両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 四方山話でも相も変わらずフナの話です。

 ヘラブナは京都南部にあった巨椋池のゲンゴロウブナが起源とされているのですが、明治頃に河内で飼育され体高の高い種ばかりを淘汰して作り出されたとの説が有力です。


 疑問。ゲンゴロウブナをどうして飼育する必要があったのでしょう。当時はまだ淡水魚を食べる事も多くあったはずで小鮒を佃煮にしたものが流通していますが、他には刺身として洗いで食べられています。今でも滋賀県のスーパーに行くと売られています。フナの食べ方としては洗いや小鮒の佃煮ですが基本ギンブナです。


 滋賀県で有名なのがフナ寿司で各家庭で作られていました。今ではその数は減ってはいますが、毎年漬けられている家庭もありますし業者も多数存在していますので、まだまだ多くが作られて消費されていると思います。
 ただフナ寿司として多く消費のはゲンゴロウブナではなくて二ゴロブナです。一部ギンブナの雌も使われるのですが、ゲンゴロウブナでフナ寿司を作るとは聞いたことがありません。まぁゲンゴロウブナの方が成長速度が速いとの説もあるのですが、植物生食のために腸が他のフナより長くて、その為に二ゴロブナに比べるとゲンゴロウブナは内臓が多くて可食部分が少ないのです。
 消費量の多いギンブナやフナ寿司として必要とされている二ゴロブナではなくてどうしてゲンゴロウブナを飼育しようしたのでしょう。この点が不思議でならないんですがもっと不思議なことがあります。それは飼育する大前提として飼料の問題があります。


 ゲンゴロウフナの語源とされている逸話があります。その昔琵琶湖に源五郎という漁師がいました。その嫁が実はフナだったのです。その正体がバレて琵琶湖に逃げ出したのですが、それを追って源五郎も琵琶湖に飛び込みその嫁を探していたところ、気がつくと源五郎もフナに変わっていたのです。その後このフナをゲンゴロウフナと呼ぶようになったとのお話です。
 広辞苑では琵琶湖畔の堅田の漁師である源五郎が、安土城主に献上した事が始まりとされていますが、嫁を探してフナに変身した話の方が面白いですけどね。(笑)
 ついでの話ですが二ゴロブナはゲンゴロウブナに似ているところから、似五郎ニゴロとの名が付いたとの話ですが果たして真相は如何にですね(笑)。


 その昔には滋賀県ではゲンゴロウブナは釣れない魚とされていました。エリなどで捕まえる程度で針に掛かってこない魚でした。その理由がミミズなどの釣り餌には食いつかないからで、確かにミミズや赤虫で釣れてくるのは決まってギンブナでした。


 そうそうヘラブナ釣りでよく言われているマブナが釣れた!といいますが、実はマブナという魚はいないんです。マブナの正体はギンブナなんですよ。そして以前にも書きましたが染色体数の関係で合いベラは存在しないんです。釣り人は細身の体型のヘラブナを釣り上げてマブナとのハーフという意味の合いベラと表現しますが、単にやや細身の体型のヘラブナでしかないはずです。
 詳しくは以前の書き込みを見て下さい。


 釣れない魚ということは食生活が解ってなかった事になります。何を食うか解らない魚をどうして飼育しようとしたのかが全く理解できないんです。


 ゲンゴロウブナがヘラブナに品種改良されたとの話をよく聞きますが、品種改良まではいかなくて単に体高の高い魚を淘汰して作り出したはずです。ただ食生活が解っていない魚を体高の高い魚だけを淘汰できるように飼育するノウハウは一体どこにあったのでしょう。


 結果としてゲンゴロウが釣れないのは植物生食となったようですが、実は金魚の中で水草を食べる種類と食べない種類があります。水草をよく食べるのがリュウキンの系統で反対に食べないのがランチュウです。
 ただ両方ともミジンコやイトミミズは良く食べますので完全ベジタリアンではない事になります。
 ヘラブナ用の飼育飼料は基本魚粉が多く含まれているペレットです。もしビーガンのような完全菜食主義であれば決して口にしないはずの餌ですが、ベジタリアン程度の菜食主義者だとするとまだ口にするのかも知れません。ただサナギにも強い反応を示しますので、ベジタリアン風とでも表現した方が良いのかも知れません。


 何れにしてどうして飼育の難しいゲンゴロウブナを飼育しだしたのでしょう。それこそ既に確立されていた鯉の養殖の方が手っ取り早かったはずです。


 物の本によるとヘラブナ用の竹竿は明治15年に大阪の竿正によって作られていて、竿正が作り出す竿には既に削り穂が採用されていたとのことです。その後二代目竿正となり続く竿五郎によって基本が確立し、竿五郎に師事した師光と源竿師によって一気に広められ、現代の竿師へと続くのですが、もう一派が存在していましたそれが孤舟です。


 ただやはり不思議でならないんですが、その昔・・・昭和30年代の後半には既に関東を中心としてヘラブナ釣りが行われるようになっていたのですが、ヘラブナの元であったゲンゴロウの産地である滋賀県ではまだ釣れない魚とされていたのです。これはいったいどうしたことなんでしょう。


 昭和30年代にあの名優の山村総氏が京都の太秦で映画撮影の合間に、滋賀県今津市へ釣りに出かけるのですが、その時に使っていたのがサツマイモを蒸かしたものを練って使っていたのです。そのサツマイモで釣り上げたゲンゴロウブナを見て今津の人が、ゲンゴロウが釣れるんだと驚いていたようです。


 産地の滋賀県の人が知らない釣り方をどうして関東や大阪の人が知っていたのでしょう。その点詳しい方は是非教えて頂きたいのです。


 そうそう釣り場の事をポイントというのですが、全国にポイントと名の付く釣具店が多数ありますが、私の知る限りですがポイントと名付けた釣具店は、この山村総氏が銀座でヘラ竿の竹竿専門店を作ったのが最初だったと思います。残念ながら経営難によって締められたのですが、その当時そのポイントを中心とした釣りクラブ「銀座へらぶな会」が出来て、最後には会員数が100名ほどにもなったようですから、ヘラブナ釣りの関心はとても高かったのは間違いなさそうですね。


 いつからヘラブナ釣りは船のトモで釣るようになったのでしょう。私の知っている限りですが伝馬船に乗って船を漕ぎトモと舳を固定して胴から横に向いて釣っていました。横に向くのですから2人並んで釣ることが出来たのですがトモだと1人限定ですよね。確かにトモの方か揺れないのかも知れませんが・・・この写真の山村総氏も胴から竿を出されています。
 しかし山村氏の写真を見ると現代と全く変わらないヘラ釣りスタイルだと気がつきます。なんら進歩してないというと語弊がありますが、既にヘラブナ釣りが確立されていたというべきかも知れませんね。