両うどんのヘラブナ釣り  天釣会のブログ

京都「淀の釣り天狗池」のヘラブナ釣り愛好会

京都 淀の釣り天狗池

 ヘラブナ釣りの釣技の差(腕)は何で計るのか

 釣具メーカーが開催する釣り大会は、基本的に重量と決まっている。ポイント計算してポイント制にしている場合もあるが、こちらも重量の多い順にポイント換算しているに過ぎない。
 考え方としては、匹数の多い方が重量も増すのだから匹数を争っているようにも見えるが、あくまでも重量の多い方を上位としている。
 関西人にしてみれば、これはとても面白い現象だと感じてしまう。
 ヘラブナに限らず、鯛やハマチなど海の魚も重量が重い方を喜ぶのが関東系の釣り人の感覚だろう。1本10㎏もある鰤が釣れたと重量で魚を表現をするのが常だろう。
 これは築地で250㎏のマグロの競りで何千万で落札されたとのニュースが流れるように、同じ魚の善し悪しを重量で計算するのは、競りの感覚というか食用の魚に対して、重量での売買があるために、寄り重い魚に価値があるとの感覚ではないだろうか。だから何㎏の魚が釣れた!と表現するのだろう。
 それをヘラブナにも当て嵌めていると思われるのだが、関西では得てして重量より魚のサイズを尊ぶ傾向にある。太っていようが痩せていようが長さが長い方が上等なのだ。
 ヘラブナの大きさ上等さを表現する言葉に大助がある。元々1尺を超えると大助と表現していたが、近年ヘラブナの大型化に伴い40㎝を超えるサイズを大助というようになった。45を超えると尺半なんていうが、あくまでも何㎏あったではなく何㎝あったとサイズを喜ぶ傾向にある。
 これは海の魚でも同じ事で、黒鯛(関西ではチヌ)も重量ではなくサイズで50㎝を超えると「年無し」と表現する。これは(ねんなし)や(としなし)と表現するが、50㎝を超えるサイズまで老成した魚だとの、尊敬を込めた呼び名で表現する。
 これは何㎏あるなんて下衆な言い方はしない。な~んて言い方をすると関東人に怒られるだろうが、大助も同じ事で、ヘラブナもそれ程大きく育った魚に対する尊敬の意味が込められている。このヘラは1㎏あるなぁなんて関西ではいわないのだ。
 その為、ヘラブナ釣りに対しても、数釣ればいいとの感覚も乏しくて、如何に大型サイズを釣り上げるかに血眼になる。夢の50㎝上!なんて表現するのもこのためで、夢の2㎏越えなんて表現はしない。
 そんな関西人の気質に合っているのがうどん池の底釣りだろう。団子で浮かせてポンポンと釣り上げる事は良しとしない。じっくりと底に両針とも着けてから、的確なツン当たりを取る。まさにスマートさを求められる。水面でバシャバシャさせているのも下品だ。軽く合わせてヘラも驚かせずに軽くいなし、水面を滑られて取り込む。
 釣具メーカー主催の大会で、関西的な釣り競技は面白くないだろうが、関西のうどん釣りを愛する人達には、数釣りを冷ややかに観ているのも事実だろう。
 といって、私は精神的に老成もしていないので、それなりに血が騒ぐのも事実だが、それをおくびにも出さずに、数が釣れても今日はそこそこ釣れましたとは言っても100匹釣れましたとはいわない。大きなサイズが釣れても、偶然喰ってきましたと冷静に話す。
 そんなところにヘラブナ釣りの美学があると思っているのだが、考え方が老成してしまっているのだろうか(笑)
 カーボン竿が軽くて釣りやすいが、竹竿の本調子を楽しむのも心の余裕だろう。ゆったりとした時の流れの中で鳥のさえずりや蝉の声で季節を感じるのはとても良い。
 ただ、そんな余裕をかましていても、内に秘めた闘志を燃やし大助狙いにあれこれ考える。(笑)色々と考えながら手を変え品を変え次回の釣行に生かす、それもヘラブナ釣りの楽しみだろう。
 誰も釣れていない真冬に釣果を伸ばすのも密かな楽しみだが、うどんにまぶし粉そして底釣りスタイルで釣り上げるその1匹の価値は、団子をひたすら打って寄せるだけ寄せて喰わせるのとは随分と違うと勝手に思い込んでいる。
 ただ数を釣るだけなら簡単なのだ!
 

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