両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 懐かしい想い出 釣具店遍歴

 私が釣りを始めたのはいつ頃なのかそれこそハッキリ覚えていないほど昔であり、気がつけば釣り竿を持って糸を垂れていました。場合によっては親の目を盗んでそこらに生えている笹を切って竿にしてみたりと、小学校の低学年で既に釣りをしていたような記憶があります。


 一番影響を受けたのが親父の兄です。親父の兄ですから伯父さんですね。叔父さんと書くと弟を意味します。
 その伯父さんは海釣りをしていたようですが、実際に共に釣りをしたことはありませんが、釣りに関する知識がありましたので一緒に釣具店に行って選んで貰っては、竿選びや針の選び方などを教えて貰っていました。


 その頃は竹竿がメインだったように思いますが、禿げ頭のオヤジさんがひとりで切り盛りしている小さなお店で、針もそのオヤジさんが結んだものを紙に包んで売っていました。最初の頃は川や野池でモロコや小鮒を相手にしていましたので、とても小さな針だったのですが綺麗に巻かれていた記憶があります。


 その小さな釣具店に入るととても良い匂いがしていたんです。私的にはその匂いは漆の匂いだと思い込んでいたのですが、その後本漆を使うようになって全く違っていたことを知るのですが、新しい竹竿を出すとその香りがしていたんです。今思うと墨の臭いだったのではないかと思うのですが確かめようがありません。
 そうそう本革の臭いがありますよね。あの皮の臭いも実は革の臭いではなくて革専用の染料の臭いだったのです。だから革の臭いと思ってクンクンと嗅いでいるのを見かけますが、臭いでは本革か合成レザーかは判別できないんですが、その塗料は本革にしか使いませんので結果として本革だとわかるわけですね。


 その後になって車に乗り出していたので大学生の頃だと思うのですが、近くにもう一軒釣具屋さんが出来たのです。そこも70歳程度のオヤジさんが趣味で始めた釣具屋さんでしたが、この店主は元々はうどん屋の経営者でした。関西ではよく見るうどん屋さんで力餅食堂というのがありますが、このお店はチェー店ではなくて弟子師匠の関係で暖簾分けされて出店されていたはずで、その内の1軒をされていたのです。


 そのお店に特に買う物もなく寄ってはそのオヤジさんと話し込んでいいました。その頃多分私は鮎釣りに填まっていた頃でしたから、鮎釣りの話をしていたはずですが時に海釣り時に渓流釣りと多種にわたっていました。いつもいつも若造のたわいもない話に付き合っていただき、長く話し込んでいたのを覚えています。


 当然そんな長話をしているのですから釣りの話だけではなく、力餅でのうどん出汁の取り方や丼の味付け方法、どうして力餅では赤飯を売っていたのかなどのお話をしていただきました。赤飯がメインではなくて小豆の餡でおはぎを作る過程で出来る小豆の灰汁が赤飯の色の元だと教えていただいたのですが、おはぎを作っていたから赤飯を作ったのだとのことで、今でも力餅では赤飯と共におはぎが売られているのはその為です。


 そのお店に入り浸っていましたので当然何も買わないわけではなく色々と購入していたのです。初めて買った鮎のカーボン竿やカーボンの磯竿もそのお店で手に入れました。京都には超有名な釣具店があったのですが、勿論品ぞろいも多数ありピンからキリまであるのですが、やはり通い慣れたお店でオヤジさんから色々な道具類を購入するようになっていました。
 それこそ1時間2時間と油を売っているのですが他のお客さんは殆どありません。その当時は釣具店も多数ありましたので、お客さんも分散傾向にあったのかも知れませんが、懐かしいお店は全てなくなってしまいました。


 今生き残っているお店は旧来からの老舗か大型店舗に変わっていますが、それは釣具店に限らず色々な職種でも小売店舗はなくなってしまいました。一番最初になくなったのは文房具店ではないでしょうか。どこの学校の門前にも文房具店があるのが定番でしたが、今では先ず見かけることはありません。
 次にクリーニング店も取次店はあっても店でアイロン掛けしている職人の姿は見かけなくなってしまいました。
 あらゆる職種が大型店舗に姿を変えていきましたので当然商店街はシャッター通りとなって行きました。


 まだ町の明かりが残っている商店街でもチェーン店の居酒屋かカラオケ店そしてスーパーなどと小売店はどこへ行ってしまったのでしょう。そういえばお肉屋さんも店内で天井から吊した片身を解体作業されていたのも覚えていますが、今では全く見かけなくなってしまいましたね。


 釣具店から随分と話がずれてしまいましたが、そんな入り浸っていた客を煙たがらずに相手をしてくれていたのも、暮らしに余裕があったためでしょうか。ハッキリ言って釣りなんてものは生きていく上では全く余暇の部分であって必須な条件ではないはずです。


 それこそ釣り好きが例え話でいうところの


「一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。」
「三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。」
「八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。」
「永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。


 または
「一日幸福でいたかったら、床屋に行きなさい。」
「一週間幸福でいたかったら、結婚しなさい。」
「一ヶ月幸福でいたかったら、良い馬を買いなさい。」
「一年幸福でいたかったら、新しい家を建てなさい。」
「一生幸福でいたかったら、釣りを覚えなさい。」


 こんな言葉は釣り好きだけが言っているのではないでしょうか。だって釣りに興味のがなくゴルフ三昧の人は、最後の部分はゴルフを覚えなさいにしたかったに違いないからです。


 言い得て妙な言葉がこれです
「釣り竿は一方に釣り針を、もう一方の端に馬鹿者をつけた棒である。」
 極寒の日や灼熱の日に一心不乱に浮きを見つめている図はまさにこの通りだと思えてますので至極名言だと思うんですが如何でしょう。


 明日もまた馬鹿者である歓びを感じることと致しましょう。