釣り方に対して、どこが面白いのだろうと思えてしまうのですが、それが面白いと感じるのも個人的な好みですから、全く否定するものではありません。


 実際防波堤や漁港でアジやイワシのサビキ釣りを楽しんでいる方を見かけますが、安易であるかどうかは別として、それもまた釣りの楽しみ方であり、持ち帰った魚を食する楽しみもあるのですから、それはそれでいいと思っています。


 ただ釣り人として釣りの楽しみをどこに求めるかです。単なる釣果さえ良ければそれでいいのかという疑問です。釣果を求めるのは人の欲ですから否定はしません。私自身釣果がいい方が良いと思っていますので、如何にして釣果を上げるかを考え続けています。


 しかし釣果が良ければ何をしても良いのかはまた別の話で、あるルールの中で如何に釣果を伸ばすかを考えたいと思うのです。それは他人が決めたルールではありません。池のルールは単なる目安でしかなく、そのルールの中でも自分なりの縛りを設けて、その縛りの中で釣果を伸ばす。
 それでこそ大人の楽しみ方と思うのですが、これもまた私個人的な好みでしかありませんので、普遍的なヘラブナ釣りの価値観ではないのも間違いありません。


 私の個人的な感覚でしかありませんが飼い付け釣りがカッツケ釣りだとすると、それもまたヘラブナの釣り方だと胸を張っていえるのだろうかと思えてしまいます。


 その昔カッツケ釣りではなくて底釣りでしたが、子供がまだ幼稚園から低学年の小さい頃に、コイの釣り堀に連れて行き爆釣させたことがあります。それこそ入れ食い状態を演出が出来るように底にコイを多数寄せる準備してから、竿を渡して歯を食いしばらせながら釣り上げる様子を見ていたのですが、子供は顔を高揚させて喜んでいました。
 子供にとってはそれはそれは面白い体験と感じてくれていましたが、大人には安易過ぎて直ぐに飽きてしまう釣り方です・・・。まぁ好き好きって事で・・・人の好みは千差万別です・・・ハイ。


 しかし飼い付け釣りがカッツケの語源・・・そうですか。。。