両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 大型魚こそ嬉しいのは関西文化?

 ヘラブナ釣りをしていてどんなヘラブナを釣り上げると嬉しいですか?。魚体の美しさでしょうか。大型サイズが釣れたときでしょうか。重量のある太ったヘラブナを釣り上げたときでしょうか。


 関西と関東とではヘラブナに対する評価基準が違っているような気がします。または競技会の競技内容による違いも大いに関係しているかも知れませんが、1枚のヘラブナに対して関西では何㎝とのサイズを重視しますが、関東では何㎏との重量を重視するのではないでしょうか。
 確かにメーカー主催の競技会などではサイズや枚数ではなくて総重量の勝負のようですから、1枚のヘラブナも重い方が良いのでしょう。


 関西では元々の釣り堀文化として買取制のある本釣り形式でした。買取をしない釣り方を楽釣りと表現しますが、ヘラブナに限らず鯉の釣り堀でもサイズが重要でした。ただサイズだけでなく昔はフラシを使うことも可能でしたので、フラシに入れて重量を量る重量競争もあったのですが、時代と共に魚体保護の観点からフラシに入れず重量の買取制はなくなりサイズのみとなって行きました。


 関西でも一部メーカー主催の大会が開催される池では、大会時のみフラシの使用を許可される場合がありますが、多くの池では使用禁止になっています。
 重量の買取制のあった時期には、フラシに入れる枚数というか重量の上限があり、それを超える重量を入れている場合はカットされる仕組みでした。仮に10㎏までと規定されていたとすると11㎏あれば1㎏はカットされて10㎏とカウントされます。1㎏20円や30円の買取だったはずですが、その総重量でも当日の順位が決まりその買取金額以外に順位賞がいただけました。
 同時にサイズでも買取が行われていてまたその順位賞もありと、釣り上げれば釣り上げるほどまたサイズによって買取の金額差や順位賞がいただけるシステムが採用されていたのです。
 その内魚体保護のためにフラシの使用が禁止となり重量による買取がなくなってしまいましたので、サイズによる買取だけが残った勘定で余計にサイズに対する関心度が高くなった感がします。


 その文化のためなのかどうかは知りませんが、長寸こそ重要な指針となっていましたので大助を如何に釣り上げるかと腐心するのです。


 どうして関西では買取制が取り入れられるようになったのかは知りませんが、未だに買取文化は残っていてサイズによって金額が違っています。ただ昔のように現金を渡されることはなく、その釣り堀で使える金券という形で渡されるのが一般的となりました。ただ一部堺市の西池のように月間タテの内の飛び賞では30位が3万円という現金が渡されるのですから、西池では釣りを楽しむというより大物を釣り上げて賞金を稼ぐ、まさにパチンコ店の様相を醸し出してしまっているのは少し残念で、良いサイズを検寸場に計りに行こうとすると釣り人達が釣りを中断して玉に入っているヘラブナのサイズを確認するような視線を送ってきます。これには少しばかり閉口しますが行き過ぎた感はしなくもないですね。
 まあ日曜タテとして5位までが入賞圏内ですからその気持ちもわからなくはないんですけど・・・私自身も入賞出来たと喜んでいますからね(笑)。


 西池の例は極端な話ですがホームの釣天狗池でも大助の買取制が残っています。但し低額になってしまって100円の買取です。月間タテもコロナ禍で中止されていますので、目の色を変えて必死になっている姿は見受けませんが、買取金額の低下や月間に日曜タテの廃止によって釣り客が減ってしまったのも間違いのない事実です。天狗池は釣技を磨くことで釣り上げる枚数も飛躍的に増えるようなとても面白い池なのですが残念ですね。


 買取制は横に置くとしても良いサイズを釣り上げたいとの思いはヘラブナに限りません。黒鯛では50㎝越の年無しと称するサイズを釣り上げたいですし、カレイでは40㎝を超える座布団級を釣り上げたいと思っています。
 関東では50㎝の黒鯛に年無しのような名前はないのでしょうか。カレイの大型を座布団級とは言わないのでしょうか。大型のアイナメはビールビンですしキスの大型は肘たたきです。大きさに対する表現は関西特有のものなんでしょうか。


 このように関西では長寸こそ評価の対象であって何㎏あるなんてことは言わないのです。そうそう出世魚は何で区別しているのでしょう。ブリの呼び名は関東と関西とは違っていますが、関西ではモジャコ・ワカナ・ツバス・ハマチ・メジロ・ブリ。たしか関東ではモジャコ・ワカシ・イナダ・ワラサ・ブリだったと思うのですが、この呼び名は関西ではサイズによって呼び名が違っていて80㎝を超えるとブレと呼びますが関東では重量で違っているのでしょうか。セイゴ・フッコ・スズキもサイズによりますし、寿司ネタ出有名なシンコ・コハダ・ナカズミ・コノシロもサイズのはずです。ボラだってサイズだと思うのですが、どうして釣魚を重量で優劣を争うような表現をするのでしょう。


 しかしいくら大型が釣りたいと思ったとしても40㎝級のヘラブナしか放流していない池で40㎝を釣り上げて面白いは思えません。30㎝平均で釣れる池だからこそ40㎝越が釣れることはとても大きな歓びと感じていると思うのです。


 ただ釣っても釣っても良いサイズが釣れない状態で他の釣り師が大助を釣り上げると悔しいくて、それこそ必死になって浮きを見つめるのですが私には釣れないんですよねぇ。でも釣れないより小型でもそれなりに釣れると嬉しいのですが、贅沢を言えばそこに1枚の大助が混ざることでその歓びが倍増するのですから、幾つになっても童心のままというと子供達に怒られそうですが嬉しさが倍増するのは間違いのない事実です。


 その嬉しさが倍増する大助が2枚3枚釣れて全体として50枚を超える釣果だと、その嬉しさで次の週をストレスもなく快適に過ごせるのです。私の歓びはとても安上がりというか目標が低いというか、やはり子供っぽいと言うべきでしょうか(笑)。


 ところで・・・野池組では夢の50㎝との表現を聞くのですが、関東では夢の3㎏とか言うんでしょうか。いや実際50㎝の重量は知りませんけどね。