両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 宇宙物理学からみる井の中の蛙

 ヘラブナ釣りで宇宙の話は全く相容れないのですが、面白いと思いましたので取り上げてみました。


 宇宙物理学においてユニ宇宙とマルチ宇宙との表現があります。


 まずユニ宇宙はユニバースと聞くと聞き慣れた表現ですから理解できると思うのですが、一般的にはユニバースとして使われるのは1つの世界との意味で、ユニ(uni)は一つのや単一のという意味ですから、ユニフォームやユニセックスのように頭にユニにを付ける事で意味付けされるように使われます。
 もう一つの表現としてマルチがあります。マルチとは多数という意味ですがマルチ宇宙はマルチバースとして表現します。日本語にもマルチを付けてマルチ人間やマルチに活躍すると使われています。


 先ずはユニ宇宙は1つの宇宙ですから多くの人が知っている現宇宙の意味です。人がいて土地がありそれが地球という1つの星で太陽系の中にあり、その太陽系は天の川銀河の中にあり、宇宙にはそんな銀河が無数(7兆)に存在している。ここまで人類は解明してきました。しかし現代の宇宙物理学では、宇宙は1つではないとの理論が確立しています。


 つまり宇宙は無数に存在しているのではないか。そう説明する方が自然であるとのことです。詳しい事は色々と調べていただければと思いますが、宇宙が多数あるだけでなく実は自分自身も多数存在しているのではないかとの考え方で、多次元に同時に存在しているのかも・・・。との考え方です。


 少し興味を持っていただけましたでしょうか。もし同時に多次元空間に自分が存在しているとすると、自分とは違う生き方をしているのかそれとも同じ生き方をしているのか。そんな映画がマルチバースと題して作られたものがありますが、これはまた映画を見ていただくとして、実は知識で知っている宇宙は1つとは限らないのです。


 キリスト教では近代まで進化論を否定していました。あくまでもアダムとイブからスタートしなければキリスト教そのものの存続が危ぶまれるからですが、現代人は誰もが人類のスタートはアダムとイブではない事を知っています。しかしその昔は当然のことであり地動説すらキリスト教では否定されて天動説を信じられていました。


 現代人が知っている世界もまた固定的なものではなくて、色々と発見されていくことで書き換えられ続けています。


 そこでふと思うのですが井の中の蛙の格言です。日本語表現としては井の中の蛙大海を知らずとなります。自分の狭い視野で物事を判断して広い世界のことが解ってないとの意味合いですが、この井の中の蛙大海を知らずには続きがあるとされていて、
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る」と続きます。狭い空間にいても突き詰めると深く理解が進むとの意味合いを設けているのですが、しかしこのされど空の蒼さを知るは後付けというか、誰かが勝手に付けたものではないかとのことです。


 この格言の原文とされているのが荘子の言葉で次のような表現になります。
 「井蛙不可以語於海者、拘於虚也。」 
 井蛙(せいあ)には以(も)て海を語るべからざるは、虚に拘(かかわ)ればなり。
 意味としては「蛙に海を話をしても通じないのは、蛙が井戸という狭い所にとらわれているから」となります
 ただ荘子の原文には空の蒼さについて語られている部分がないのです。どうも日本に伝わってから誰かが勝手な解釈をして付け加えたように思われます。


 井の中の蛙が釣り堀に放されたヘラブナであるなら、生まれ故郷である広大な琵琶湖を知ることはないわけですが、最低限水中以外のことは全く知らないはずで、陸上に人間なる動物が存在することも知らないはずです。
 また人間も池の中を知りませんが、人間には知恵があるために水中をアレコレと想像して、対ヘラブナの攻略法なるものを考える事になります。しかし実際は水中の様子もヘラブナの習性も想像でしか知りませんので、あくまでも自分の持っている知識の範囲でしか判断が出来いないことになります。


 そこで昔から私が悔しい思いをしていたのがベテランさんの釣技です。長年親しまれているヘラブナ釣りに於いて、経験に裏打ちされた知識を身につけることでその時その時の状況に対応が出来て、釣果として結果を残されるのですから羨ましい限りです。
 私自身解ったように思っていてもまだまだ知らないことが多すぎます。何時まで経っても井の中の蛙(人間)状態からは抜け出すことは出来ないのでいます。


 しかしマルチバース的な世界は水の中に陸上そして空の世界に存在しているのですから、案外身近なところにあることに気がつきます。これも実は人間原理のなさる技で人間がいるからこそ宇宙を観測するのですから、もし人間が存在しなければ誰も宇宙を観測しないので、宇宙そのものもが存在しないのと同じとなるのです。つまりヘラブナを相手にしているからこそヘラブナが存在するのであって、誰も見向きをしなければ実際に存在していたとしても存在しないのと同じになります。
 
 この人間原理もまた宇宙物理学の1つになっているのですが興味のある方は調べられると面白いですよ。


 しかしヘラブナと知恵比べをしてもいつも私は負けていますが、いつか勝てる日が来るのでしょうか。まぁ勝てないからこそ面白いのかも知れないですね。