両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り かい掘りは危険

 最近テレビなどで外来駆除と称してかい掘りされるています。かい掘りとは掻い掘りと書くのですが、池の底で溜まったヘドロなどを掻き出すことから掻い掘りというのですが、今ではバキュームカーで吸い出して産業廃棄物となり簡単に処分はできないのです。
 つまり掻い掘りとはヘドロを除去し天日干しをして綺麗な池にする事を意味します。


 元々かい掘りは農業用ため池の維持管理方法で、一定以上の水の確保や水質汚染の防止など、あくまでも農業用水として利用するためのものでした。それが昨今の外来魚の繁殖や危険生物の駆除そして見た目に綺麗な池を取り戻したいなど、池の維持管理とは少し違う意味合いでかい掘りが行われるようになりました。


 その結果何が起きているかですが、確かに水質の改善は認められるのですが、同時に水が綺麗になりすぎてしまった結果、魚の住まない池になってしまっているのです。


 故事ことわざに「水清ければ魚棲まず」といいます。これは清廉であればある程孤立してしまう事を意味しているのですが、水が綺麗すぎると魚の食する餌となるプランクトンや水草も少なく、魚が住めない環境になってしまっているのです。
 また鳥からも魚が発見しやすくなって捕食されてしまう事も大いに関係していることでしょう。


 時間と共に藻が繁殖しプランクトンが増えてまた水も濁りだして、やっと魚が増えて飛来する鳥も増えるようになり、生命溢れた池が取り戻されるようになります。実際プールではないのですから何がなんでも池を綺麗にする必要はないはずです。


 では釣り堀はどうでしょうか。釣り堀は釣り人が使用される餌の量も多く、ヘラブナを維持管理するために餌も撒かれているはずです。その食べ残しなどが沈殿してヘドロとして底に溜まり、水質の悪化を招いてしまいます。そのために関西ではうどん限定池が多かったのです。
 ヘドロが溜まり出すと撒かれた餌をヘラブナが食べようとしても底のヘドロに埋もれてしまって食べられず、またその食べ残しが余計にヘドロ化してしまって沈殿するヘドロが増えてしまいます。


 釣り人は当然のように釣りやすい方を好みます。ヘドロが溜まってない方がより釣りやすく、魚も健康で元気に泳ぎ回ることが出来ますので当然といえば当然のことですが、どうして水が濁っている必要があるのかです。


 ヘラブナ釣りをしていて次第に集まった事が水面から見て取れますが、その集まり具合が底まで見えていたらどうでしょう。極端な話としてヘラブナが全くいないポイントで竿を出しているかも知れませんが、そこにヘラブナはいると信じて浮きを見続けられています。
 しかし全くいないことが見て取れたとすると誰もそのポイントに入ろうとはしないでしょう。当然多く集まっている場所に集中するでしょうしその場所の取り合いが始まってしまいます。


 まぁそこまで極端な透明感ではなかったとしても、見えないからこそ当たりの出ない中でも浮きを見続けられるのではないでしょうか。


 では実際の話として釣り堀でかい掘りをするとどうなるかですが、ジャミが減り底が綺麗になってとても釣りやすくなります。一頃は入れ食い状態に持ち込むことが出来るのですが、次第にその食いは落ちて以前のまま難しい釣りを強いられてしまいます。


 ホンの一時のために数百万も掛けてかい掘りをする必要があるのかです。一時しのぎのかい掘りをするのであれば、それ以上に水の入れ替わりを多くして水質の維持管理をする方が建設的な作業でしょう。


 人は安易に釣りやすさを求めてしまいますが、簡単に釣れるとヘラブナ釣りは面白くなくなってしまうと感じています。難しいからこそ釣れたら面白いと思うのですが、これは余り釣れない私の僻み根性が言わせる台詞でしょぅか。


 実際の話として釣り堀の維持管理は大変なことでしょう。ただでさえ釣り人人口が減っているのですから、少しでも長く釣り堀の営業を続けて戴くためには、釣り人もクレームをいうことなく池の汚れを防止するために、余った餌は池に捨てない、切った仕掛けは持ち帰る、特に針の交換はそこらに捨てると危険ですから必ず持ち帰って処分するようにしましょう。


 少しでも長くヘラブナ釣りを出来るために今何が出来るかを考えなければならないのではないでしょうか。
 な~んていってますがいつもは文句たらたら釣れない!!と嘆いているのであります。