両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナと余計な話(京言葉が標準語になるはずだった)

 早いものでもう10月の最終日になってしまいました。今日はHalloweenの日です。11月1日はキリスト教の聖人の日で国によっては祝日とされています。ではハロウィンとはなにかですが死者の日・・・まぁ細かい話は別として聖者の日の前夜祭です。
 何でカボチャが出てくるのかも意味があるのですが、死んでも地獄に行かないと悪魔と契約したがために、天国にも地獄にも行けずにこの世を彷徨っている様子をカボチャで表現されているのです。まぁこの話も長くなりますので割愛するとして・・・。


 ところで今日はハロウィンですが最近は何故かハロウィーンと伸ばして表現することが多くなりました。私的にはなんとなく気持ち悪いのですがHalloweenの英語読みとしてはハロウィーンの方が発音としては近いのですが、日本人的にはハロウィンの方が言いやすいし言葉としても綺麗に聞こえます。なにも英語読みとして正確さを求める必要はないと思うのですが、今のところテレビはテレビジョンと表現されていないですし、ラジオもレディオと言い直されてもいません。
 エネルギーは今でもテレビで表現していますしだれも疑問に思ってないですが、Energyはエナジーと読むのが正解です。でもだれもエナジーなんて表現をしていないですよね。どうしてハロウィンだけはハロウィーンなんて気持ち悪い表現に言い直してしまったのでしょう。
 もし若者が・・というならば「君君チャックが開いてるぞ!」と指摘しても若者もジッパーまたはファスナーですとは言わないでしょ。チャックは元々投げるという意味ですから全く違うんです。違う表現ですからハロウィーンと伸ばし直すよりもそれこそ訂正すべきだろうと思うのですが、今のところ訂正の兆しは見えてこないですね。


 冒頭からぼやきが入ってしまいましたが、明日から11月なんて月日の過ぎるのは早過ぎますね。いつもいつもヘラブナ釣りに明け暮れていますが、少しヘラブナ釣りそのものから離れた話題もありかと思いますので暇つぶしにでも読んでみて下さい。


 言葉にはいろいろな由来やその言葉が生まれた起源があります。ただその多くは後付けの感が強いのですが、まことしやかに語られるのはどこか滑稽だったりします。


 根本的に言葉を不思議に感じたことはありませんか。私たちは日本語を話していますがどうして日本語を話しているのでしょう。元々は話し言葉なんてなかったはずです。それこそ赤ん坊のアーウーが関の山だったと思うのですが、いつの時期かは知りませんが人が集団生活をするようになって意思の疎通を図る必要が起きたと考えられています。


 大きくはしょって日本語が使われるようになりましたが、この日本の狭い国土でもそれぞれのお国言葉があり、遠く離れた地域とは余りにも言葉が違っていました。長く京都に都が置かれたために文化の中心は京都にあり、町の流行言葉も公家言葉から派生するものが多いのですが、京都で流行った言葉が同心円を描いて日本中に人づてに辿って広がっていきます。仮に100㎞離れた地域に言葉が伝わったとしてもその頃にはまた新しい言葉が京都で生まれ、それがまた同心円を描きながら広がっていきます。遠く離れた地域に届いた頃には既にその言葉は使われなくなっていたりもしたはずです。
 当時は乗り物などはなく馬や籠などは一部の特権階級のものですから、人は徒歩で移動するのが当たり前の時代です。人が1日に歩く距離は遠くて10里ですから、昔の宿場町は8里から10里に1つ作られたのはそのためです。
 ある目的があって人は移動するのですが、それこそ行商人は宿場町毎に行商を繰り返していたはずですから、100㎞先の宿場町に到着するには1ヶ月ほどは掛かったと推測されます。
 その街町で都から来た行商人の話を聞き都を感じていたはずですが、その会話の中に京言葉が伝えられていくのです。その言葉がその地域に広まるまでは相当な時間が必要だったと思われます。


 京都文化が色濃く影響した地域を畿内といいますが、関西圏を近畿地方と表現するのも京都を中心として近県を含む地域だと解ります。京都から遠く離れた地域の言葉はその地域独特の文化を辿って行きますのでその地方独自の方言が生まれていきます。結果として東北と九州では別々の言葉が話されるようになります。それが遠く離れた中国や韓国となると言葉が違うのは当たり前で、もっと離れた地域とは交流も起きてないのですから言葉が違うのは当然の結果です。特に日本と韓国では海で隔たりがありますので、簡単に言葉が伝わることはなかったので、色々な文化は韓国経由だったにしても余りにも違う言語となっています。同じように国内であっても沖縄や徳之島の言葉は殆ど外国語といっていいほどの違いがあるのも、海で隔たりがあったがために人の隔たりによって起きた現象と理解できます。


 そういえば母親のことは母(ハハ)というのも元々はファファだったのですが公家言葉が広がったものです。武家では妻を北の館に住まわせたので北の方と呼ぶのですが、そこからお方様と呼ばれるようにな亭主が呼ぶ場合は方様(カタサマ)といいますが、それを子供が言う場合にはカカサマとなるのですがカカサマからお母様(おかあさま)に変化していきます。今のお母さんはこの成り立ちだったんです。
 それがまたお母さんからかあさん・おっかぁ・かかあ・・・・(笑)


 そうそうお菓子の中でもぼた餅とおはぎの呼び名の違いは、春が牡丹の花から牡丹餅でぼた餅、秋は萩の花からお萩と呼ぶとされていますがそれは本当のことなんでしょうか。どうも後付けの説に感じてなりません。何も春を代表する花が牡丹ではないはずで、秋を代表する花が萩の花でもないはずです。それに何も春と秋で呼び名を変える必要もないのです。実際他のもので季節によって名詞が変わるなんて例はないはずです。


