両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 東高西低のヘラブナ配置

 今月も今日が最終ですが今月このブログに訪れていただいた方の数は延べ3万2千人を超えています。1日平均すると1,000人余りの方に訪れていただいたいることになるのですが、相も変わらず変なことばかり書いているのですが、読んでいただいたいることにとても恐縮してしまいます。呆れて閉じられている方も多くいらっしゃるんでしょうね。


 さて誰しもが知っている気象用語の言葉としては西高東低でしょうか。冬型の気圧配置として有名な西高東低ですが、事ヘラブナ釣りに関しては東高西低になっているのではないでしょうか。元々関西発祥の釣りでしたから多数の釣り池がありました。しかし多くの池が閉鎖され現状は関東に人気が集中している感があります。現実的なことは知りませんが東の釣り池は相当数あるようですし、1つの池で入池出来る人数も多人数でしょう。


 関西では大きな池はなんといっても日本最大の琵琶湖がありますが、本湖に向いては現実的にヘラブナ釣りをするには適していないように思います。周辺部にあるクリークに産卵のために上ってくるヘラブナを相手にするとしても、年中相手にするには難しいのではと思ったりしていますし、実際ブルーギルの猛攻に遭ってしまって釣りにならないのではと思います。


 琵琶湖を抱えている滋賀県にも4つか5つの釣り堀がありますが、野池としては琵琶湖よりも北にある余呉湖のほうがいい釣り場になっています。ただ今ではワカサギ釣りの方が有名になっているのが現実です。


 我が京都にも釣り堀は多数ありました。思い起こしてみても7つか8つの釣り堀がありましたが今では3つに減ってしまいました。ヘラブナの元は琵琶湖原産となっているのですが、実は京都の南部にあった巨椋池に生息していたゲンゴロウブナが、今のヘラブナの元になっている事を知る人は少ないようです。
 その巨椋池も今では埋め立てられてその姿を見ることは出来ないのですが、京都の南部から宇治市にかけて広大な池が存在していたのです。それ程に広大な池ですから川魚漁師が生計を立てられるほどて漁師町が3つの行政区で形成されていたのです。


 この巨椋池の右端の道は地図上では小倉堤と表示されていますが、太閤秀吉が作った道で太閤堤と呼ばれている道です。勿論今でも現存している道で国道24号線の旧道となっています。巨椋池そのものは既に干拓が済んでいたために私は見たこともないのですが、この巨椋池は葦が群生していましたのでその葦が京都御所の茅葺きに使われたり、御簾に使われていたのです。宇治茶用としては高級玉露や抹茶を作るために茶葉をすっぽりと葦簀で覆って直射日光が当たらないようにと霜が降りないようにするのですが、その材料もこの巨椋池の葦が使われていたのです。その名残が今でも宇治川の左岸地帯に広がる地域に葦が群生しています。その昔この葦を刈り取って浮き作りをしていたのも懐かしい思い出です。


 この地図の右上に少し黄色い部分がありますが、秀吉が約2年間ほど政をしていた伏見城の跡で今は明治天皇陵となっている場所です。直ぐ北側には桓武天皇陵もあります。実はその伏見城の掘りの後が極々最近まで伏見区の飲み水を供給する水源地となっていたのです。今は公園となっていますがその公園は正に伏見城の掘り割りに作られているのです。また伏見城の周りには全国の大名の屋敷がありましたので、今でも大名屋敷が町名として残っています。松平筑前・毛利長門・筑前台町・福島大夫・長岡越中などなどですが、京都市伏見区桃山の次に大名屋敷名が続きます。町名に桃山と付いている地域が旧大名屋敷町で桃山町と「町」が付くと畑や栗林が開発されて出来た後の町名で区別が出来ます。
 大名屋敷を過ぎると町人の住むところになるのですが、巨椋池側は湿地とるためでしょうか南側は百軒長屋という町名が付いています。
 西側になるとこの伏見城のある山からの伏流水が豊富で伏見の酒が造られるようになったのですが、日本で最初の銀座という町名が付いた場所も現存しています。その銀座の両側には両替町という名が付いています。その西側は瀬戸物町・紺屋町・納屋町と商人の職種の町名が続いています。
 秀吉が伏見城を築城して政をするようになって、各地から大名が集まり町民も集まったまさに城下町が形成されたのです。その時に町別に同種の町人が集めて出来たのが「座」です。銀座の座はまさに同種の職種集団を意味します。秀吉の時代ですから日本で最初に出来た銀座はこの伏見区にあり現存しています。
 つまり京都は御所があるための公家文化だけでなく伏見区は城がありましたので城下町を形成していたのです。
 伏見城で政をしていましたので大阪城はどちらかというと別荘扱いだったのです。



 う~ん・・・またまたヘラブナ釣りとは全く関係のない話になってしまいました!!


