両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 老人よ、大志を抱け!

 世間には良く知られた格言名言が多数あります。
 その中でも米国人クラーク博士による「少年よ、大志を抱け!」なる名言は誰でもが知っていることでしょう。
 クラーク博士は札幌農学校(現北海道大学)の初代教頭でありますが、実質的な校長の立場だったようです。植物学を教えていた教授ですが、日本では賢人知識人としてつとに有名ですよね。
 ただ彼は晩年鉱山事業に成功するも横領を繰り返し後に逃亡して会社は破産、その破産で訴えられるような晩年を過ごしたのですが、59歳の若さで失意の内に亡くなっています。


 札幌農学校にはたった9ヶ月しか滞在していず、農業教育の振興を図ったとのことですが、立ち去り際に放った言葉として残っているのがBoys, be ambitious 少年よ、大志を抱けとの名言として語り継がれています。
 ただこの言葉には諸説あり、日本人的感覚の学生に言い残した言葉というよりは、「じゃあなあばよ」って程度の内容のものだともいわれています。「また少年よ、大志を抱け、但しお金を求めるような大志であってはならない。」と続いていたともいわれているのですが、私的にはもう一つの説を支持したいと思います。それは


 「少年達よ、野心的でありなさい、この老人のように」
 「Boys, be ambitious like this old man」


 どうでしょう。但し赴任当時既に50歳でありたった9ヶ月でしたので、どれほどの功績があったのかは全く理解出来ませんが、野心があってアメリカに戻ったのは間違いなく、帰国後はマサチューセッツ農科大学の初代校長に就任しているのです。
 ただ全述しましたように、訴えられるような晩年を過ごしていますので、お金を求めるような野心を持っていたのは皮肉なことです。


 いつものように脱線のし過ぎですが、ヘラブナ釣りに於いてどんな野心があるのでしょう。それは当然人より多く釣り上げたいですし、人より大物を釣り上げたいのは間違いないでしょう。野池組だと夢の50㎝オーバーを追い続けるのは、まさに野心そのものですよね。


 現代っ子は休日でも家から出ることがとても少ないらしいですが、屋外の楽しさを教えて上げるのも大人の役割でしょう。その中で釣りも楽しいものだと理解させるためには、実際に竿を持たせて釣り上げる感触を味合わせる必要があります。そういう意味では、ヘラブナ釣りはとてもハードルが高いですから、取り敢えず釣りやすい魚から始めて釣り味を覚えさせ、難しいからこそ面白いのだとする、まさに抜け出せない迷宮の道に誘い込むようにすると、これからのヘラブナ釣り界も維持出来るのではないでしょうか。
 といって魚を触ると生臭いから嫌だ!ってことになると、ヘラブナは臭い方の部類に入ってしまいますから、その生臭さより楽しさが優先するように導きたいものです。


 現状のヘラブナ釣り界は、池を見回してもお年寄りばかりではお先真っ暗です。子供達孫達を連れ出して興味を持たせその上で、もっともっと野心的であることが成長へと繋がる事を覚えさせる必要があるでしょう。
 その為には、自分自身も野心的である必要があるのですから、枯れてしまうにはまだまだ早いのです。先日の91歳のご老人のように、大助を狙いたいとの野望は見習いたいものですよね。


 
 登山家のジョージ・ハーバート・リー・マロリー氏は、記者にどうして山に登るのですか?と問われて答えた言葉が、「そこに山があるからだ」と応えたとなっていますが、正確には「どうしてあなたはエベレストに登るのですか」と問われて、「そこにエベレストがあるからだ」と応えたのですが、実はこの言葉も諸説あるのですが、本来の意味としては何度も何度も記者達から同じ質問が繰り返されていたため、応えるのが面倒になったマロリーが発した言葉が、「そこにエベレストがあるからだ!」と投げやりに応えたに過ぎないのです。
 彼は実質3度の挑戦をして3度目にエベレスト山頂付近で消息を絶ったのです。それから75年後の1999年になってマロリーの遺体が発見されてこの登山家の冒険は終演を迎えたことになります。


 何の話をしているんだ?って事でしょうが、あなたはどうしてヘラブナ釣りをしているのですが?と問われたらなんて応えるのでしょう。そこにヘラブナがいるからだとでも応えますか?


 私的には、色々な釣りを経験してきて思うことですが、多分釣ること自体が難しいと言われながらも、一番数多くの魚を簡単に釣り上げる事が出来る魚がヘラブナだと思うんです。
 渓流のアマゴやイワナは、それこそ放流間近であれば至極簡単に釣れてしまいますが、時と共に釣れ難くなり20引・30匹なんて釣れなくなってしまいます。
 海釣りでもイワシやアジ・サバのようなサビキ釣りで釣り上げる魚は別とすると、そう容易く多数釣り上げられる魚は少ないでしょう。


 ヘラブナ釣りのとっかかりはなかなかハードルが高いのですが、それを乗り越えると案外その後は誰にでも釣りやすい魚ではないかと思うのです。勿論釣技の差が確実に出るのも間違いありません。
 仕掛けと餌の準備さえして貰えれば、ビギナーが見よう見まねでもそれなりに釣り上げられるのも間違いないと思っていますが、初めて全てを自分で準備をする段階で知識の差が出てしまいますので、準備して貰っていた時と比べるとそうは簡単には釣れなくなってしまいますが、だからこそ面白いと言えるチャンスが来たことになります。


 マロリーがエベレスト登山に3度も挑戦して、最後には帰らぬ人となったのですが、登頂が難しいからこそ登山家が命をかけて冒険を繰り返したのでょう。別にヘラブナに命をかけることはありませんが、いやその昔は崖にロープを括り付けて釣り場まで命がけで降りた輩もいるのですから、その昔はヘラブナ釣りも命がけだったのかも知れませんが、流石に今ではそんな無謀なことをする人はいないでしょう。
 難しいからこそヘラブナに挑戦し、その答えが釣果となって応えてくれるのですから、その喜びに伝えることが出来ると、ヘラブナ界はもう少しは安泰となるはずです。



 少年よ、野心的でありなさい、この老人のように
 難しいからこそ、挑戦する心を持て
                ・・・と伝えるのは如何でしょう


 煩い!ジジィーっ!向こう行け!!
 なんでヘラブナなんかに野心的になれるねん!
 なんでヘラブナに挑戦的である必要があるねん!
 俺は忙しいわ!


 なんて言われても責任は持てませんが、現状のヘラブナ釣り界は、ジージなんて呼ばれていた昔を懐かしむ余裕は既にないのであります。


 最後にもう一つ、エジソンの言葉で有名なものとして次の言葉があります
 「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。」
 この言葉を聞いた後世の人は、特に日本人は99%の努力の部分を取り上げて、努力することが良いのだとなっているのですが、この言葉で重要だったのは、最初の1%のひらめきの部分にあるのです。そのひらめきなしに努力しても無駄な努力でしかないのです。
 1枚のヘラブナをどうして釣るかなんてことを目指しているのは意味が無く、50枚のヘラブナを釣り上げるにはどうすれば良いのかを考えることで、色々と失敗を繰り返す意味があるのでしょう。


 また、エジソンは、
「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。」
 色々と試してみて、コレは駄目な攻め方だったと知る事も重要な事ではないでしょうか。


 老人よ!野心を持て、そして常に挑戦をし続けて答えを探すようにしょう!


 それはボケ防止になるのですから(笑)。