両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 旧友の存在とは

 ある釣り人の話です。いつも御神酒徳利で釣行を重ねてきた釣友が、別の釣友と連れだって他の池に行かれています。その別の釣り人は、他の池の方が調子が良い様子で、その池に行きたいとの願望されるので、気の優しい釣友は連れだって別の池に行かれています。残された旧友は従来通りの池に来られているのですが、とても寂しそうな様子が見て取れます。
 失礼な言い方をするとすれば、男の嫉妬との表現が似ているとは思うのですが、とても寂しそうにしておられるのです。釣り姿も張りがなくなったような、釣りに掛ける熱意がすっかり冷めてしまったようにも見えてしまいます。
 数十年も連れだって釣行を重ねられてきたのですから、どこか気の置けない仲間としての思いも高かったのでしょう。一心同体となって東奔西走しては、ヘラブナを追いかける仲間意識が、支えを失ったかのような又は裏切られた感のような、好きな女性を取られたかのような失望感、この表現が1番理解しやすいかも知れません(笑)。


 普通に考えたら、その釣り人も一緒になって他の池に行かれたら良いだけの話です。ですが、その池には自分の池のように振る舞う主がいます。その主と反りが合わないので、決してその池には行かれないのです。釣友もその事情は知っておられるのですが、それでももう一人の釣友の希望に添って、その池に行かれているのです。
 実は私もその池には行きたくないのです。勿論その主の存在が最大の理由ですが、池の作りも私の好きなタイプではないので、もう何年も前に訪れてから足が遠のいていました。それがつい最近その釣り人に誘われて訪問したのですが、やはりその主が現れ印象が全く変わっていなかったので、釣りの準備途中でしたがとっとと片付けて帰り支度をしました。


 彼の人は、誰よりも早く池に到着して釣りの準備をし、他の釣り人が来るのを今や遅しと待っておられる。釣りの最中は、それは楽しそうに話し声が聞こえてきます。釣り道具を仕舞い帰り支度が整った後にも、釣友と長く話を続けては、釣り談義に花を咲かせて折られる。
 私のような素人相手でも、それなりのお付き合いをして頂けているのも、釣り人らしい気の優しさから来るものであり、ヘラブナ釣りをこよなく愛されていて、ベテラン中のベテラン、名人中の名人と誰もが一目置く存在の人ですが、釣友を失ったかのような寂しさは、傍から見ていても痛い程わかります。


 ヘラブナ釣りは、若者から見向きもされず、年々歳が嵩み続けているのが現状で、そういえばあの人見なくなりましたが、お元気にされているのでしょうかとの話題になります。男は、女性程誰でも話が出来るものではありません。女性などはバスで初めて隣り合った女性と気さくに話し出し、それこそ身の上話まで発展してしまいますが、男は黙ったままで何を考えているのかわからない、池で何度か出会って初めて朝の挨拶を交わし、また一言話すようになったとしても、それ以上に発展するには至極時間が掛かってしまいます。


 気の置けない友人が他の池に行き、1人取り残された釣り人のなんと寂しげか。


 私が心配しても始まらないのですが、どうしても元気になって欲しいと思うのです。ついついお節介にも電話を掛けて、待っておられますよと言いたいのです。


 確かにヘラブナ釣りは静の釣りです。先日の清風池では、大きな声でずーっと話し続けている釣り人達がいました。多分池中に響いていたことでしょう。他の釣り人達は静かに静かに釣られていて、偶にヘラブナの立てる水の音がバシャバシャと聞こえてくる、そんな静かな池であったにも拘わらず、そのグループは耳障りな会話をされていました。
 清風池の固定桟橋は一人一人の間隔が広くて、確かに小声では聞こえないとは思いますので、ひょっとしたら和気藹々とした雰囲気だったのかも知れませんが、止まらない話し声には閉口しました。


 前出の釣り人は、確かに静かな方ではないと思います。仲間内では笑い声も聞こえるような雰囲気の中で話されています。ひょっとしたら不快に思っている方もいるかも知れませんが、機関銃のように話し続けられているわけではありませんので、私としては許容範囲ですし、偶には間の手を入れてみたりと会話に参加します(笑)。
 他のグループは、私の知る限りとても口汚く話されています。指摘された釣り人がどうして怒り出さないのか不思議ですが、大会になると一緒になって釣行されているのですから、外野ではわからない仲間意識のようなものがあるのでしょう。


 釣友をどのように大事にするかは、それぞれの考えかたですし、どの程度の近さに保つのかもそれぞれが違っていることでしょうが、ある一定の歳を重ねてから、男が新しい友達を作るのは難しいと思うのです。自分の都合だけで考えるのではなく相手がいる。それを尊重することで長く釣友として付き合うことが出来るのでしょうね。


 釣行は仲間内で行くより、釣り時間の感覚は人それぞれですから、もう帰りたいと思っても友人はまだ釣りたいと思っている。反対に友人が早く帰りたいと思っているのに、自分だけはまだ釣り続けたいと思っている。そんな釣り時間の感覚には違いがありますので、案外一人の釣行の方が気楽で良いのもよくわかるのですが、ある年齢になるとそれもまた寂しいと思うようになるのでしょうね。


 旧友の存在は、そんな釣り時間すら共有出来るために、長く続いた仲間だったのでしょう。そんな存在はやはり大事にしたいと思います。


 さて、電話しましょうか。。