両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 雑談 厚顔無恥 四文字熟語の話

 今回の雑談はあくまでも四文字熟語の話であって、その四文字熟語を理解しやすい内容にするため、ある噂話を引用していますが、その噂話もあくまでも噂話であって、不確かなものであることを理解して下さい。また特定の人物を貶めるとか、批判するものではありません。


 四文字熟語にはその人の様を表す言葉として色々とあります。ある知事は失礼ながら厚顔無恥と言い表すことが出来そうです。
 正直言って逃げも隠れもせず、マスコミの前に堂々と出て、インタビューに答えている様は、少し異様にも感じたりしますが、あの様は厚顔無恥といえるように感じます。


 ある副知事の行動については、寡廉鮮恥(かれんらんち)との言葉が思い浮かびます。意味は心に悪意があり恥も知らない様子です。聞き取りに対する脅しは副知事としての品位の欠片も感じません。


 もし私が知事の立場だとすると、冷汗三斗(れいかんさんと)の状態に陥ります。この意味は非常に恥ずかしい思いをして冷や汗が三斗も出る状態です。ところがとある知事をみていると汗の1つも出てない様子ですから、凄い強心臓の持ち主だとわかります。
 あの傲慢とも思える元東京都知事ですら、百条委員会では大汗をかいていたのですから、この差は凄いとしかいいようがないと感じます。


 表情が一切変わらないのは凄いと思うのですが、誰しも追求されると顔厚忸怩(がんこうじくじ)で、顔には恥じる色が出るものです。それが能面の如く顔色すら変わらないのですから、最初の4文字熟語である厚顔無恥がしっかりと当て嵌まりそうです。


 ただ別に擁護するつもりはないですが、高級官僚が接待を受けることは極当たり前で、おねだり体質も極自然なこと。また上役が全て持って帰る体質も、極々自然なこととして行われているのです。官僚の世界ではパワハラなんてのも当たり前の出来事です。


 反対に官僚に取り入るために、色々なものを提供するのも極自然なことですから、あの知事も当たり前の事をしているだけですから、どうして追求されるのか解らないのではと思えたりします。官僚ですら接待を受けるのですから、議員が接待を受けるのは当たり前で、地方議員ですら選挙になると関係する業種から、選挙運動のお手伝いをする程度のことは極自然なことです。
 そういう意味ではあの旧教団体が選挙運動に協力していたことも、構図としては理解できてしまいます。


 極端な話であり不確かな情報とした前提の話ですが、なおかつ噂話程度の内容ですから聞き流して頂きたいのですが、地方への出張した官僚には、地元から高級コールガールで接待をする事も普通のことだったのです。もう数十年前の話でしたが、その当時の金額で一晩20万とか30万なんて・・・・。


 ただある元知事の話として、課長クラスから知事になったのは、何階級特進か解らないほどの抜擢だったと。組織を統治する経験も少なく、課長クラスの振る舞いしか出来てないと指摘されていました。


 このような目標は高いが実力が伴わないことを眼高手低(がんこうしゅてい)といいます。
 また志大才疎(しだいさいそ)とも表現します。大きな目標を掲げているが、見合う才能がないことをいいます。


 やはり上に立つには才能と能力を有している高材疾足(こうざいしっそく)であるべきでしょう。
 もっと良いのは才徳兼備(さいとくけんび)でしょうか。優れた才能と人徳を備えている人のことです。


 そういえば都市銀行の若い支店長が、自分の親父ほどの年上の部下に対して、怒鳴り散らすなんて生やさしいものではなく、とんでもない暴言を吐いているのを見かけたことがあります。一説に銀行では暴力も当たり前の時代もあったとか怖いですが、理不尽なパワハラを受けた部下は、骨身にしみるほどの恨みを抱き、まさに徹骨徹髄(てっこつてつずい)に達していたのかも知れませんね。


 やはり最後の最後は人徳があるかないかではないでしょうか。あの明石の元市長であった泉氏は、火をつけてこいとの暴言を吐いたことで失職したのですが、出直し選挙では大勝して返り咲きました。まさに人徳によって勝たせたのではないでしょうか。


 泉氏を言い表すには志士仁人(ししじんじん)が当て嵌まりそうです。志ある人を表す四文字熟語で、暴言を吐いたけれど市民に対する政治活動が支持された結果ですね。


 ただ最近の世間は人の批判はしても自分の行いを顧みないのです。まさに言行相反(げんこうそうはん)で、自分の行いは棚に上げて人の失敗を許さないのです。特に芸能人に対して品行方正を求めるのもどうかと思いますが、少しの失敗も許さない風潮は、何だかなぁって思ってしまいますが、世知辛い世の中になったのでしょうか。


 でもね。脚下照顧(きゃっかしょうこ)との四文字熟語を忘れてはならないのです。この意味は他人の批判をする前に、自分の過去の言動を見つめ直してよく考えるべきであるとなります。


 誰しもが言行一(げんこういつち)するような聖人君子(せいじんくんし)ではないと思うのです。私だって胸に手を当たるまでもなく、まさに日頃の行いが悪く愚かな蕩児愚人(とうじくじん)なんですよねぇ。


 私は日頃ヘラブナ釣りに無我夢中(むがむちゅう)であり、妥協せず厳しく情熱を傾けている熱烈峻厳(ねつれつしゅんげん)であり続けていますが、さて世間からは進歩のなく知識の少ない呉下阿蒙(ごかのあもう)と思われているのでしょうね。
 でもせめて愚者一得(ぐしゃいっとく)として、愚かであるがたまには役立つ知恵が出せていると思いたいのであります。