両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 釣り堀のサービス

 今日は朝から免許切り替えのために、約30分のネット講習を受けていました。これで眠くなる講習は受けなくて良いのですが、実は京都だけでなく、北海道、千葉県、山口県の4県で試験的に行われているものです。



 ただ問題はスマートフォンで受けることが出来るのですが、機種によって使えないものがある事です。今回新しいiPhoneが使えなくて古いAndroidで受けることになったのが不便な点です。
 これもサービスの一環でしょうが、実際に講習を受ける費用として500円必要ですが、実はネット講習でも同額を支払う必要があるのです。
 もしネット講習を受けて免許切り替えをされる場合は、最終画面を記録しておくようにして下さい。現場で確認される場合があります。


 日本人がサービスという場合は、どちらかというと無料奉仕を意味すると思います。あの間違った意味でも伝えられている「お客様は神様です」のように、客は無料でサービスを受ける権利があると思い込んでいます。


 サービスの語源はserviceはラテン語のservus(セルウス)から来ています。このセルウスは奴隷の意味ですが、テニスなどで1球目をサービス、それで得点が取れるとサービスエースと表現します。またバレーボールなどではサーブというのもこのサービスから来ているのですが、元々奴隷または同等の使用人が、ジュ・ド・ポームという球技で、1球目を貴族や上流階級者にボールを投げ入れて勝負が始まるので、1球目をサービスとかサーブと表現するようになっています。


 現代に於いてサービスを受けるためには、そのサービスに等しい対価が必要です。それが諸外国ではチップという制度に現れています。
 その風習がない日本人はチップの支払い方でまごつきますが、有料サービスだと思えばわかりやすくなります。


 コーヒー1杯の料金が400円だとして、それを運んでくれた人にチップとして50円~100円程度払うのは、コーヒーを運んでくれたサービスの対価です。そのため海外でもセルフサービスであればチップは必要ないのですが、実は事情が変わりコロナ以降は、セルフでもチップを払うようになっています。


 では釣り堀でのサービスとはどんなものでしょう。池の管理やヘラブナの管理は当然のことですから、何もサービスの範囲に入るものはありません。通称の営業範囲ですからチップは必要ないはずです。


 池に玉が用意されている場合はどうでしょう。その玉は有料でしょうか無料でしょうか。数本程度であれば、忘れた人の対する無料サービスでしょう。それがもし全員に用意されていたとするとどうなるのかですが、使用料を含んだ釣り代と考えることが出来ます。


 実はそのチップに相当する費用が、釣り代金にも色々と含まれています。日本はチップ文化がない代わりに、チップを含んだ料金設定となっているのです。


 そこで釣り人が要求出来る範囲はどの程度かです。
1.釣れないから釣れるようにして欲しい。
2.池の水が濁っているから綺麗にして欲しい。
3.トイレが汚れているから綺麗にして欲しい。
4.休憩所を用意して欲しい。
5.食堂を作って欲しい。
6.自販機を置いて欲しい。
7.タオルやコーヒーなどのサービス品が欲しい。
8.大会をするので景品が欲しい。
9.釣り座の掃除をして欲しい。
10.玉の用意をして欲しい。
11.トイレを増やして欲しい。
12.雨避けの屋根が欲しい。
などなど・・・


 さてどの程度が池の無料サービスの範囲でしょう。またそのサービスが料金に転嫁されてもいいのでしょう。勿論無理な欲求も含まれています。


 間違ってはいけないのが、釣り人と池主とは対等のはずです。池から受ける全てのサービスに対して、釣り代として料金を払っています。なにも料金を払ったから釣り人が上位なんて事はないのですが、池主といえども勝手な理屈で出入り禁止することも出来ませんが、釣り人側が無理難題の放言をしたり、マナー違反をすることで出入り禁止になるのは当然の権利です。


 それこそ釣れないから釣れるようにしろと言い放った釣り人は、その場で出入り禁止になりました。トイレに行かずに放尿した釣り人も出入り禁止になりました。底釣り限定池で中層でばかり釣っていて出入り禁止になった釣り人もいます。


 釣り人はなにも釣り堀経営者より上位にいるのではないのです。お客様は決して神様ではないのです。カスタマーハラスメントをする人は、お客様は神様ですと思っているのでしょう。そういう意味では三波春夫さんの罪でもあるのですが、三波春夫さんが言いたかったのは、客を崇め奉るのではなくて、単に喜ばせたかったに過ぎないのです。


 元々日本には奉納との文化があります。神仏に対してお供えしたり、芸能を披露したりするもので、まさにお客様は神様です。


 そうそう奉納と奉献という言葉の意味が違います。奉納は神仏に対して納めるものですが、奉献とは献上するものですから、神様や目上の方達に対して贈る意味になります。


 いつものように話があちこちと飛びますが、釣り堀の料金には随分と差があります。私の知る限りですが1日の料金が1500円から3000円程度の差があります。このような倍の差に値するサービスを受けられているかどうかで、釣り人が訪問し続けるか離れていくかになります。


 何れにしても対価に見合ったサービスが得られると、釣り人は満足してくれるのではないでしょうか。とはいえ物価に見合った釣り料金が取れているかどうかも微妙なところで、どの程度が正当な料金なのかは難しいところです。釣り人の減少によって、生き残りを賭けた釣り堀経営ですが、1つまた1つ閉鎖されていきますが、最後まで残ることが出来ると、結果として営業が続けられるような気もしますが、釣り料金の改定が合ったとしても、釣り人はその池の存続のためには、共存共栄であるべきでと思います。


 何れにしても無理な欲求はしないようにしましょうね。