両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 釣ったと釣れたの違い

 ヘラブナ釣りでは色々な当たりの出方をしますが、そこには大きな違いがあるはずです。先ずは食わせた・食われた、その食い方の違いはそのまま釣った・釣れたの違いではないでしょうか。その釣った釣れたは同じ土俵で語れるものなのでしょうか。それともただの感覚でしかないのでしょぅか。


 釣りの中には向こう合わせなんて表現がありますが、単純に向こう合わせとは当たりが出たときに竿を立てて合わせ動作をしていなくても、魚が勝手に食って魚自らが針掛かりしてしまう状態です。つまり積極的に釣ったというるのかどうか微妙ですが、ヘラブナ釣りに於いて向こう合わせに近い現象が出る場合があります。


 それが餌を打ち込んで浮きがしっかりと立つ前に、ヘラブナが餌を加えて走り出している状態です。カッツケ釣りなどをされる場合はこんな状態が多く出ると思うのですが、浅棚でもヘラブナの活発な動きを見せるときは多々起きる現象でしょう。


 カッツケや浅棚釣りは釣り方として確立されているのですからそれでもいいのですが、この場合は食わせたとは言えないのではと思っているのです。勿論この状態にまで持ち込む事が出来たのは釣技のなせる技かも知れませんが、結果は食わせたのではなくて食われたと表現が正解ではないでしょうか。


 宙釣りに於いてどんなルールがあるか私は良く知らないのですが、浮きがしっかりとなじむまでに出る当たりも積極的に合わせているとするなら、それは想定した棚にヘラブナを集めることが出来てないことであり、想定した棚で食わせてないのですからその釣り方は失敬しているのではとも思ってしまいます。


 大会などで当たりを的確にとって釣り上げた場合と、食われて走り出している状態で釣り上げたヘラブナでもカウントされるのでしょうか。


 棚の調整は宙釣りの方法としては極当たり前の事だとは思うのですが、視点を少し変えてみると違った様子が見えてきます。宙釣りだとしても仮に3mの棚を狙っていたとしても、2mの位置にヘラブナが集まってしまった場合は、浮き下を2mに調整して当たりを出そうとするはずですが、それは想定した3mに集めることを失敗したことをいみするのではないでしょうか。
 想定した棚に集めることが出来ずに棚の調整をしたことで針掛かりさせた場合は、それでも釣った・食わせたとの表現をされるはずです。ただ底釣り師の私から見ると釣れたのであり食われたに過ぎないと思えてしまいます。勿論釣ったのではなく釣らされたでも食わせたではなく食われたでも、自分で釣った気になるのであればそれはそれでいいのですが、難しいとされるヘラブナ釣りをそんな安易に納得しても良いものかどうか。と天邪鬼な私は思ってしまうのです。


 私は年中底釣りをしていますが、底釣りのルールはあくまでも底で食わせる事です。宙に出る当たりも落ち込みでも出る当たりも、それこそなじみ当たりを取るのも本来は禁止です。あくまでも両針が着底してから出る当たりを取るのが正式なルールとなっています。そのため宙にヘラブナを集めた場合も釣り方として失敗していることになりますので、底で食わないから宙釣りをすれば良いとはならないのです。


 それこそ宙釣りの場合でも想定した浮き下に如何にヘラブナを集めるか、もし少し上の棚に集めてしまった場合は、安易に浮き下を調整するのではなくてヘラブナの多のを少し下げる工夫をすべきだろうと思うのです。ヘラブナの食う層を自ら相対したそうに持ち込む事が出来る、その釣技は大変むずい恣意事だと思うのですが、ヘラブナとの勝負に勝ったと言えると思うのです。
 ヘラブナの集まってしまった層に棚を合わせていては、半分ヘラブナに負けてしまっているとも解釈できる・・・偏屈ですかねぇ(笑)。
 やはり食われたではなく食わしたであり、釣れたではなく釣った状態に持ち込みたいのです。その結果として2枚同時に釣り上げるリャクコ釣りも、釣ったではなくて釣れてしまったのは間違いないのです。


 ヘラブナ釣りに於いて向こう合わせのような、釣れてしまったより釣ったほうが充実感があると思うのですが、やはりこんな考え方は天邪鬼過ぎるのでしょうか。
 でもね。浮きがなじんで静止した後にツンと出る当たりを的確に合わて釣り上げる。この瞬間こそヘラブナ釣りの醍醐味と思うのです。その状態に持ち込む事が出来る事こそ、釣技に長けた方だと思うのですが如何でしょう。