両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 幸せな私達

 日々仕事に打ち込み日曜日になると息抜きのヘラブナ釣り。最近はどうも反対の様相でヘラブナ釣りを真剣に打ち込み、平日は仕事で息抜きをしている感じがしていますが、それでも日曜の度に好きな釣りが出来るのはとても幸せなことだと思います。


 次の日曜日は天釣会の記念すべき第50回の月例会を開催致します。毎月毎月例会を開くことが出来てそれも2度だけ順延しましたが、滞りなく50回を済ませることが出来そうです。こんな幸せなことはないと改めて感じているのです。


 ウクライナの国民は仕事どころか住むところも奪われ、逃げ惑う人達を目掛けて砲弾が飛び交う現実は、近くに野蛮な国がある我が国にとっては決して人ごとではないのですが、性善説を信じている国民としては、平和ボケと称されようが平和な日本を実感させられています。
 しかし今回のロシアによるウクライナ侵攻でアメリカは決して助けてくれないことを世界に知らしめました。日本人はどこかアメリカが助けてくれると信じているのですが、それは幻想でしかないのかも知れません。


 ここでは政治的軍事的な話は似合いませんのでコレで終わりますが、私達は夜眠ると必ず朝が迎えられると信じています。日曜日になると好きな釣りに行けると信じています。戦争が始まれば全てを奪われます。決して争いのない世の中でありたいと思うのですが、何もしなければ平和が維持できるなんて思うことは幻想でしかない事だけは間違いない事実ではないでしょうか。


 日曜日になるといつもより早起きをしてイソイソと出かけるのですが、今日はどんな釣りが出来るだろうとか、良い天気で気持ちが良いとか、桜が満開で綺麗だと感じられる余裕を大いに満喫したいと思いますが、人よりお金儲けしたいとか、人よりいい車に乗りたいとか、人より大きなヘラブナを釣りたいとか、人より多くのヘラブナを釣りたいなんて欲は他国への侵略行為に比べるととても小さいことで、1発の弾丸で全て奪われてしまいます。


 平々凡々とした退屈な日々こそ実はとても幸せだと知らなければなりません。良い釣りが出来た日もあれば貧果に撃沈してしまった日もありますが、それですらとても幸せだという事実を忘れがちです。
 池に到着して竿を出す幸せ、1枚のヘラブナの顔が見られる幸せ、釣り仲間とのバカ話をする幸せ、また来週といって分かれる幸せを感じなければなりません。


 どうしたら釣れるんだろうなんて悩みなんて悩みにもならない贅沢な話です。大助が釣れたなんて幸せは命がある幸せに比べると微々たる幸せです。それは外的要因だけでなく病に冒されて釣行できないこともあります。私ももう3年前になりますが釣りどころか立ち上がることも出来なかったのですが、それがまた毎週釣行できている幸せは何ものにも代えがたい事です。


 私達はただ生きているだけでも幸せだと感じなければならないでしょう。生きていくためには平和でなければなりませんが日々の仕事もこなさなければなりません。その潤滑剤としてヘラブナ釣りがあるのでしょう。ある方は言いました。ヘラブナ釣りを教えて貰ってとても良かったと。


 日曜日の度に釣行できるなんて夢のような幸せを私達は毎週感じることが出来ています。