両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り ヘラブナ釣りの面白さとは

 ヘラブナ釣りは難しいから面白いと言われていると思うんです。私自身もその意見に賛同するのですが、だからといって竿を出しているだけで楽しいなんて事は決してなく、難しい釣りであったとしても釣れてこそ楽しく面白いのであって、何時まで経っても当たりが出せないとか釣れないでは、ただ難しいだけで面白さは微塵もないのではないでしょうか。


 難しいから面白いの答えの裏には、難しいけれど私には釣れるとの裏付けがあればこそではないでしょうか。


 ある釣り人がボーズに終わったとしても10枚釣れたとか、他の釣り人が10枚釣れているときに20枚釣れたとか、その優位性も難しいから面白いの裏に隠れているような気がします。


 勿論自身で当たりすら出ないときに色々と試してやっと当たりを出すことが出来た時の面白さもあります。他の釣り人が尺程度のサイズを釣り上げているときに大助を釣り上げられた優位性も比較対象のある面白さでもあるでしょう。


 今は野釣りをしませんので単独釣行はないのですが、他の釣り人と和気藹々とした雰囲気で釣り続けられるのも、ある程度の釣果を得られたからであって1人ボーズで終わっても今日は楽しかったと言えるのかどうかは甚だ疑問ですが、単独釣行ではボーズであろうが釣果が得られようが、自己満足の範囲ですからそれ程大きな満足感は得られない要に気もします。


 全く当たらないなんて比較提唱の優位性を喜んでいるようでは、真のヘラブナ釣り師とは言えないのは当然のことで、邪な私だからこそ感じるところではあります。


 詰まりヘラブナ釣りの面白さは、難しい釣りでりながら実は釣果を得やすい対象魚である事であり、比較対象する釣り人が近くにいることです。それは釣りクラブの存在もその意味を含んでいますが、釣り堀での閉鎖空間で当日のタテや月間タテなどの開催によって、自身の優位性を誇示できる事にも面白さがあるはずです。


 ということは如何に釣果良く釣り上げる事が出来るのか、また他の釣り人と比較して釣り上げる事が出来るのかなど、間に釣果を得られるからこそ面白い釣りだと言い換えることが出来るのではないでしょうか。


 幾ら難しい釣りだから面白いと誇示して見せたとしても、釣れなければ全く面白くないのですから、案外簡単に釣れるから面白いのかも知れないと思えてきます。


 当然そんな簡単な釣りではないのは経験していればわかる事ですが、それでもある程度の釣果が得られるようになると、ヘラブナ釣りの難しさは感じなくなっていきます。
 ある部分では釣れて当たり前と思うようになるのですから、人の感受性の変化は欲と二人連れといいますか、欲望は増幅するばかりのような気もしてきます。


 最初は当たりを出す難しさを感じ、次は上手く合わせられるかの難しさとなり、次には枚数を増やす難しさに直面し、次には大型サイズを釣り上げる難しさへと続きます。ただそれらをある程度の水準で凌駕してしまった場合は、その状態が当たり前となってしまうのではと思うのです。


 そしてその段階に入ってからの面白さのレベルが高まっているがために、当たりが出なかったり釣れなかったりすると酷く落胆してしまう事になります。ただある程度の釣果が日常的に得られるようになると、数や型に捕らわれるよりも1枚を釣り上げる手応えを釣り味として求めるようになります。


 そこに待っているのが竹竿でアリメーカーのフラッグシップ竿だろうと思うのですが、この結論には飛躍しすぎでしょうか(笑)。


 良い竿を振りたいと思うのですが歳がそれを引き留めようとするんですよねぇ。