両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 釣り堀の面白さは想像力と知恵比べ

 ヘラブナ釣りでは大きく分けて野池組と釣り堀組に分かれると思うんですが、春から秋までが野池で晩秋から早春までは釣り堀なんて方も多く居られると思います。私は軟弱ですからもっぱら釣り堀しか行かないんですが、海釣りの場合は反対で海上釣り堀には全く興味が持てず、自然の海で釣れても釣れなくても出来れば撒き餌もしないで釣りたいのです。


 海釣りの場合は基本食べることを前提にしていますので、海上釣り堀のような養殖魚を釣りたいとは全く思わないんです。高級魚が手軽に釣れる利点はありますが、どんなに高級魚でも養殖魚である事には変わりがないのです。解っていて養殖魚を無理に食べたいとは思わないんです。スーパーに並んでいる魚たちも養殖魚は選ぼうとは思いません。特にハマチは身が臭くて駄目なんですよねぇ。


 海の魚は食べることを前提にしていますので撒き餌もしません。海釣りでは至極当たり前の撒き餌ですが、撒き餌でお腹が膨らんでしまった魚をさばくと、オキアミやサナギなどの集魚材の匂いが鼻についてしまって、せっかくの美味しい魚を台無しにしてしまいます。やはり撒き餌を使わないで釣り上げる事で美味しく食べることが出来るのです。


 海の魚は撒き餌で寄せて釣るという形が定着していますが、陸の形状から海中の様子を考え分析して、どのポイントなら魚が自然と集まっていて、その鼻先に餌を持って行くことが出来さえすれば、撒き餌など使わなくても今晩に食べる程度の魚は釣れてくれるのです。その点はヘラブナ釣りも同じですよね。


 かくいう私も食べきれないほど持ち帰って冷凍庫が一杯なんて事もありました。その冷凍した魚も結局食べることを逸してしまって処分したこともあります。そんな無駄なことはしない方が良いに決まっていますので、極少量を持ち帰り1皿のお刺身と残ったアラをアラ炊きにして全てを頂きます。それで十分だと思うわけで食べられないほど釣り上げても仕方ないですからね。


 反対にヘラブナの場合は基本撒き餌をすることはないとしても、いや撒き餌に近い事を二本針でしているのですが、元々食べるためではなくて単純に釣り上げる楽しみですから、ある程度の数が釣れる機会の多い釣り堀に行きたいのですが、反対に野池組からはヘラブナが居ることがわかっている釣り堀は面白くないとの意見が聞こえてきそうです。
 ただそこにいることが解っていたとしてもただ餌を付けているだけでは全く釣れなくて、色々と考えその時々の対応しそれこそ苦労して、その結果として釣り上げる楽しみがあるわけで、実はそれこそが釣り堀でのヘラブナ釣りの面白さではないかと思うところです。


 野池ではどの筋が魚道になっているかなどの分析をして、ヘラブナの居そうなところを見定めで釣りをするのでしょうが、放流されている管理池だとしても釣り堀より圧倒的に数が少ないはずです。勿論1枚の引き味は釣り堀の比ではないでしょうが、ヘラブナに強い引きを求めているのかというとそうではないと思うんです。単に強い引きを求めているだけであれば鯉でも良いはずです。その為に年中鯉を追い掛けている釣り人もいるわけです。


 しかしヘラブナ釣りは微妙な当たりを捉えてタイミング良く合わせるところに面白さを感じるのですから、鯉のようなトンカチで叩いたような消し込み当たりは下品と感じてしまうのでしょう。実は私自身鯉の釣り堀に通っていた時期があるのですが、釣り堀の鯉の場合はそんなトンカチで叩いたような当たりが出ることは殆どなく、ヘラブナの当たりのような一節だけツンと落とす当たりも多かった記憶かがあります。反対に野池のヘラブナの方が余程大きな亜ウタリを返してくれるのではないでしょうか。


