ヘラブナ釣り それって個人の感想ですよね!
題名のそれって個人の感想ですよねは、自分の意見と違う場合には効果的な言葉です。しかし何でも全ては個人の感想以外なくて、1つの仮説に基づいて調べ研究していった結果、仮説が真実へと結びついていきます。
その真実すら個人の感想ですよねと指摘されると、研究者は研究に基づいた論説だと反論するでしょうが、聞く耳を持たない相手にはなにも届かず、どんなに力説したとしても徒労に終わってしまいます。
だいたいが個人のレベルで知り得る情報はたかが知れていて、誰かが調べた結果を参考にして、自分のものとしていくのが普通でしょう。この普通って言葉もいい加減なもので、私の感じている範囲内のことが普通であって、親兄弟だとしてもその普通は違っているはずですから、この普通って言葉も余り好きではないのですが、話の流れとしては良しとしましょう。
宇宙の真理を解く人がいたとしても、科学的根拠なるものがどの程度正確なのかどうか、宗教かかってしまうと、天地創造はユダヤ教かキリスト教だったか、1日目に宇宙を作り、2日目に空を作り、3日目に大地を作り、4日目に太陽を作り、5日目に鳥を作り、6日目に家畜と人を作り、7日目には休まれたのです。7日目に休日になる現代のカレンダーは、神が7日目に休まれたからです。
日本の神話も似たようなもので、日本神話に出てくる神はとんでもなく多数となりますので、聞いたこともない神も多数いて誰が誰だか解らなくなりますが、代表的な天照大御神はまさに名前の通り、天を照らす神ですから太陽の神です。他に闇淤加美神(くらおかみのかみ)は水の神と、人が理解できない部分は全て神の領域で処理されていたのです。
知りようがない時代のことですから、仕方のないことですが、それこそ宗教の教えは、科学的根拠のない話ですから、それは個人の感想ですよねと指摘も出来る訳です。
またまた随分と横道に逸れてしまいましたが(笑)。いつものことと笑ってお許し下さい。
ここで書いていること、または世に出ているhow to本はそれぞれの釣り人が、自分の経験を通して知り得た情報ですから、間違いなく個人の感想となります。そういう意味では万人に共通する話では全くなく、訪問する池も違えば釣り方も違うわけで、当然訪問日の季節から気象条件も違っているわけです。それが全てコレが正解なんて事をいう人がいたとすると、それこそ個人の感想でしょと指摘すべきで、単純にこんな方法もあるというのが正解ではないでしょう。
このところ釣果に恵まれにくい池があります。また反対に良く釣れる池もあります。良く釣れる池の釣り方で釣れない池に訪問しても、やはり良く釣れるとは限らず、どちらかというと撃沈されるのが関の山でしょう。
反対に釣れない池で工夫してなんとか型をそれなりに見ることが出来たとして、その苦労した釣り方を良く釣れる池に持ち込むと爆釣するかというと、やはりそんなことはないわけですから、訪問した池の状況を的確に判断して、どの釣り方が良いのかを早め早めに判断して切り替える。その切り替える知識の引き出しを幾つも持っているかどうかで、満足のいく釣果を得られるか得られないかの区別となってしまいます。
個人的には釣れない池に行き、どうしたら当たりが出せるか、どうしたら食わせる事が出来るか、アレコレと試すして1つの答えを導き出す。それがまた新しい知識の引き出しが増える事と思うのです。
安易に釣れる池は楽ですし、良く釣れた方が楽しいのは間違いないのですが、良く釣れる池だとしても釣れない日もあるわけで、その時どのように対応できるか。自己分析が出来るように日頃準備しておくことで、楽しいヘラブナ釣りライフを送ることが出来ると思うのです。
程々釣れている時は、休日に竿を出しているだけで楽しいというのに、釣れないと直ぐにクレームに変わってしまいます。当たりが出ない日はジャミ当たりも出ないとクレームをいい、ジャミ当たりが頻発するとジャミばかりだとクレームをいい、小型ばかり釣れるとそのサイズにクレームをいう。
人は勝手なものですが、ヘラブナ釣りをしているのですから、やっぱり釣れないより釣れた方が良いに決まっています。そのためには何をすべきか・・・毎回考え試しているのですが、実は竿の尺数の変更はとても有効ですから、どれだけ早く見切りをつけて違う尺数を取り出すか。とても面倒なことですが、今のところ一番の解決だと思っているのです。
勿論これは私個人の感想ですから・・・ハイ
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