両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り カクテルパーティー効果

 選択的聴取という言葉を聞かれたことがあるでしょうか。病院の待合室で名前を呼ばれたとき、自分の名前だけはしっかりと聞き取れるはずです。それまでに呼ばれた他人の名前は自分とは違うと感じるだけで、どんな名前が呼ばれたかも記憶には残りません。


 また宴会など人が多く集まっているときの会話が成立するのも、自分が聞きたいと思っている言葉だけが耳に入ります。これを選択的聴取=カクテルパーティー効果といいます。


 人は聞きたいことだけが聞き取れるようになっています。耳が遠いはずなのに悪口だけは聞こえてるなんて地獄耳の話もありますが、案外その通りなんだろうなぁって思ったりします。また実は視覚についても同じで、見たいものだけが見えるようになっています。


 ヘラブナ釣りでは、水面に浮かんだ浮きは見えているはずですが、同時に見えている水面は全く認識できません。波立ちで浮きが見えないとしても、それは波を見ているのではなくて、浮きが見え隠れしていることを認識しているに過ぎないのです。


 自分が重要と思っているものを見て聞いているのですから、屋外の釣り場でも会話が成立し、晴れの日でも雨の日でも浮きの動きが感じ取る事が出来るのです。


 それが少し注意が散漫になるような何か考え事をしているだけで、浮きが動いて元に戻った後に当たってた!とわかったりします。会話をしていて手が動かないなんてことも起きます。どの程度注意が出来ているかどうかで、判断が出来ているかどうかにも繋がります。


 つまり聞きたいと思う音が聞こえ、見たいと思ったものを見ることが出来るのです。


 実はこの見たいものが見えているのかどうかは曲者で、二つ横に並んだ丸と下に一つの丸があるだけで人の顔に見えるのです。つまり脳は目で見ているものをそのまま認識しているのではなくて、脳が理解できるものを探して映像にして認識しているのです。


 脳の不思議はコレに留まらず、目で見ることを一時視覚といいますが、実際に見えてないものが見える事があります。
 誰かが自分を見ていると視線を感じたことはないでしょうか。振り返るとその人と視線が合った経験はないでしょうか。多分誰にでも経験があると思うのですが、自分では見てないのに見られていることがどうして感じるのでしょう。それは視覚に頼ることなく脳に伝達できているからに過ぎません。よく気配を感じるなんていいますが、それもまた脳の働きの一つであるようです。
 科学的根拠はありませんが誰でもテレパシーを感じることが出来ているのではと思ったりします。


 ここまでは誰にでもある現象ですが、脳に障害がある場合に通常では見えないものが見える場合があります。それがあなたのオーラが見えます。とか守護霊が着いていますとかです。実際には存在していないにも拘わらずです。一般の方には決して見ることが出来ないものを、あたかも見えているようにいうのですが。そのように指摘する方には実際に見えているのです。ただあくまでも脳の障害によるものですから、やはり実際にはない映像を見えてしまっているに過ぎません。


 見えないものが見える・・・これはとても不思議ですが、もしヘラブナ釣りをしている人が、水中深くにいるヘラブナが見えたとすると、アドバンテージに・・・なるのかなぁ。いぱい居るのに食わないと嘆くことになるのかも知れないですが、反対に釣っているポイントに全くヘラブナが居ない事が解ると、浮きを見つめる意欲も失せてしまうんでしょうね。


 やっぱり水中の中なんか見えない方が釣りを楽しむ事が出来そうです。無理に見えないものまで見ようとせず、見たいものだけを見るようにしていた方が良いですね。


 ある釣り人は浮きが動いていないにも拘わらず、アタリは頻繁にあると証言されたことがあります。あれはいったいどんな現象が起きているのでしょう。でも実際に釣り上げる事もあるのですから、全てが幻ではないと思うのです。聞こえないものが聞こえる場合には幻聴といいますが、見えないものが見えるのは幻視ですよね。って事は浮きが動いて見えるのは願望による幻視によるものなのか、それとも脳のいたずらで幻覚が見えてしまっているのでしょうか。


 ところで浮きの当たりはどこを見て感じているでしょう。水面ギリギリの位置でしょうか。それとも浮き全体を見ているのでしょうか。答えはどちらなんでしょうね。