 話を元に戻しまして、この巨椋池に生息していたゲンゴロウブナを元にしてヘラブナが作られたのですが、当然釣り用に品種改良されたのではなくて、食べるための養殖であったのは間違いありませんね。
 今でも巨椋池は低地ですから川が幾筋もあるのですが、春になるとコンクリートで固められたホソですらコイだけが産卵のために上ってきます。不思議とフナなど他の小魚は見ないのですが、田畑の中を流れるコンリートの護岸工事がされてない川には、そんな小魚が生息しています。また豊年エビなど多数の生物も生息していて、水草も春になると生い茂る様子が見られるのですが、残念ながらオオカナダ藻が多く繁殖しているように感じています。よくよく探すと水生の食虫植物であるタヌキモが見つかるかも知れませんが、干拓によって絶滅してしまったかも知れません。
 また残念なことにヌートリアが生息していたりと自然環境が破壊されていきそうです。


 巨椋池が干拓されてしまったがために、宇治川の北から東側に小さな池が点在するようになりました。その多くは埋め立てられてしまったのですが、その池でよく釣りをしていた記憶があります。土手に竿受けを差し込んでパイプ椅子に座って、うどんを餌にしてフナ釣りをしていたのです。勿論ヘラブナではなくてマブナだったと思いますが、それなりに楽しめていた記憶が残っています。こんな記憶も50年以上前の話です。こんな昔話をし出すと駄目なんですが、懐かしい思い出として残っています。


  実は今でも少し大きめの池として木幡池が残っています。パナソニックの宇治工場が近くにある関係か、木幡池に流れ込む川の水の水温がとても高くて、ティラピアが生息しているのを見たことがありますし、現実に川底に巣を作っているのも見かけていますが、温水が流れ込む川から一番遠いところでヘラブナ釣りをされている方を見かけますので、キット釣れるのだろうと思うのですが、車の駐車場の関係でまだ試したことがありません。それこそヘラブナの原種が釣れるかも知れないと思うと、なんとなく興味を持ってしまうんですよねぇ。


 野池も減ってしまい今も残っていたとしても釣り禁止など、釣り人に優しい環境は減る一方ですが、子供達が釣り竿を持って魚を追いかけている姿も見かけなくなってしまいました。
 宇治川は全国でも有数の寒バエ釣りのメッカというか聖地でした。冬になると寒バエ釣りに全国から釣り人が押し寄せてきて、寒い川の中に立ち込んで等間隔に並んで釣られている光景を見かけていたのですが、最近では全く見かけなくなってしまったのですが、寒バエ釣りそのものが廃れてしまったのでしょうか。
 宇治川の上流が瀬田川ですが、船を出して瀬田川の寒バエつりをされていたのも俳優の山村総氏で、瀬田川の寒バエはとても美味しかったかと書かれています。そういえばタナゴ釣りも関東では盛んなようですが関西では見向きもされません。滋賀県の大津でタナゴを2,000匹も釣り上げて下処理の後に炭火で焼いて持ち帰ったとも山村総氏が書かれていましたが、土地の女将に「そんな阿呆らしいもん、よう、そいだけ釣りやはったなあ、ほんまに」と呆れられたとのことですが、確かにタナゴ類を総称してボテジャコといって誰も相手にしない魚の1つでしたね。


 このままで行くとヘラブナ釣りも廃れる運命にあるような気がしてなりませんが、なんとか盛り返すことができないでしょうか。地盤沈下している関西ですが盛り返す奇策とはいいませんが、メーカーや釣り堀が主体で何らかの手を打たなければ、ヘラブナ釣りをしていた人がいたなぁって寒バエ釣りのような昔話になりかねないと思ってしまいます。


 現代では釣りなどに手を出さなくとも色々な趣味があると思いますが、昔を思いだしてもう一度竿を振ってみようされるなら、やはり身近な釣り堀から入られるのが良いでしょう。またお孫さん達に釣りを教えるののも方法です。ヘラブナ釣りが廃れないように何が出来るか釣り人1人1人が考えなければならない時代なてしまいました。