両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 雑談 世知辛い世の中に

 今回の内容も私の偏って意見であり、批判されるところも多数あるかと思いますが、平にご容赦頂きますようお願い致します。


 元々世知辛いの「世知」とは世渡り上手を意味します。酸いも甘いも知り尽くしている人の事ですが、反対に世渡りが難しい事を辛いをつけて世知辛いと表現したものです。


 世知辛い世の中になったと思うのは、国民全てが評論家であり監視員になってしまったことにあります。人の失敗を許さない風潮はどうして生まれたのでしょう。


 そんな中で何でもかんでもハラスメントだと決め付けるのはどうした事でしょう。セクシャルハラスメントは当然防止する必要がありますが、その行き過ぎによって男性達が恋の告白が出来なくなっています。あなたを愛しています好きですと告白すると、セクハラと指摘されないかと戦々恐々としてしまい、愛の告白が出来ないまま独身を通してしまっています。


 昨今では合コンを開催するにしても、女性をもの扱いしていると責められてしまいますから、迂闊に合コンをしようとはいえないようです。ということは出会いの機会も減ってしまいますので、結果として結婚する人が減ってしまっているのではないでしょうか。


 特に女性の警戒心を煽るようなセクハラを取り上げるのはどうかしと思うのですが、過去にバカな男達がセクハラ繰り返していたツケが、今の若者に降りかかっているのではと思ったりします。


 社内で女子事務員のお尻を触る上司なんて一杯いました。それを見ている若い社員は何をしている!と思ったとしても止められず、社内はセクハラの温床と化してしまい、宴会などでは女性社員にお酌をさせるのが当たり前のようになる事も良くあることでした。


 そんなバカな行いを今でもしている政治家などがいて、またまた世間を騒がせてしまっているようですが、それこそ香川輝之氏のように、夜の世界での行いすら批判を受けるのですから、世間の目はいかがなものかと思ったりもします。


 仮に女性を物扱いしているとするなら、夜の世界は間違いなく女性をもの扱いとして、商品化していることになります。その関係の中で対価が支払われているとしても、男にお酒を作ったり話し相手になるのも、まさに物扱いしている事になるのではないでしょうか。


 新車発表の時に車の側に立っているイベントコンパニオンも、まさに生け花の代わりというか添え物とさえているのですから、物扱いをして立たせていることになります。これには当然対価が支払われいるのですが、物扱いそのものではないでしょうか。


 その昔には病院勤めの看護婦は独身でなければならなかったのです。結婚すると同時に退職するのが当たり前の世界でした。流石に今はそんなことはありませんが、独身を強要されていたのです。これなどは性別以上に人権を無視した規制であったと思うのですが、実は私の母親が京大病院の看護婦をしていたのですが、同期で婦長まで上り詰めた方は、生涯独身を通さなければならなかったのです。


 コロナ禍で宴会そのものが減ったのですが、落ち着いた現代では宴会に参加する社員も減り、今では忘年会や新年会は極端に減ってしまいました。居酒屋の広告も宴会の文字は少なくなっていますが、宴会には女性のコンパニオンを呼ぶのが極当たり前の事でした。しかしそれもまた女性を物扱いしているのだとすると、コンパニオンという職業もいずれなくなってしまうのでしょう。


 もっというと祇園の舞妓さんは、中学を卒業してから二十歳までが基本ですが、未成年にも拘わらずお酒の席に着かせるのですから、女性の物扱い以上に児童福祉法違反にはならないのか、それこそ少女虐待と何ら変わらないのではないかと思ったりします。それが例え自ら選んだ職業だとしてもです。


 会社組織ではパワーハラスメントなる言葉が作られました。ハラスメントの厳しいアメリカでは、パワハラは存在しないのです。上司が部下を指導するのは当たり前のことで、その行為はハラスメントではないとされているのですが、日本では部下の受取方次第でパワハラと認定されて、上司が懲戒処分を受けてしまいます。勿論行き過ぎた行為はパワハラと認定されても仕方がないのですが、指導を指導とは受け取らないのが現代の若者かも知れません。


 そのために厳しい組織である警察組織や消防署員に至っても、強い口調での指導は出来ないと嘆かれていました。


 しかしその全ての温床がマスコミの取り上げ方ではないかと思ったりします。実際マスコミの設定した規定が判断基準となり、行き過ぎた追求を平気でしています。政治家は公人ですから大いに追求すべきですが、私生活を暴くのは別の話ではと思ったりします。


 アメリカのクリントン大統領の浮気問題が持ち上がっても、その追求で大統領を辞任するまで追い込まれていません。イタリアのベルルスコーニ首相に至っては汚職問題から女性蔑視発言まで飛び出していましたが、首相を辞任するまでは追い込まれていせん。その過激発言の中では「イタリアには可愛らしい女の子がたくさんいるから、レイプをなくすことは無理だ」なんて放言もあるのですが、日本だとどんな結果を招いたでしょう。


