ヘラブナ釣り 釣りのSDGsは詭弁
ヘラブナ釣りでもSDGsの観点から、釣具メーカーも取り組んでいるように見えます。しかしその内容は、ヘラブナを釣り上げた後は、餌打ち前にタマから放流しましょうということだけです。それこそ食べもしない魚を釣る行為は、ヘラブナに対する虐めそのものでしかないと感じます。
食わないのであればヘラブナ釣りそのものを禁止するのが、まさにSDGsに沿った行為となるはずです。次の項目の中に釣り上げた魚を素早く再放流する行為が、どれか当て嵌まる部分はあるのでしょうか。

タマから早く池に戻す行為は、単なる生き物を大事にしましょうであって、DSGsには全く当て嵌まらないと思うのです。敢えて言えば海(淡水)の豊かさを守ろうでしょうが、意味合いが違っています。
ヘラブナ釣りだけでなく、ルアーで狙うブラックバスや、再放流するのが当たり前になりつつある、船からのヒラマサやブリのルアー釣りも、最近では食べないのが普通になっていますので、魚に対してありがとうなんていって、再放流している姿を見ると、なにがありがとうだ!!と思ってしまいます。魚は命の危機をを感じていたはず。遊びで釣り上げている人間の感謝の言葉なんて、魚が話せれば馬鹿にしているのか!!と文句を言われそうです。
あくまでも魚を虐めているに過ぎない行為ですから、いじめっ子が無抵抗の者に暴力を振るって、ありがとうはないでしょう。偽善以下の言葉でしかないはずです。
所詮人間のエゴでしかないのですが、釣り上げた魚はソッと放流しましょう!!おいおい!!釣り上げている最中に、そーっとそーっとなんて思ってなくて、良い引き味だと喜んでいるのに、再放流する時だけそーっとなんて、魚を大事に扱っていますよ、とのアピールでしょうが、まさにエゴそのものでしかないような気がします。
まぁ所詮私も含めて人はその程度でしかないのです。それこそ食べもしない魚を傷つけて楽しんでいるのですから、生命を軽んじている悪行そのものとなります。
釣れたヘラブナは針外しを使わず、タマですくい取り丁寧に針を外し、ソッと再放流することを、強く進めているのが、釣具メーカーの大会ですが、ますます偽善的対応と見えてしまいます。もしSDGsを強く称えたいのであれば、数釣りの大会そのものが問題で、大会終了時間まで、狭いフラシに閉じ込めているのです。確かにフラシに入れる枚数を限定してはいますが、閉じ込めているのに違いないわけです。まさになにかをいわんやです。
それこそ数量の限定をして重量勝負とか、短時間での枚数競争にすべきで、私たちのようにサイズ競争でも良いはずです。現在の大会内容は、メーカーが称えるSDGsに反しているのではと思えてしまいます。
我が社はSDGsに貢献していますとのポーズを取りたいのでしょうが、シマノではCO2(温室効果ガス)の排出制限に取り組んでいるのですから、それをもっと前面に出せば良いと思ってしまいます。
ダイワではもっと積極的な取り組みがされていて、社内活動、企画提案、施工物流、アフターサービスと、ダイワ社を挙げて取り組まれていますので、ヘラブナの再放流を素早くするなんてことより、もっと対外的にアピールする材料が多数あるのです。
単純に釣魚の保護という意味であれば、海外の大会などでは、測る匹数の制限を設けている事も多々あり、遊漁でも持ち帰りも1日一尾のみとか、サイズを限定しているとか、色々な縛りを設定されています。
本気になって環境を考えるのであれば、行政の禁止や漁業者からの禁止ではなくて、メーカーや釣り船など遊漁業界など、拘わっている人たち自らが、縛りを設けて対応すべきではないでしょうか。
しかし所詮釣りなんて遊漁と表現するように、釣り上げる楽しみのものでしかなく、魚を虐めているに過ぎません。釣り味はいってみれば魚の断末魔。如何に逃げ出したいかの動きを、釣り味として楽しんでいるのですから、釣り人である事自体が罪人って事になってしまいます。
釣り人が魚を虐めている行為は、どうしても正当化は出来ないはずですから、ヘラブナの供養塔を掲げている池もありますが、それも少しのしょく罪の現れでしょうか。でも残念ながら供養塔で、手を併せている釣り人を見たこともありません。
人は生きているだけで罪だと思っていますが、こんな感覚を持ちながらも、また次の日曜日になると、釣ってやろうとの欲望を抱えて、この竿は釣り味が良いなんて宣い、ノコノコと出かけるのであります。
私なんてエゴの塊でしかないんですよねぇ。
その昔反省だけなら猿でも出来る、なんて言葉が流行りましたが、私は猿以下って事になってしまいます。というか世の生物で、遊びとして他の命を脅かしている動物は、どの程度いるのでしょう。人は同種同士が殺し合う暴力や戦争行為をどうしてするのでしょう。
人は奇っ怪 世は不可解