両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 雑談 邪馬台国は大和だった!!

 邪馬台国はどこかとのり論争が続いています。九州説奈良説など我が地方こそ邪馬台国だと、研究者によってもいろいろな説があり結論に達していません。


 しかしこの度新説が発表されたのですが、私個人的にもストンと納得させるだけの新説で、それこそ間違いないと思うようになりました。


 まず最初に邪馬台国を「やまたいこく」と読むと学校で習った記憶があります。しかし根本的にこの読み方が違っていたとするとどうでしょう。
 邪馬台国を「やまたいこく」と読んだのは江戸中期の新井白石が最初ではないかとされていますが、新井白石は邪馬台国は大和だとしておきながら、晩年になり九州説を称えるようになったのです。


 しかしどうして邪馬台を「やまたい」と読んだのでしょう。邪馬「やま」台「たい」・・・この台をどうしてタイと読んだのかです。『魏志』倭人伝に書かれていた頃の台はダイとは読まず、ダとドゥの中間の発音だったとのことです。


 また台と同じ発音の文字として苔があるのですが、奈良飛鳥時代にはトと読まれていたのです。


 日本人が言うところのヤマトの発音を、中国人はヤマドゥのように受け取ったので、邪馬台と表示したのではないか。つまり邪馬台はそのまま「やまと」と読むのが正解ではないかとの説です。つまり誰もが邪馬台国をヤマタイコクと読んだ事に疑問を感じなかったから、九州説などが出たのではないかと説です。


 面白いですねぇ。邪馬台国を「やまとのくに」と読めば何の迷いもなく、現奈良県だと確定出来たのではないでしょうか。


 実はもう一つ面白いと思うこととして魏志倭人伝があります。魏志倭人伝は「ぎしわじんでん」と読みますが、魏志倭人伝と続けて表記するのは本来間違っていて、魏志と倭人伝にはスペースが必要なんです。つまり中国の暦書である三国志のなかには、魏・呉・蜀と3つの国が書かれています。その内の魏について書かれているパートの中に、倭人伝が出てくるのです。


 日本武尊「やまとたけるのみこと」の名前は広く知れ渡っていますが、第十二代・景行天皇の三子として生まれ、次期天皇と考えらられていたのですが、猛々しさに恐れて遠ざけるようになり、最期は伊吹山の祟りによって病に倒れ白鳥になったとされています。


 この日本武尊は別に倭建命と表記します。読み方は全く同じで「やまとたけるのみこと」と読みます。日本書紀には日本武尊と表記され、古事記では倭建命と表記されています。
 魏志倭人伝表記の後半である倭人伝を「わじんでん」と読んでいますが、実は倭人伝の倭は1文字で「やまと」と読むのです。


 つまり魏の歴史の中にヤマト人の伝記が書かれていることになります。7世紀後半に倭国「わこく」と呼ばれていたヤマト王権は対外的な国号を日本に改めた、とされているのですが、倭国を「わこく」と読んでいること事態に間違いはないのでしょうか。


 もし邪馬台国はヤマトコクと読み、倭人伝はヤマトジンデンと読むとするなら、日本の中心は大和「ヤマト」だったことにならないでしょうか。


 つまり邪馬台国は奈良だった!


 文字遊びの中での雑談ですから、この内容についての反論は受け付けませんよ。
 それこそ専門家及び研究者そして歴史好きの方から見ると何をバカなことをとなるでしょうが、素人とはこんなものですから悪しからず!!