両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

日曜大助1枚長寸大会最終日を前に思うこと

 8月26日が淀の釣り天狗での日曜大助大会の最終日となる。次週からの日曜大助大会については、色々な案が出ているのだがまだ確定していない様子。
 釣り人が減りだして池としての売り上げも激減したのだろう、池の生き残りとしての策が打ち出されているのだが、企画内容次第で流行らないパチンコ屋のように余計に客を遠ざける結果になりかねない。
 そうなると益々池の存続が危ぶまれることになるのは、利用させて頂いている釣り人側からも宜しくない。
 京都の釣り池は減る一方でこれ以上減って欲しくないのだが、池主の高齢化もあり余計に存続が危ぶまれる。実際釣り人側も高齢化の一途を辿り、見た目の派手さもなく、古いこうあるべき論を宣う頭の硬い老人達がのさばっているのが事実で、ルアー釣りのように若者を引きつける魅力が乏しいのも現実のなか、どのような方策をすべきか模索するのだろうが、残念ながら池主もお年寄りのために若者受けする案は浮かんでこないだろう。
 色々な企画を打ち出して集客に結びつけるのは、やはり釣り客を交えて論議すべきたと思うが、釣り客を排除して提供者の論理に建った考え方では集客に繋がり難いだろう。
 釣り客が訪れたいと思わせる企画は当然釣りに行きたいと思うことが最大のことだ。


 なんと言っても1番は良く釣れる池と思わせることだ。
 得てして関西の釣り堀はヘラの密度が少ないと言われている。密度の濃い関東の池とは比べものにならないが、密度が高くて水面まで湧いていては、釣りにくくて仕方ないと思うが、棚規定のないところではカッツケ釣りで100匹以上も釣り上げてしまう。それが面白いとは個人的には全く思わないが、工夫を凝らさずに良く釣れるには密度を上げるのが手っ取り早い。
 毎年冬には新ベラの放流祭りが一大イベントなるのは間違いない


 次に釣り環境だろうか、気持ちの良い一日を過ごせる釣り池であればやはり行きたいと思うが、施設を新しくするほどの資金的余力もないだろうから、池の水くらいは管理して欲しい。竿を拭くと真っ黒になっていてはやはり興ざめがする。またヘラブナの病気についても管理して、綺麗な魚体を釣り上げるのも気持ちの良いものだろう。
 お気に入りの竿で良いヘラが釣れたらそれだけで満足するのもヘラ師ではないだろうか。


 次にその池に行きたいと思わせる池の企画だろう。
 私的には競い合う釣りはしんどいのでのんびりと釣りたいのだが、やはりどこかに競争心も戦わせたい。
 池の負担も和らげ尚かつ釣り意欲を高めるとなると、やはり池主催の大助賞は外せない。これは他の釣り人と競うのではなく自身との戦いである。如何に大助を釣り上げるかの工夫をし、次こそは大助を釣り上げるぞ!との思いがヘラ釣りの闘志が燃え上がらせる。


 もう一つが、特定の日ではなく、ある一定の人数が池に訪れるといつでも池主催の大会をすることだろう。上位3位までで良いので何かの賞を着けて欲しい。池の負担を減らす意味ではなんといっても釣り補助券だろう。
 1位は1枚で1日券、2位は2枚で1日券、3位は3枚で1日券だろうか。勿論1位で3枚ほょけんでも良いし、2位は5枚で1日釣券の補助券でも良いだろう。
 釣券を提供すると池としての持ち出しは何もないのだから取り組みやすいと思うのだがどうだろう。
 これも関西らしく数釣りではなくて長寸大会が面白い。技術の差が出てしまう釣魚数を競うと、新人は先ず勝つことは出来ないし場合によっては上位はしつも常連が締める結果になりかねない。一発の偶然の要素のある長寸賞がやはり面白いと思われる。


 次は竿規定の撤廃だろうか、長竿を使いたい人は何尺でも良いことにすべきで、波除けパイプがあるので無限の長さは使えない。それにもかかわらず変な尺規定を設けていては釣り意欲がそがれてしまう。短竿好きもいれば長竿好きもいる。
 そうそううどん池の規定は撤廃して欲しくない。生き餌や一発以外は自由にしているところも多いが、うどん餌で釣りしていて横で団子が使われるとどうも宜しくないので、数の少ないうどん池として残して貰いたい。


 私的にはこんな事をつらつらと思っているのだが、釣り人が集まれば色々な意見が出てくるだろう。それを寄せ集めて集客への方策を練ることで、池の繁栄に繋がると思うのだがはたしてどのようになるのか。
 26日の情報が待たれる。