両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 マルキュー2019年度 M-1CAP  全国へら鮒釣り選手権大会 決勝

 今年のM-1CAPは中止となりましたが昨年度の模様がYouTubeで配信されていましたのでお知らせです。



2019マルキユーM-1CUP 全国へら鮒釣り選手権大会 決勝


 競技を見ていますと正直楽しいのだろうかと思ってしまうところがあります。確かに勝負勝負なのですから、真剣になられるのは当然のことであり、一種の名誉を勝ち取ろうとする意気込みのようなものを感じるのですが、競技のヘラブナ釣りは楽しいといえるのでしょうか。


 どんなスポーツでもそうですが、上を目指せば目指すほど楽しみからいつしか苦しみに代わっていくような気がしてなりません。勿論トーナメンターであるご本人がどのように感じられているかによるのですが、ノンビリとした優雅な時間を過ごすヘラブナ釣りから、競技の世界は一般のヘラブナ釣りとはまた違った、まさに見た目は同じヘラブナ釣りでありながら、全く別のヘラブナ釣りのように感じてしまいます。


 このような競技に対する感覚は、単純に私自身の劣等感か自信のなさの表れでしょうが、1枚でも多く釣りたいとの工夫など、突き詰めていくと競技になってしまうのかも知れません。ただ競技を幾ら開催したとしても、釣り人口の増加には役立っていないような気がするのです。各メーカーとしてはもう少し釣り人口を増やすための工夫を考えて頂きたいと思います。ヘラブナ釣り人口の大半を占めている団塊の世代の人達が、一人一人と卒業していく現状を見ていますと、ヘラブナ釣りも衰退していくしかないのかも知れません。それこそ釣り堀の運営も難しくなっていくのでしょうね。
 なにか明るい未来を描けるようなものはないのでしょうか。



 釣りの格言では次のような表現をされています


 「一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。」
 「三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。」
 「八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。」
 「永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。」 


 「一日幸福でいたかったら、床屋に行きなさい。」
 「一週間幸福でいたかったら、結婚しなさい。」
 「一ヶ月幸福でいたかったら、良い馬を買いなさい。」
 「一年幸福でいたかったら、新しい家を建てなさい。」
 「一生幸福でいたかったら、釣りを覚えなさい。」  


 この幸せ感は競技のような真剣勝負の世界ではなくて、心穏やかな人生を送るためのものでしょう。


 そうそうこの釣りの格言はよく使われているのですが、それは釣りをする人が好んで使ったに過ぎず、最後の一生幸せになりたければの後に続く言葉は、人の思いによって違っているのをご存じですか。


 一生幸せになりたかったら、正直でいなさい。 とか
 一生幸せになりたかったら、盆栽を始めなさい。 とか
 一生幸せになりたかったら、編み物を覚えなさい。 とか
 一生幸せになりたかったら、花を育てなさい。 とか
 
 いわゆる一生楽しめる趣味を持ちなさいって事だろうと思うのです。その中でも釣りに対する思いが強い人が作ったのが、「釣りを覚えなさい」だったのではないかとも思うのですが、イギリスの詩人サミュエル・ジョンソンは次のように述べています。
「釣り竿とは一方に釣り針を、もう一方の端に馬鹿者をつけた棒である。」案外これが正解と思うのは私だけでしょうか(笑)。


 しかしそれぞれが代表選手としての実力がありながら、最後には僅差ではなくしっかりとした差が付き、その中には連覇する猛者がいるのですから、実力差が案外ハッキリするのもヘラブナ釣りなのかも知れないですね。


 さぁて私はメジャーな大会ではなくて、仲間内の細々とした大会でお茶を濁すと致しましょう。