両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り インフルエンサーは・・・

 世間では対外的に影響を与えるような行動や発信そして発言などを行う人のことをインフルエンサーといいますが、案外多いのは色々な団体のなかにもいる声が大きい人がインフルエンサーになっていたりします。


 実際問題として正論であればまだしも個人的感想を声高に発言する人が、その団体に影響を与えている場合が多いもので、その多くが理不尽であったり自分勝手な思い込みである場合があるのですが、自信満々で自分の意見こそ正論と声高に発言されてしまうと、反対というか訂正発言する事も出来ずにいる場合が多くあります。


 実際私の所属していた団体でもそのようなことがありました。影では困った人だと噂にはなっても、その人を諫める事が出来るようなもっと影響力のある人が現れなければどうすることも出来なかった事を覚えています。最終的には自分の居場所を見失ってしまい辞められていったのですが、なんのことはない2番目に声高だった人が台頭して同じようなことが起きてしまいました。


 釣りクラブではどうでしょう。案外インフルエンサーな人がいるのではないでしょうか。聞くところによると自分勝手なルールを作ってみたり、自分に有利な釣り座を確保してみたりと、周りの迷惑など気にしないで我が物顔にしている方がいるようです。
 我が天釣会でその方を誘う話も出たことがあるのですが、あの方は辞めた方が良いとの声が聞こえてきたことがあります。その方とは個人的には普通に話をする事が出来るのですが、どうも私には見えてない部分がありそうです。


 一番困るのは正論的インフルエンサーの存在です。何も間違ったことをいっているわけではないのですから、その通りですとしか言い様がないのですが、反対にそんな細かい事までうるさく言う必要が無いだろうと思うこともあります。ただ正論的な発言ですから誰も何も言えないのですが、世間にはサイレントマジョリティとして物言わぬ多数派が存在しているのです。1人のインフルエンサーのために物言わぬ多数派が影響を受けてしまうんです。


 ここで政治的な発言はしたくないのですが、昨年度末に武蔵野市では外国籍の住民にも開かれた住民投票条例案について、東京都武蔵野市議会は反対多数で否決された事がありました。
 これに対して事前アンケートでは73%の市民が賛成していたのにおかしいとの声が上がったのです。有名人もコレに同調した方がいるようですが、このアンケートの有効回答率は25.5%しかなくて、そのうちの73%が賛成していたに過ぎないのです。
 有効回答者数は509人です。武蔵野市の人口は約145,000人です。そのうちの509人が回答してそのうちの371人が賛成をしたに過ぎないのです。つまり全人口からすると0.255%の方が賛成したに過ぎないのです。
 これでは統計的には全く有効ではない数字ですから、73%の数字が一人歩きしてしまって人口の145,000人の内の99.7%もの物言わぬ方達の意思が全く反映されていないのです。つまりサイレントマジョリティとして物を言わなかったから意思がないのではなくて、物を言わなかったけれど意思を持った多数派が存在している事になるわけです。まぁ子供や赤ん坊は除外できますが、それでも20歳以下は2万人程度しかいません。から125,000人もの無言でいる意思を持った方がいるのですから、371人の賛成意見などほぼ0であると言えてしまいます。(但し黙っているから全てが反対意見とは言えません。)


 釣りクラブであったとしても自己顕示が苦手な方もいますから、黙っているから声高の人の意見がさも正解で皆さんから賛同を得ているように見えたとしても、実はその意見に反対の人も多数存在している可能性があるわけです。


 私個人としましては幹事役を引き受けていますのでインフルエンサー的である可能性はあります。その為に出来るだけ公平である事と細かいところに捕らわれないようにしているつもりです。釣り座も検寸係を兼ねていましたので基本的に皆さんの真ん中辺りになるように工夫しているのですが、最近は抽選に参加して釣り座を固定しないようにしました。ただその結果として検寸場所を多数設けて、その近くの釣り座に入った方に検寸係をして貰うようにしました。ただ測り方の差が出る可能性もありますので、検寸台は傾斜を設けて無理矢理ヘラブナの鼻先が付くようにして計れるようにしています。当然その傾斜角度も同じに統一にすることで公平さを担保しています。
 ただ検寸係をしていると釣りに集中して釣りに打ち込めないんですが、この方法が私自身の立場も公平になるようにと思って釣り座の移動をするようにしたのです。


 人が多く集まりますと色々な意見が出てきます。否定することもないようにな内容であれば、取り敢えずは1度は試してまた元に戻すこともあります。何事においてもコレが正解というものはないと思っていますが、最終的には楽しい時間が過ごせているかどうかだろうと思うのです。
 極端な話としては意見の違いから争いになりどちらかは辞めてしまうことになることです。本来はどちらも良かれと思って出た意見のはずです。それが発言者または指摘された方が意見に同調できない方が辞めることで事が治まるのは本来ではないはずです。 
 如何に楽しい時間を過ごすことが出来るか。何をするとまた参加したいと感じることが出来るか。それに尽きると思っているのですが影では恨まれているかも知れませんね。気をつけなければ・・・実際歳を取ると好好爺でありたいと思っているんですけどねぇ。


 でも勝負は別です!!ハイ(笑)