 確かに日本人が聖人君子ばかりならそれでいいのですが、自分の行為は棚に上げて人を批判するのはいただけない。多くの国民は真っ当に生きているのだからそれでいいのですが、マスコミは人の内部のプライベートも曝け出して報道をする。もしその行為を正当化するのであれば、マスコミ内部の情報も暴露すべきでしょう。


 ある放送局の女性アナウンサーが自殺されました。とても悲しいことで残念でなりませんが、自殺に至った経緯や内容は一切報道されませんでした。放送局はなんとプライバシー保護の観点から内容は伝えずに訃報のみとしたのです。しかし今まで他の芸能人達の訃報については、根掘り葉掘り憶測も含めて曝け出している行為をどのように正当化するのでしょうか。


 女性をもののように取り扱う行為は、女性を貶めているとして慎むべき行為となっています。その行為が全てに当て嵌まるのだとすると、ミスコンテストはもう時代遅れではないでしょうか。今回もミスコンに選ばれた女性の私生活を暴き、それで辞任するに至るのはどうした事でしょう。不倫はミスコンに違反するのでしょうか。コミコンに選ばれた女性の私生活を暴いたとしても、どの部分に公共の利益がはかれるのでしょう。


 職業としては女性の聖域であった看護婦も看護師との名称になり、男性ナースが誕生しています。もっとも女性の聖域だったのがスチュワーデス stewardessがありました。男性の乗務員はスチュワード stwewardと表現しますが、性の区別をなくすためにキャビンアテンダントで略してCAと表現されるようになりました。キャビンアテンダントも英語表記ではフライトアテンダントFlight attendantが正解でしょうか。でもアテンダントは世話やお世話係との意味ですから、尊敬の意味も含めてクルーと呼ぶべきでキャビンクルーCabin crewの名称が正解です。日本で使われるCAも世界では通じませんから注意が必要です。


 話がずれましたが、このCAもその昔はスッチーと呼んでいました。親しみを込めてかどうかは解りませんが、何となく軽視した下品な呼称だと感じたものです。


 しかし女性に声を掛けるだけで臆病になるのですから、結婚する若者が減るのも致し方ないのでしょうが、少子化対策を政府挙げて取り組んでいますが、この風潮をどのように改善するのでしょう。


 その昔には中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合略して中ピ連が、ピンクのヘルメットをかぶって活動していました。女性解放運動で取り上げられたのが男性による抑圧思想で、女性達の自由な活動や内閣を女性だけにするなど、少しばかり過激な活動になり過ぎたがために最後は解散してしまったのですが、女性の地位を高めるための強い運動だったはずです。


 そういえば思い出すのが蜂の一刺し発言で有名になった榎本三恵子女史。彼女の発言で田中角栄の5億円授受を決定づけたのですが、何を思ったのかその後ヌード写真を出版したりタレント活動をして消えていきましたが、もっと女性地位の向上に寄与すべきだったのに、ヌード写真は男性に媚びていると感じるのは私の勝手な思い込みでしょうか。


 何れにしても芸能人達のプライバシーを暴いて何をしたいのでしょう。公共の利益になるとするならまだ良いとして、グルーピーの存在をどのように説明するのでしょう。ファンやサポーターならまだしも、グルーピー化している女性も多いと聞きます。もしそのグルーピーに引っかかり、その後気持ちが萎えた事で訴えた場合、世間は訴えられた側が悪いとするのでしょうね。


 勿論誰がグルーピーかなんてことはその仲間内でしか解らないでしょうが、知っている人は知っていますし噂にもなります。
 まっ私個人的には全く興味のない報道ですから無視していますが、それが若者達の結婚する意思を低下させているとすると、マスコミももう少し考えても良いのではと思ったりします。まぁ無理でしょうが・・・



 最後に野口五郎氏のヒット曲に私鉄沿線があります。
改札口で君のこと
いつも待ったものでした
電車の中から降りて来る
君を探すのが好きでした


 恋愛中では微笑ましい行為ですが、今だと分かれてからはストーカーとして警察に通報されます。


伝言板に君のこと
僕は聞いて帰ります
想い出たずねもしかして
君がこの街に来るようで


 昔はどこの駅にしあった伝言板も既に設置されていませんが、そこに書くだけで思いを伝えたかったのでしょうが、それも今では全く迷惑行為となってしまいました。時代は進んでいます。私のような年齢になると全て違った世界となっています。


 童話のさるかに合戦では、最後に猿が臼に押しつぶされて殺されますが、今は説得によってみんなが仲直りする話となっています。桃太郎も鬼退治して財宝を持って帰りますが、現代では持ち帰った財宝は持ち主に返すのです。キジやサルそして犬も家来ではなくて仲間としての扱いです。


 元々桃太郎の話も明治に書き換えられているのですが、当時の軍部が教育上良くないとして、桃から生まれた桃太郎としたのです。元々は桃を食べた爺婆が若返り子供が出来る話で、生まれたその子供が桃太郎となって鬼退治をするのです。


 書いている内に何が何だか解らなくなってしまいました(笑)。内容については多数の批判もあろうかと思いますが雑談ですから、寛大なお心持ちによって平にご容赦下さい。