両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 へらぶな釣り 名称の語源と思い込み

 ヘラブナは特に形状から生まれた名称で元々ヘラブナという魚は居なくて、ヘラブナ釣り師としては常識的な知識として元はゲンゴロウブナであることは知っているはずです。


 そのヘラブナは箆鮒と書くようてすが箆とは元々着物を縫うときに線を引くのに使う道具で、勿論相手は着物ですから実線を引くのではなくて、折り目のような型を付けるだけの道具です。昔は熱を持たせないために象牙が使われていたのですが、今ではすっかり姿を消してしまったように思います。


 実はこの着物などに印を付ける箆ですが、着物用に使われる前にはへその緒を切る道具として、竹製の箆刀(へらがたな)が元になっています。身分の高い家の子のへその緒を切る役割をするものを箆刀役と称し、忠義を尽くす事を約束する位置についていることにもなります。


 個人的には箆とヘラブナは特に形状も似てないので、どちらかというと平鮒と書いたほうがいいのではと思ったりします。


 テグスも古い釣り師なら誰でも知ってる釣り糸の名称ですが、テグスは天蚕糸と書きます。天蚕の幼虫の絹糸線を引き伸ばして作られていたもので、その後絹糸で作らるるようになるのですが、強度を出すために柿渋に浸けて硬く締まった糸が作られました。
 時代が進み科学的に作られるたナイロン糸も名残のようにテグスと呼ばれるのですが、柿渋で染めた糸が元でしたからナイロン糸に柿渋色を付けたのが、今でもヘラブナ用の道糸に色がついている原型となっています。


 道糸に色が付いているのは視認性が良いから色がつけられたのではないのですが、色つきが当たり前のようになっているのは天蚕糸色が元になっているのです。私は色つきは使っていませんがヘラブナ用の道糸には色付きが当たり前のようで、透明糸ですが所々に配色されています。別に透明だから視認性が悪いとも感じないのですが、視認性を良くしたとしても何に便利で有利なのでしょう。どうしても視認性を高めたいのであれば柿渋色よりも蛍光色の方が良いはずですが使われている方は見ないですね。


 そうそう何となくの誤解としては呉服があります。呉服は着物のことだと思われていますが、本来は全く別のものでいわゆる呉服屋さんで扱っていたものか呉服です。だったら着物やないか!と突っ込みが入りそうですね。
 解りにくいですが呉服屋さんには着物は置いていなかったのです。棚には着物や帯に使う絹の反物が並べて売られていただけなんてす。客が来るとその反物を広げて柄を見せているシーンも思い浮かべられると思うのですが、着物に仕立てたイメージを持つため肩に反物を掛けて垂らし鏡に映して見て、着物に仕立てた場合の柄などを想像して「見立てる」のです。
 この見立ての意味は見て決めることを意味しますが、着物に仕立てた後で思っていたものと違った場合を「見立て違い」と表現します。思っていたことと違った場合に使う言葉として残っているのも語源はここかです。自分では優秀だと思って雇った人がそれ程能力がなかった場合になど見立て違いだったと言いますよね。


 元々呉服屋さんで買った反物を自宅で縫い上げるのが普通でしたが、別に仕立屋さんに依頼して着物にして貰うのが一般的だったのです。それが時代が進むにつれて呉服屋さんでも着物の仕立を請負い出したのです。つまり呉服屋さんで着物にまで仕立てるようになり、もっと時代が進むと既製品も扱われるようになりました。そんなところから呉服を着物と混同するようになってのですが、呉服の呉は中国の呉の時代の服で、この場合の服は着る服のことではなくて服は一字で「はとり」と読みますが、「服部さん」とのお名前があるとおりで。この服(はとり)は絹の織物のことです。つまり呉服屋さんは呉から伝わった絹織物を売っている店という意味で着物屋さんではないのてす。ということで呉服とは反物であり着物は仕立て上がったものを意味しますので呉服と着物は別物なんです。
 着物を着て出かけするいいますが呉服で出かけるとはいわないのです。


 ヘラブナの話からドンドン脇道に逸れていきますが、竿といえばヘラ釣り師であれば誰しもピンときますが、竿とは竹製なものを意味していますのでグラス竿・カーボン竿とは本来いわないのです。竿は釣り竿以外に物干し竿や旗竿がありますが、竹製のものを竿と表現するのが本来の使い方で、竹竿と竿竹でも意味が違ってその昔には物干し竿を売る商人が町を流していたのを記憶されていますでしょうか。その時の売り文句は「さお~だけ~♪」と歌うように連呼されていました。物干し竿といわなくても竿竹は物干し竿と理解されていたので、誰も釣り竿とは思わないのです。
 なんかややこしいですが竹製の竿を竹竿といい、竿に加工された竹を竿竹と使い分けるのです。解ったような解らない表現の違いですね。


 ということはヘラ竿と表現した場合は竹竿を意味しますので、10尺の竿を出したといって場合は竹竿の10尺を出した事になります。カーボンの10尺を出したのであればカーボン竿ではなくてカーボンロッドが正解ですが、誰もその言い方はおかしいなんて指摘したりしないですよね。


 最近聞かなくなった言葉ですがしずはご存じでしょうか。割りシズとかの表現もあったのですがオモリの事を指す言葉でした。板オモリも巻シズといっていたように記憶していますが、シズとは接続点に取り付けるオモリの表現で、道糸とハリスと接続点の道糸側に取り付けるものをいいます。しかしどうしてシズとの表現が消えていくのでしょう。


 消えていく言葉としてはミミズをキジやドロといっていたはずですが、今では聞かない表現となっていますが、餌箱が木製だったのももともとはミミズを入れて生かせるものだったはずです。


 そういえばヘラブナもジャコと表現される方がいます。新ベラは新ジャコですが・・・私のヘラブナ釣り歴は極端に短いので何となく違和感のある表現ですが、釣り歴の長い方には極普通の表現なんでしょうね


 そうそうカラツンはヘラブナ釣りでは当たり前に起きる現象ですが、針掛かりしたときや針掛かりしないときはなんと表現するでしょう。私は海釣り歴が長いためかどうか解りませんが、針に乗るとか乗らない表現していますが、ベテランさんはカラツンを針に着いてこないとか着かないと表現されています。
 また口掛かりしているかどうかについても、噛んでると表現するようですがヘラブナが自ら噛んでいるとは言えないですよね。


 時代と共に表現は変化していくのですがどうしても取り残され感を覚えますが、仕方ないですね・・・。


 言葉は時代と共に変化していくものですから、その言い方はおかしい指摘するのもどうしたものでしよう。