 関西の古い風習に「春事(はるごと)」という期間があります。春の農作業が始まるまでの一時の憩いの期間でもあるのですが、その時に祝いとして餅をついたりしていました。その当時のものはお菓子というよりは今でいうおにぎりで、小豆を混ぜたものを祝い事として食していました。これが後に現在のぼた餅へと変化していくのです。
 この写真では左上の形状をしていましたが、その昔は砂糖などありませんので塩味だったのですが、このおにぎり状のものを見ても牡丹には見えませんからぼた餅が牡丹の花から来ているとは思えず、また春事の時期には牡丹の花はまだ咲いていないはずです。

 口述的に伝えられているのはぼたっとした餅だからぼた餅説です。私的にはこちらの方がしっくりしていて、ちょっと違いますが棚からぼた餅もボタッとした餅が落ちてきたほうがしっくりきます。
 おはぎも萩の花から説が有力ですがこちらは萩の花が小豆を炊くと皮が破れた形状に似ているからとの説ですが、だったら春でもお萩で良いはずですが牡丹を関連付けされています。しかし牡丹も春のお彼岸は3月20日前後ですからまだ全く咲いていません。その頃は梅の花が満開を迎えていることですから、花を充てるのではあれば梅の名が付いても良いはずですから梅餅が正解ではないでしょうか。そのことから牡丹はぼた餅からの当て字でだろうと思っています。
 もっと不思議なことにぼた餅は春と秋だけでなく四季で呼び名が変わる説です。春=牡丹餅・夏=夜船・秋=お萩・冬=北窓。お菓子が四季によって呼び名が変わる例は他に見られないものですからとってつけたいい方だろうと思ったりします。


 あっ!ひとつ呼び名が変わるお菓子がありました。外郎(ういろう)です。外郎は年中外郎と呼ぶところが多いのですが、6月30日に宮中へ献上するために氷室から氷を取り出して、お公家さん達が氷を食べる時期がありますが、その時にその氷を模して作られたのが外郎を三角にカットした「水無月」というお菓子です。どうもこれは京都だけにある風習のようですが、少なくとも畿内には残っている風習ではないでしょうか。氷は庶民には決して口にする事が出来なかったので、外郎で氷に模したお菓子を6月30日に食べる風習が生まれました。
 下記が水無月(みなづき)ですが私が子供の頃に食べていた水無月は小豆の乗っていない安いタイプでした。しかしこの時期に水無月を見ると寒々しく感じるのは身についた習慣のなせる技でしょうか。


 さて日本では明治維新以降日本の統一が進みますが、お国なまりが強くて意思の疎通に支障が出るために標準語が生まれます。その標準語を制定するときにも色々と勢力争いがあったのですが、片方は平安時代から都のあった京言葉を標準にすべきとの意見と、江戸幕府として政治の中心である江戸弁を標準語にすべきとの意見に二分されたのです。
 結果は江戸勢が優位を占めて今の標準語の原型が出来上がったのですが、江戸時代にポルトガルの宣教師が残した日記に、江戸の侍はござるととの変な日本語を使うと書かれていたので京都から見るとただの方言だったことがわかります。
 そうそう銀閣寺の近くにあるお土産店に地方発送できますと書かれていたのです。それを見た東京の旅行者が東京にも送れますかと聞いていたいのです。東京は地方ではなく都会に住んでいると思っていたのでしょうか、京都から見ると東京も1つの地方に違いないのです。ただ内閣府では東京圏以外を地方と決め付けています。これもなんだかなぁと思いますが(笑)。


 京都人は今でも都は京都にあると思っています。その根拠は未だに天皇が遷都宣言をしていないからです。明治時代に明治天皇は江戸へ行幸しただけだからです。行幸とは天皇が一時的に旅行(外出)された事を意味するので、旅先から戻られることを還幸といいます。つまり天皇は江戸へ旅行されただけなんです。そのために天皇が即位をするときに絶対に必要な高御座は京都御所に置かれたままになっています。
 昭和天皇が即位の礼をするときわざわざ京都まで来られたのもそのためで、平成天皇が即位されたときは京都から東京まで高御座が送られたのですが、その行事が終わった段階でまた京都に戻されました。令和天皇も同じように東京で即位されましたがその時も高御座は京都から運ばれたのです。


 もっと法的な表現で言いますと794年に桓武天皇により遷都宣言されて以来一度も宣言されていないのです。それまでは常に天皇による遷都宣言によって都は移っていきました。
 実は首都建設法というものによってなんとなく東京が首都とされたのですが、昭和25年にこの法律は廃止されているのですが、この首都建設法にも東京が首都とは明記されていないのです。
 他に首都圏整備法というものがあるのですがここにもなとなく東京が首都であるとの前提において東京近郊の千葉や埼玉などの土地が整備されていくことになります。
 つまり今現在でも東京を首都とする法的根拠は存在しないのです。


 しかしもし京言葉が標準語化されていたとすると、ニュース原稿を読むアナウンサーは「本日岸田首相はんが所信表明演説をしやはって、なんやうまいこと言わはったみたいやけど、あんな内容をいうてはったら野党はほっとかへんのとちがいますやろか」なんてアナウンスされていたかも知れなかったのです(笑)。


 へらぶな釣りとは全く違う話を長々と書きましたがいつものことと笑って下さい。


 まっ余計な話でしたけどね(笑)。