両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り コレで良いのだ!

 毎日曜日にヘラブナ釣りをして楽しんでいるのですが、その楽しみであるはずのヘラブナ釣りに身が入らないことがあります。気力の欠落といいますか、どうもチカラが入らなくなってしまいます。当然そんな時の釣果は一気に減ってしまうのですが、仮に爆釣出来たとしても、そんなに喜びを感じることはないのかも知れません。


 いったいこれはどうしたことなんでしょうね。
 その昔に海釣りばかりしていたときがありました。実際海釣りの方が経験が長いのですが、大学時代だったのかすっかり忘れてしまいましたが、何日も連続で海釣りが出来る機会がありました。その時これは楽しい日々になるだろうと思っていたのですが、現実は精々2日目まででそれ以降は面白くも何ともないのです。当然気力が落ちたと同時に釣果も半減どころではなくて、見る影もない程の貧果になってしまいました。その翌日は釣りをしたいとも思わなくなってしまったのです。


 その原因の1つはは単独釣行だったためでしょう。どんなに釣果が恵まれたとしても、共に喜び合ってくれる友がいなかったのです。当然喜びも半減してしまいますよね。反対に良い釣果に恵まれたとしてもその魚は買って帰った?と家人に不審がられる始末ですから、自分で釣った!と言い訳も何となく虚しいのです。


 もう一つの原因は、実はこちらの原因の方が大きいとは思うのですが、忙しい日々の連続であり、早く釣りに行きたいとの思いを膨らませてやっと訪れた休日に釣行する。この開放感と充実感こそが、釣りの楽しさを感じる最大の要因ではないかと思うんです。それこそ毎日釣りが出来る環境になったとしたら、釣りを辞めてしまうのではないかと思うこともあります。
 そういう意味でも、職業漁師はあくまでも職業であって釣りが楽しいわけではないはずです。希に釣り好きが高じて漁師になった人もいますが、果たして今までのような楽しさを感じ続けられているかは大いに疑問です。


 どんな趣味でもそうですが、好きな事を仕事にするとその瞬間に苦痛に切り替わると思うのです。苦しみこそ楽しみだなんて感じる人は別として、一般的な人達には日々のストレスから解放してくれるのが趣味であるはずです。
 それが仕事となった段階でストレスの原因となるのですから楽しいはずがないと思います。そういう意味でもヘラブナ釣りを仕事となってしまったインストラクターは、苦しいばかりのような気がします。
 あるメーカーのお抱えとなってしまう事で、そのメーカーの品は如何に優秀であるかを毎回説く必要があるのですから、コレは駄目だと思っていたとしても褒める苦痛は大変なストレスとなっていないでしょうか。
 また今の時代は映像で公開することが多いため、ある程度の釣果をあげなければ絵にならないですよね。そのために何が何でも釣り上げなければならないのですから、そのプレッシャーも並大抵のことではないでしょう。


 私のようにこれは良いコレは使い難いなんて無責任なことを、このブログで日々つぶやいていますが、メーカーの縛りがあるわけではありませんし、メーカーの人が見聞きしたとしても素人のつぶやきですから気にも留めないでしょう。
 でも、そのメーカーの品物を使うのはインストラクターのようなプロではなく、私と同じような素人が圧倒的ですから、腕の伴わない素人の判断こそ意味があると私には感じているのです。な~んてつぶやきも素人が所以です(笑)。


 ヘラブナ釣りを趣味にしている方の多くがベテラン揃いです。30年40年50年60年ととても長く続けられているのですが、その間道具類は進化を続けています。その進化のお陰で体力の弱り出している方も釣行を続けられるのですから、メーカーの売らんが為だとしても、進化の恩恵をありがたく受けているわけです。
 あれが良いこれが良いと宣うためにも、また新しいヘラ竿を試してみたくなります。その道具類を持ちたいとの気力も、納得出来る釣果と共に仲間達が必要なのかも知れないです。堅苦しい釣りクラブはどうかと思いますが、同じ日の同じ時間を共に過ごすことが出来ると、貧果もまた楽しからずやって事です。


 ただそんなヘラブナ釣りだとしても、家庭環境が安定すればこそでしょう。自分自身の病気などもありますが、家族に何か心配事があるだけでもヘラブナ釣りなんか悠長に行っているわけには行きません。
 日曜日の度に朝早く起き出して釣行に行けるだけで、実はとっても幸せだということに気がつくと、また違った感覚で釣り糸を垂れることが出来そうですよね。


 そうなると毎回釣果を気にしている私なんか、とってもバカに見えてきますよねぇ。


 う~ん・・・コレは困った。。


 しかし、そんなバカなことを言っていられる間が花だと考えるならば、


 コレで良いのだ!


 とバカボンのパパの言葉が頭を過ぎるのであります。