両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 釣天狗池の場所は京都でも重要拠点

 いつもは淀の釣天狗池と「淀」の地名を入れているのですが、正確には淀ではなくて久御山町となります。近くの駅が淀駅ですが淀は正確には京都市伏見区淀で、久御山町は京都府久世郡久御山町ですから行政区域が全く違っているのです。近くには中央競馬会の改装されて新しくなった競馬場が淀にありますので、久御山より淀の方が知名度が高いのではないでしょうか。


 この辺りは京都の川が集まってきて淀川に合流する場所で、鴨川・桂川・宇治川・木津川の合流点になります。その意味からも昔の交通の要であったため秀吉の時代に淀城が作られ、そこに住まわせたのが秀吉の側室となったねねを住まわせたのです。それが淀君となるわけですがこのねねは滋賀県(近江の武将)浅井長政の長女で母親は信長の妹です。その妹が嫁いだ浅井家に攻め入り滅ぼすのですが、信長の妹であるお市も浅井長政と共に殉じたのです。


 姉妹が脱出して秀吉の保護を受けるのですが、その長女が後に秀吉の側室となり秀吉の長男を産む事となり、家康の娘千姫と結婚することになるのですが、家康は娘が嫁いだ豊臣家を冬の陣・夏の陣で滅ぼし淀君と息子の秀頼は自刃 (じじん) してしまいます。


 そんな激動の時代の表舞台となっていたのがこの淀周辺ですが、川が集まって来る地形ですから当然地下水も集まる拠点となっています。そのためこの地にサントリーのウイスキー工場やビール工場が建てられているのです。かの有名な天王山の戦いは豊臣秀吉と明智光秀が戦った場所として有名ですが、それもこの周辺地域でありウイスキー工場は天王山の西側にありビール工場は北側にあるのです。


 そんな歴史的拠点であり水の集まる場所でもあるところに釣天狗池はあります。日曜日には淀の競馬場から声援が聞こえてきたりしますので、ああ今日は競馬を開催しているなぁって解ったりするほど近くにあるのです。


 あっ!ついでの話ですが、大阪城は秀吉の作った城として有名ですが、実は秀吉時代の政治の拠点は伏見城(桃山城)だったのです。今は明治天皇陵となっているところに建っていたのですが、天皇陵に行きますと奈良から大阪方面に視界が大きく開けていますので、攻め入れられることが素早く察知できる場所だったことが良くわかります。その前線基地が淀城だったのです。


 伏見城で政をしていましたのでお金にまつわる銀座や両替商が軒を連ねていた場所があり、そこの地名はいまでも銀座・両替町と残っています。日本で一番最初に銀座という地名が出来た場所が伏見城の麓にあるのです。東京の銀座は家康が江戸城に入り政を始めてからですから、伏見の銀座より新しいのですが誰も知らないようですね。


 この銀座の座という表現は今でいうところの同業組合で同業種が集まっている場所を意味します。つまり銀座とは鋳造・発行所が多数あった場所を意味します。
 ついでのついでの話ですが最近になって参拝者を多数集めてている神社に御金神社があります。近年になって鳥居に金箔を貼ることで余計にお金に関連付けされていますが、住所は京都市中京区西洞院通にあります。京都には西洞院東洞院という通りがあるのですが、元々洞院とは皇族の住まいのあった場所を意味し、この御金神社も院内の鎮座していた社で、後に整備されて外に出るようになるのですが、元々は東側に平行して釜座通りがあるのですがこの鍋釜等の鋳造していた場所で、鋳物職人たちがお参りする鋳造の守り神がこの御金神社だったので、お金とは本来関係がないのですが神社は金座銀座があったことに関係つけていかにもお金に御利益がありそうな話としていますが、その金座銀座は家康の時代に造られていますので随分と時代が合わないのです。


 京都文化として案外知られていないのですが、京都は御所を中心とした公家文化と伏見城があった事で城下町との側面を持っているのです。そのためがどうか知りませんが京都市役所には京都市と伏見区と分けて行政がされていると聞きます。元々伏見区は伏見市でしたが明治時代に合併して今に至っているのですが、文化の違いは根強く残っていると感じます。
 そのためでしょうか今でも伏見区の住人は京都駅近くや祇園方面に行く場合には京都に行くと表現してしまいます。


 また地図上の上下も北が上ですが伏見では城のある東が上だったのです。東の山の上に城のあり西に町が広がっていたために東を上と表現していたのでしょう。今でもそれが残るかどうかは定かではありませんが、城下町としては至極当たり前の表現だったと思います。
 どんどん横道に逸れていきますが、祇園にある一力ですが大石内蔵助が遊んだ店として有名です。しかし史実は伏見区の橦木町(遊郭)にあった萬屋で遊んでいたのです。それを歌舞伎の仮名手本忠臣蔵で祇園の一力で遊んだことに作り変えられたがために、祇園の一力で遊んだと今に伝えられているのです。
 この一力は萬=万を上と下の分けた文字だと気がつきましたか?萬屋はよろずやと読みます。この万屋に一力のオヤジが倉之助のファンだと名乗り、日々通い詰めては大石の遺品を譲り受けたことで、現在一力に遺品が集められて史実に近いように語られるようになったのです。
 その一力のオヤジの功績で現在の花街として祇園が出来上がっているのですが、元々は八坂神社前の小さな茶店があるだけだったのです。


 ここだけの話、伏見区にある龍馬が遊んだとされる寺田屋ですが、実はその寺田屋は火事で焼失しているのです。ということは現存している寺田屋は果たして・・・。私は入ったこともありませんが何故か刀傷とかも残っているとかいないとか、実は現存する寺田屋の隣が公園になっているのですが、その公園に寺田屋の史跡と表現されているはずです。


 おーっとヘラブナ釣りの話が全く出来てないですね。でも温かくなった割りにはまだまだ寒い日もあります。釣りに行く場合には防寒着も忘れないようにして下さい。


 そういえば奥方に家から追い出されて釣り場に来ている御仁もいますので、哀れというか仕方ないというか、その姿を見て自分を見つめていうような錯覚に陥ってしまいますね。


 そろそろ爆釣してもおかしくないシーズンに入っています。それをいち早く実感するるのは誰が最初でしょうね。また歴史的重要拠点だった淀の釣天狗池にいって爆釣しましょうか。