 ヘラブナの釣り堀では子供達が相手にしている金魚が簡単に釣れるような池は存在しないと思うのですが、そこに居るに決まっているヘラブナに対してでも如何に口を使わせるかが釣り堀での妙味ではないかと思うんです。連日釣り人に責められて警戒心も相当高まっているはずのヘラブナですから、そうは簡単に針の着いた餌を食ってくれることはありませんからね。
 多分ですが釣り堀のヘラブナはどこかに集合しているということもなく池全体に広く分布していると思うんです。ある程度の差があったところで極端な差はないとするならば、そこに居るはずのヘラブナをどうすれば釣り上げる事が出来るか。一つ一つ理論構成を積み上げて答えを導き出すそこにこそ面白さがあると思うんです。正に妙味と表現しても良いような感覚でしょうか。


 誰でも針に餌を付けさえすれば釣れるのなら熱狂的なヘラフナ釣りファンは出来なかったでしょう。実際体力も必要ありませんので竿を持ち上げられる程度のチカラがあれば良いだけですから、幾つになっても出来る釣りではあるのですが、少なくとも頭の中はフル回転を続けなければ納得のいく釣果が得られないはずで、それこそボーッとしていてはたいした釣果は望めないでしょう。


 どの部分に対して頭を使うかはその時々で違っていると思いますが、頭と指先と目が連動することで釣果が決まってくると思っていますが、その様子は頭をフル回転させて攻めていく詰め将棋のような面白さではないかと思うんです。
 左手で丸める団子の大きさに圧力と指先から感じる粘りの強さを認めつつ、目先は浮きに集中してジャミ当たりかスレ当たりを判断しながら食い当たりを見定め、食い当たりと見定めるやいなや間髪入れずに合わせを入れる。その一連の動作を通じて今のままで良いのか悪いのか、どんな工夫を加える必要があるのか無いのかを判断して、次のダンゴを丸め始めては大きさや圧の強さを加減している。


 うどん餌であればまぶし粉の量やカットするうどんサイズなど、餌の工夫をしながらも浮きの沈む速度に注視して、ヘラブナの集まり具合を確認しながらまぶし粉の付け方を調整しては、時に誘いを掛けて当たりを誘発させたりと言葉にすると長くなりますが、それらを一瞬のうちに考え判断して1枚のヘラブナを釣り上げる。
 その判断の課程を案外楽しんでいるのかも知れないと思ったりもします。朝一番から簡単に釣れてくるより、当たりか出ないと嘆いてから工夫して1枚を釣り上げる。同じヘラブナ1枚ではありますが、釣り人にとっての満足度は随分と違ってくるのではないでしょうか。


 ただどうしても釣果が伸びない日があるんですよね。どうすれば良いんだろうと頭を悩ますのですが、最近は下手の考え休むに似たりで考えるより行動に移すようにしています。それが竿の交換であり餌の作り直しでありハリスの交換に浮きの交換です。そんなちょっとした事をするだけで釣果が違ってくるのですから、やはりなにがしかのことはする方が良いと思うんです。
 反対に何をしても満足のいく釣果が得られない場合もあるわけで、そんな日は正にヘラブナとの知恵比べに負けた瞬間となるのでしょう。知恵比べで人が負けるのですからヘラブナもなかなかの賢い奴だと認めざる得ないのです。本当は生存競争の中にいるヘラブナですから、そのまま命がけですから釣り人は根本的なところで負けてはいるので決して釣り人が勝つことはないのですから、100枚釣り上げたとしても勝ったとはいえないんでしょうね。


 待ちに待った貴重な休日を過ごすのですから満足できる日にしたいです。その為には納得のいく枚数と大助サイズも揃えばいうことはないのですが、何枚だと満足かは一概には言えず簡単に100枚釣れても面白くもなんともありません。周りで竿が立たない中で自分一人釣り上げる事が出来たとすると、貴重な1枚として受け止めることが出来るでしょう。
 ただ貧乏性に出来ている私にとってはやはり1日50枚と大助2枚を目標としたいのです。目標にするくらいですから最近は全く達していないんですよねぇ。良くて30枚台ですから何かが足りないんでしょう。やはり頭の回転が鈍くなってしまっているのでしょうか。


 明日は堺市の西池へ釣行しますが果たして充実した日となるでしょうか。1日でも満足が出来る日が多くなるようにしたいですよね。だって残された日々の方が間違いなく少ないんですから・・・。


 うららかな頭になるには早過ぎます。頭の中をスッキリさせて素早い反応がいつまでも出来ますように。


 ガンバロー!! おーっ