両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 1%のひらめき

 政治の世界では朝令暮改が取り上げられていますが、この場合の朝令暮改とは時の権力者が下した判断がコロコロと変わることであり、庶民がそれによって苦しまされる場合に使われる四文字熟語ではあるのですが、もしそれが改善するための速やかな変更だとするならその時期の情勢に合わせてこそ意味があるわけで、相も変わらず昔の名前で出ていますは良くないのではないか。それこそ膠着した考え方にこそ弊害があると思うわけです。


 当然ここでは政治の話は全くするつもりはなく、また朝令暮改は苦しめられた庶民の感情を表しているのですから、ヘラブナ釣りは別に誰からも命令は出ませんので朝令暮改そのものは当て嵌まらないのですが、政治の世界で語られ出している朝令暮改を見て少しヘラブナの世界へと思考を飛ばしてみた次第です。
 つまり今回は単純にコロコロと変わるという意味で取り上げていますから、それは違うぞ!の突っ込みはご容赦下さいませ。


 今回私のいいたいことは固着した釣り方も改善する余地があるのではとの意味です。相変わらず昔のままの頑固に釣り方を変えないのは、ただの膠着した頑固な石頭親父であって釣技の向上とは程遠い考え方だと思うのです。
 いやいや釣れなくても糸を垂らしているだけで満足だと太公望のような心境になっている場合は別ですが、やはり釣れないより釣れた方が楽しいに決まっていますので、その楽しみがより多く味わうためにはコロコロと変えてしまう方が良いのではと思うのです。
 確かに一時期はその釣り方でも良かったでしょう。また場合によっては今も通用する釣り方でもあるはずですが、1枚より2枚、10枚より20枚と釣り方を改善することで釣果が飛躍的に伸びるとするならば、少々変化を付けても良いのではないかと思うのです。


 先ずは従来通りの釣り方でスタートします。それで自分で満足が出来る釣果が得られればそれでいいのですが、もし少しでも不満があるのだとすると何らかの変更をすべきではないだろうかと思うのです。


 それは残念ながら腕は交換できませんから私のような下手くそな腕を補うべく、アレコレと挑戦していく事になってしまいます。改善点は一体どこにあるのだろうかと探るわけです。
 浮き1つ取り上げても全長の違い胴の長さや太さの違いに材質もカヤや羽根ち違っています。トップも長さやムクやパイプと違っていますし足の素材はカーボンなのかグラスまたは竹と色々と出てきます。
 オモリも板オモリが1箇所なのかそれも2箇所に止めているか。ハリスの太さや長さそして段差は何㎝あるのか。針の号数や形状の違いそして軸の太さなどもそれこそ多数あります。
 道糸の太さに関係するその日の水流や風の強さなども大いに影響が出てしまいます。


 時期によっては水温や気温が違っています。ヘラブナの行動も当然違っていて春前には産卵のために荒食いを始めます。産卵後は休養を取る時期がありますがまた食い出す時期が訪れ、冬期には寒さに耐えて食いを減らしていることもあるでしょう。


 これらの組み合わせは一体何通りあるのでしょう。微妙な違いも入れると天文学的な数の組み合わせとなってしまうのではないでしょうか。その中から藤井五冠のように最善手を見つけるのは殆ど無理な事にはなるのでしょうね。


 だとしても様々な要素がある中で1年中で変わらない仕掛けや攻め方で良いはずがありません。その変わり目はハッキリしていないのですから今日からかも知れませんし、何のことはない午前と午後が変わり目だったかも知れません。いつ何時どんな変化が訪れるか解りませんので、その時々に神経を研ぎ澄ませて対応する必要があるはずです。それが出来ていないと今日は釣れないとかこの池は釣れないと、自分の対応が合っていないだけなのに他に原因を探してしまいます。


 勿論この仕掛け全般だけの話ではなくてその日に使用する餌も大いに関係するのは間違いありません。餌1つを取り上げても饂飩だとして太さや比重の違いやまぶし粉の種類と案外多数あります。団子餌やグルテンとなると餌の種類だけでなく水加減や混ぜる回数に圧の掛け方と、それはそれはもう考えたくなくなるほどの選択肢が存在します。


 また同じ池でありながら入るポイントによっても釣果に差が出るのですから、たった1日の中でコレが正解だなんて答えを導き出すことは至難の業でしょう。
 フットワーク軽くポイントの変更や仕掛けの変更など、面倒がらずに何かをすることで釣果が変わることがあれば、それが例え釣果が減ったとしてもその組み合わせは駄目だったと解るわけです。


 エジソンが残した有名な言葉があります。「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」と、よく勘違いされているのですが99%の部分を取り上げてしまって、日々の努力が必要だとする教え方です。実はそれは大いなる間違いであって最初の1%のひらめきこそ重要だってことです。最初の1%のひらめきをなくしていくら努力してもただの徒労でしかないのです。


 エジソンの残した正確な言葉は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」というものなんです。誰が言い出したか知りませんが、「偉業を成し遂げるのにはひらめきよりたゆまぬ努力のほうがずっと大事だ」は大いに間違いだと指摘できます。
 ヘラブナ釣りに於いてもこうすればどうなるのだろうとひらめきや着想をもって試す事で、新たな1ページが開かれると思うのですがどうでしょう。


 でもね。アレコレすることで釣果が伸びる事もあれば撃沈することも有りで、餌の数は増えるばかりになってしまいます。不思議なことに1度駄目だと結論付けた餌も時期を変えればとても有効な餌だったりしていますので、1度や2度で結論を出さないことでしょうか。
 ただね、幾ら工夫を重ねて釣果が良くなったとしても大助は応えてくれないんですよねぇ。


 大助は釣りたいけれどもし大助しかいない池だったとすると、大助を釣り上げた歓びははるのでしょうか。尺前後のヘラブナが多数いる中で大助を釣り上げるところに歓びがあるのではと思うのですが・・・平均サイズが大きすぎるのも考えものかも知れませんね。