両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 1日2度の釣り始め

 朝からはそれなりに調子よく釣れ続けていたとしても、いつもいつも何故か陥ってしまう中弛み現象。これはいったいどうした事なんでしょう。私の釣り方が間違っているのか、ヘラブナ釣りとはそんなものなのか。実際はどうしたものなんでしょう。


 最近少し思うのですが、中弛みが起きてしまうとなかなか改善する事が出来ません。色々と試しはするのですが、確実な改善策を見いだす事が出来ないでいます。では中弛みが起きることが当たり前の現象だとすると、釣れる間に数を稼ぐ方が良いのではないか、釣れる間に後のことは考えないで釣ってしまおうって寸法です。
 よく床休めって方法もあるのですが、休めていて良くなった事も非常に少ないのです。それこそランチの時間は休めている事になりますので、改善しそうなものですがそれは床休めする時間が少ないのでしょうか。


 いずれにしても中弛みのきっかけとなるランチ後は竿を交換して初めから釣る感覚で釣り始めるって事で何とかならないかと思うのです。
 それって同じ事や!って突っ込みが入りそうですが(笑)。仮に15尺で釣っていた場合でランチ後は8尺で釣り出したとすると、それこそ15尺のポイントとは随分と離れているので、午前中の釣りの影響はないと思うのです。


 このような極端な竿の尺数の変更は、まさに昼から始めから釣り出した事にならないでしょうか。そうなると中弛みとは関係なくヘラブナを寄せる事から始める事となりますので、結果的に1日中調子良く釣れるような気がするのですが考え方が甘いですかねぇ。


 1日の時間は案外長いもので尺数の変更は思ったより簡単なはずですが、ついつい面倒なことと次の振り込みによって釣れてくるだろうとの思い込みによって、尺数の変更に手間取る時間が勿体ないというかなかなか思い切る事が出来ないでいるのですが、午前と午後でリスタートを切るのですから、釣り初めを2回もできるのですからまだ諦めが付くというか2回釣行した気分に・・・無理ですねぇ(笑)。


 中弛みになる原因の1つとして、餌に酔ってしまったとの表現が使われる事があります。
 この状態に陥ると食い当たりが出難いようで、そこに間違いなく寄っているし食い気も旺盛にも拘わらず、当たりとして返してこない状態になってしまいます。余りにも周りに餌がありすぎるためなのかもしれませんが、嫌になる程に動いていた浮きが静まってしまう事です。
 人は贅沢というか身勝手というか、動きすぎる浮きを見ているとなんで静まってくれないのか、なんでいつまでもフワフワと動くねん!って腹立ち紛れで見ていた浮きが、突如として動きが止まってしまうと、あれほど動いていたのに触りすらなくなったと嘆く言葉が出てくるのですから困ったものです。


 動きが止まったときの私的な対策は、1つはまた初めから寄せるつもりで餌打ちをする事ですが、反対に寄せ過ぎないために両うどんであればまぶし粉を寄せ効果の少ないものに変えてしまう事で、寄せすぎによるまぶし粉酔いを誘発しないようにして、何とか乗り切ろうとするのですが、ホンの少しの効果はあるのですが残念ながらその効果は続かないのです。 
 また不思議と盛り上がる程に寄っていたヘラブナが、様子が変というか確実に減ってしまっていることも起きてしまう事があります。


 そこで最初の話に戻るのですが極端な竿の尺数の変更をする事で、酔ってしまっているヘラブナを無視して、新たに別のヘラブナ群を集める事で対策とならないか、と思うのですが如何でしょう。


 私的にはせっかく集めたヘラブナを相手にしないで、新しく集め直す手間をどうしても考えてしまうのですが、案外その方が手っ取り早い気もするのです。
 中弛みに陥る前に例えば12時と時間を決めて竿の変更をするのであれば、何となく変更がしやすいように思うのですが、勿論尺数の変更が功を奏するかどうかはわかりません。それこそ最悪の状態になりかねないのですが、そこは野池ではなく釣り堀での事ですから、どのポイントであろうが間違いなくヘラブナは居るはずですから、極端にボーズを喰らうなんて事はないと思っているのですが如何でしょう。
 まぁ、こんな事を言ってる私ですが現実に午前中たった1枚だった経験もあるのですからいい加減な話ですが、午前中1枚だった日は、午後から改善して釣果が延ばせましたので、釣り始めて調子が悪いときはそのまま釣り続けて寄せるべきなのか、そんな時でも尺数の変更すべきだったのかは、私には経験がなさ過ぎて判断が付きません。


 周りを見ている限りですが、尺数の変更をする人と全くしないで釣り続ける人と別れるようです。結果は・・・同じようなものですかねぇ(笑)
 釣れない時間を瞑想の時間として我慢し続けられるか、それとも短気者の証しのように尺数の変更をするか、なかなか悩ましい事ではあるのですが、もしそれで改善するとするならば、積極的な尺数の変更は有効な手段だといえないでしょうか。


 それこそ大会でもない限りいっそうのこと釣り座そのものを変えてしまうなんて手もあるわけです。ある人は釣り座を変え続けて池を一周された猛者もいますからね。


 せっかくの休日ですから満足のいく釣果を得たいと思うのは、まだまだ人間が出来てない証拠ですが、釣り人の性として釣果を求めるのは仕方ないとは思うのですが、まだまだ達観した位置にまで上り詰めるには修行が足りません。いやいや修行が足りないどころか、毎週大会のような事をしているのですから、俗人の垢がこびり付いていそうです。ハイ