両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 安倍首相の暗殺を通して思う人の命

 初めに安倍元首相の残念なる死に対して謹んで哀悼の意を表したいと思います。と共に心よりご冥福をお祈り致します。


 銃撃されたとのニュースを見聞きして心肺停止状態との一報も入っていた様子で、なんとか命だけでも取り留めて無事生還されることを強く願っていました。その思いは日本国民の多くが感じていたことではないでしょうか。テレビなどでは特集が組まれてこの蛮行のニュースが流れました。同時に世界にも発信されてそれぞれの国からも色々なニュースが発信されている様子が窺えました。


 このようなことは現代日本では起こりえないものと思っていました。どこか安全な日本という神話を警察自信も感じていたのではと思ったりします。


 この事件は確かにとても残念であったろうと思うのですが少し落ち着いて考えた場合、実はウクライナではこの蛮行がロシアにより市民に対して数ヶ月も繰り返されています。ウクライナ市民の命と例え元首相を務めた安部氏の命だとしても全く同じはずです。どこか安部氏の命は尊くてウクライナ国民の命は軽視されている印象を受けてしまいました。


 それはテレビで取り上げ方の違いから見えてくると思うんです。


 確かにウクライナは日本より遠く離れている国ですから実感として湧かないのかも知れませんが、何の罪もない国民が失いづけている命をどうすれば守ることが出来るのかを、先ず先にこの点を考えるべきであって戦争を長引かせる事ではないはずです。それが先進国が武器を提供し続けているのですから、その間はウクライナ国民の命は失われ続けているのではないかと思ったりします。勿論ロシアの戦闘員も指導者の命によって戦場に駆り出されて尊い命を失っているはずです。
 ロシアの戦闘員もウクライナの戦闘員も同じ人間の尊い命のはずです。


 実際に事の善し悪しは別として国民の命を1人でも助ける意志があるのであれば、行く先の国のあり方は解りませんが、直ぐにでも降伏をして国民の命を守るべきではないのでしょうか。人の命より国の態勢の方が大事なんて事はないはずです。国民の居ない国なんてあり得ないのですから、国だけが残っても仕方ないと思えてしまいます。


 日本も終戦を迎えるにあたり相当な抵抗もあったはずです。アメリカによる戦争犯罪である戦闘員でない広島や長崎に落とされた原爆によって多くの命が失われてしまいました。しかしその後に全面降伏を受け入れることで結果としてそれ以降の国民の命は守られたわけです。
 私的には勝つことよりも国民あっての日本だとするなら、いち早く降伏すべきだったように感じています。勿論プライドを持って戦われた戦闘員は尊い存在だと思うのですが、その中には戦争なんかしたくないと思いながら、周りの雰囲気によって否応なしに出兵した人達もいたはずです。


 降伏を受け入れたあとの戦後間無しに旧ソ連による北方領土への進行で今なお占領を続けられている現状がありますが、最低限降伏をすることで命が守られるとするならば、国の体制が変化しようが国民という国の単位ではなくて、人間としての命が守られるのであれば、早く降伏すべきではないのでしょうか。


 実はウクライナの実情は他人事ではありません。日本も海で隔たりがあるとしてもロシアに接している国ですから、いつ何時難癖をつけて攻め入られる可能性があるわけです。ウクライナの現状は世界大戦にならないために他国から武器の提供をしているだけで、戦闘員を送り込んでいんないことになっています。それが日本だとするとアメリカを初め他国が協力してロシアに対抗してくれるかどうかは甚だ疑問です。


 現在の国連は戦勝国によって組織されています。その戦勝国がアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国で常任理事国となっています。その常任理事国であるロシアによって戦争行為か続いているのですが、他の4カ国はロシアの蛮行を止めることが出来ていません。まぁ未だにロシアは戦争とは宣言していないのですが・・・事実戦闘行為だと思うのですが、、、


 その戦勝国に対して国連憲章では日本を含む7カ国が敵国条項に書かれています。日本・ドイツ・イタリア・ブルガリア・ハンガリー・ルーマニア・そしてフィンランドです。敵国への言及は削除するとの決意が採択はされたのですが、未だにロシアと中国の反対を想定して国連憲章からは削除されていないのです。


 この敵国条項はとても強力で戦闘行為に対して国連の安全保障理事会において承認を受けなければならないとされていますが、敵国に対してはその承認が必要ないとされているのです。つまり日本に対して戦勝国は安全保障理事会の承認を得る必要がないのですから、ロシアがいつ攻めてきても国連は止めることか出来ないのです。


 日本の政治家の中には特に野党に多いと感じるのが国連絶対主義です。場合によっては自衛隊を国連軍に付託するような意見も出る始末ですが、自衛隊は軍隊ではなく警察と同じ公務員なんです。それが他国の軍隊とともに戦えるわけがなく、その身分保障も日本はしていないのですからいい加減な話です。


 その国連絶対主義の人に現状のロシアの行動をどのように正当化するのか聞いてみたいのですが、国連は何の抑止力にも正義の行使にも出来ていないのが現実なんですよね。国連はロシア一国の行動すら止める力を有していないのです。


 安倍首相の話から随分と逸れてしまいましたが、私の言いたいことは無名の国民の命も著名人の命も同じだと言うことです。著名人だから大きく取り上げられて蛮行は許されないと声高に叫んでいますが、無名の国民も全く同じ人の命だということを忘れてはならないのではと思うんです。


 最近になってコロナ患者が急激に増え出しています。第7派の訪れを示唆していますが、重症化が少ないから経済優先にしても良いとの意見を聞きます。病院の逼迫率も軽減しているとも聞きますが、病院にさえ入院することが出来れば命が助かるならそれて良いのですが、しかしそんな中でも命を落としている方がいるのです。


 どこかコロナで亡くなる方がいても慣れてしまった感があります。志村けんさんや岡江久美子さんが亡くなって大きなニュースになりましたが、未だに1人また1人と亡くなっているのです。そんなことなんか気にも掛けてないような雰囲気を感じてしまいますが、これはいったいどうしたことなんでしょう


 このブログはヘラブナ釣りに関してのものですから、このような内容は全くそぐわないのですが、高齢者の多いヘラブナ釣り界に於いて人の生死は身近に感じています。顔を良く見せていた人が来なくなったと思ったら亡くなっていたなんてこともあるわけですが、人はどうして他人事と身近な感覚と分けてしまうのでしょうね。


 釣行の際にも車を利用しますから交通事故も身近に起きてしまいます。どんなに気をつけていたとしても相手から突っ込まれる可能性があります。コロナによって無理に短縮された命も交通事故によるものもそして安倍首相に対する銃撃も、人が持って生まれた命を全うすることなく他から縮められる行為は残念でなりません。


 人の命をもう1度考える機会になればと思って今日のブログとしましたが、どのように思われたでしょうか。