両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り プロ釣り師の悲哀

 釣り業界だけに留まることなく、あるメーカーの商品開発に意見を述べる人や、ある部分では広告塔の役割を果たす人達がいます。
 メーカー側からにすれば、その業界で名の通った人物からの推薦文はとても良いコマーシャルメッセージとなります。それは至極当たり前のことで誰も知らない無名の人達の意見など参考にしたくもないはずです。まぁ一部の通販などでは、素人の使用感想を個人の意見との但し書きをして、あたかも効能があるような言葉を羅列して、素人を信用させるようなことがまかり通っています。


 それがその道のプロだとすると、仮に医者が推薦しているから身体に良いに違いないと思わせるのと同じように、ヘラブナ釣り業界(そんなものがあるとするならですが)では名の通ったトーナメンターが、あるメーカーのテスターを兼ねていて、その有名なトーナメンターやインストラクターにあるヘラ竿が如何に優秀かを羅列した推薦文を書かせて、そのヘラ竿を買わそうとする行為は、別に批判されるものではないのはわかっているのですが、正直な感想としてそれで良いのだろうかと思ってしまいます。


 当然新しいヘラ竿を欲しいと思うのも、その推薦文に寄るところは大きいでしょうし、記載内容を鵜呑みにして購入を決める釣り師も多いに違いないと思っています。しかしその推薦文には当然のことですが、決して否定的なことや欠点には触れられていないのです。


 バブル華やかしい頃にはグルメブームがやってきていました。未だにその名残があるようで京都のあるお店の夕食は税込み50,000円のお決まりだけです。これにお酒をプラスすると軽く55,000円や60,000円になってしまいますが、1年先までの予約を受け付ける仕組みではあるのですが、現在もなお予約が取れない日々が続いていますので、その価格でも納得してくれるバブリーな人達が未だにいる証拠でしょう。
 ただの1度の夕食の代金が60,000円でも納得出来る人は行けば良いのですが、そのお店で使わている食材は特別高価なものでもなく、ある知り合いの祇園にあるお店の店主の話では、同じ仕入れ先で仕入れている内容も知っているとのこと、どうしてあんなに高価な提供価格になるのかわからないと言われていました。それに一般のスーパーでも食材を仕入れいるようで、スーパーの方が好きに選べるからだとその予約が取れない店主は言っていましたが、好きに選べたとしてもスタート段階でスーパーで扱う商品ではないかと、個人的には思ってしまいますが、人が下す良い評価が評判を呼び自分で判断する能力を失ってしまった結果、今でもそのお店は続けられているのではないかと、60,000円も出して行けない自分を慰めているのであります(笑)。
 でもね60,000円だとそこそこ良いヘラ竿を買えるんですよ。それを1食に使って翌日は排泄しているだけなんて・・・ねぇ。


 京都にはミOoラOガOドで星を沢山貰っているお店が多数あります。どこがどうとは言いませんが。私の周りの人達には否定的なお店が多いのも間違いなく、それは自分の舌で判断した結果であって、ガイドに書かれているような褒め言葉には左右されないためでしょう。そうそう知り合いの割烹の店主は、マスコミの取材時には原価を無視した食材を使っているそうですから、そりゃあ美味しそうにも見えることでしょう。また本屋さんでもレストランのガイドブックも多数ありますが、当然批判的な文言はどこにも見当たりません。


 最近でこそいわれなくなった言葉に、「鍋釜記者」との表現があります。政治記者がトップに君臨して経済記者・文化記者・スポーツ記者そして食を扱う鍋釜記者の職種がありました。今ではデジタル記者なる記者も存在しています。
 マスメディアの記者は政治記者こそ国家に対する番人の役割を担っているとの自負があり、経済記者も不正に対する番人的役割もあるでしょう。しかし鍋釜記者は決してあの店は不味いとは書かないのです。それこそ味の評価は主観的なものでしかありませんので、私は不味いと思ったとしても他の人は美味しいと思う可能性がありますので、一方的な評価は書けないので、結果的に褒め言葉しか羅列出来なくなってしまいます。


 別に釣具メーカーのお抱えテスターも同じだとは言いませんが、決してこの竿は駄目だとは言えないのです。勿論発売前に駄目なところは改善されているはずですから、否定的な評価にはならないのかも知れませんが、少しでも良いところがあればそれを取り上げて、味のある竿だとか良くわからない苦肉の表現を使って誤魔化しているようです。それでもこの竿よりあの竿の方が使いやすい評価はあるはずですが、そんな事は口が裂けても言えないでしょう。
 そんな褒め言葉の羅列の中から、自分が求めている部分に合致したところがあれば、その竿を求める意味があると思いますが、漠然と新製品だから買いたいと思うことは、まさに衝動買いと同じで買ってから失敗した!ってことになりかねません。


 あるテスターさんは、今ではオールマイティーの竿を選ぶのではなく、「タナでサオの長さを選ぶのではなく、欲しい性能でサオを選ぶ時代。1本でなんでもこなすのではなく、特性を活かしたサオ選びができる。」となかなか苦しい推薦文を書かれています。
 仮にそうだするのならば、単に硬調は釣り堀の大助用とか野池の乗っ込み用との区分けではなくて、どんな釣り方にはこの竿が適しているとの推薦文を書いて貰えると、私のような素人釣り師には竿選びに迷うことはないのです。


 浅棚専用竿、チョウチン専用竿、団子用竿にうどん用竿なんて区分けされていると、甚だ簡単に竿選びができるのですが、それではメーカーとしては数多く買って貰う事が出来ませんので、こんな要望が届くはずはないのですが、メーカーのお抱えとなってしまった結果、好きなことも言えなくなっている事に少しの同情を感じつつも、無料で試供品の提供を受けたり、お抱えによる収入を得ているプロなのですから、その対価と引き替えに褒め言葉の羅列をする辛さはたいしたことはないのでしょう。


 しかし気楽に好きなことが言えるって幸せですよねぇ。自由主義のなせる技でしょうが、その恩恵を受けながらこれからも的外れなことを大いに語っては自己満足していくことにしましょう(笑)。
 でもね新製品が出るとどんな調子だろうと気になるんですよねぇ(笑)