両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り ヘラブナの生態

 あらためてヘラブナの生態を取り上げてみいたと思います。というのも何となくの思い込みがあるようにも感じるからです。


 ヘラブナはゲンゴロウブナの改良品種とされていますが、元のゲンゴロウブナは、琵琶湖水系の宇治川の遊水池である巨椋池です。遊水池とは川の氾濫を一時的に溜める池のことで、宇治川は元々洪水が多く発生していたのです。


 巨椋池は広大な池で実際は湖と称してもいい規模ですが、昭和8年から国を挙げて干拓事業が始まります。徐々にポンプによる掻い出して小倉地区が誕生します。順調に干拓が進んでいくのですが、昭和28年に宇治川の大氾濫が起きて、元の巨椋池が全て水没してしまいます。


 この洪水が収まるのは瀬田川と宇治川の境に天ヶ瀬ダムが構築されて、氾濫しなくなったのですが、そのころでもまだ巨椋池では淡水魚を対象とした漁業がされていたのです。それほど資源が豊富だったことが解ります。


 その巨椋池で捕獲されたゲンゴロウブナからヘラブナの改良されていきます。改良品種といいましても、元々は食用に養殖されていましたので、肉量の多い巾の広いゲンゴロウブナばかりを掛け合わせ、今のヘラブナの体系に固定されていきます。


 魚類の固定はそのように特徴の合うもの同士を掛け合わせて行くのですが、金魚も多数の品種がいますが、元は妃ブナからの改良品種です。ある程度固定されても先祖返りをしますので、ヘラブナの中には体高の低いものが生まれます。


 この体高の低いヘラブナをアイベラと称されるのですが、決してマブナとのハーフではないのです。マブナとヘラブナとは染色体の数が違うために、ハーフは生まれないのですが、鯉とは交雑しますので鯉ベラは存在します。ただ産卵時期がズレていますので鯉ベラは生まれにくいのですが、閉鎖領域では交雑の可能性が高くあります。


 プロローグが長くなりましたが・・・、ヘラブナの生態として特徴的なのは、思った以上に集団行動を取ることです。単独遊泳をしているように見えて、大きさの似通ったもの同士が集団で移動しています。中にはある場所で居着くものもいるのですが、基本的には集団で移動すると思って良いのですが、その集団も移動性の高い集団と、どちらかというと行動範囲が狭い集団に分かれます。


 面白い事に行動範囲の広い集団は、極端な言い方をすると池を一周するほどの広範囲に移動します。反対に行動範囲が狭い集団は、長くても5m程度の範囲を行ったり来たりしています。この場合の巾は案外狭く精々1m程度で、それ以上に広がることはありません。


 カッツケのような釣り方をしていると、この両方が集まって来ますが、上層に近いヘラブナほど行動範囲の広いタイプで、その下に狭い範囲を泳ぐヘラブナがいます。


 実はこごて難しいのが底に居るヘラブナです。私の感覚ですが底に居るヘラブナは決して表層まで上ずってこないのです。但し底から30㎝から1m程度には上ずります。


 そのため底釣りをしていて上ずって餌を食わない場合は、概ね30㎝程度上ずらせているためと考えています。水面近くに上ずらせても別の種類と割り切ることが出来ますので、底釣りは成立するのです。


 底釣りをしていると釣れてくるヘラブナの色は白っぽく、水面近くに居るへラフなほど黒いのです。多分に日焼けと表現されますが、保護色によるためと思われます。そのため水深が深い池ほど底で釣れてくるヘラブナは色白です。


 また食性については植物生食となっていますが、この点はとても疑わしいと感じています。基本的な食性は植物生食でしょうが、現実には魚肉を主成分としたペレットを食うのです。また集魚製が高いとされているサナギも動物性です。


 仮に動物性食が全くないのだとすると、ペレットは養殖には利用できないはずですし、サナギに寄ってくる事は無いはずです。


 実は自宅で飼っている金魚類は、ミジンコや赤虫を好んで食べます。ボウフラも簡単に食ってしまいます。水面近くの水草につくダニやアブラムシも良く食べます。それでいて水草も食べてしまうので、ヘラブナも雑食性が強いのではと思っています。
 そのため釣り池では生餌禁止となっているのではないでしょうか。知りませんが(笑)。


 話を少し戻して集団行動をするヘラブナですが、同程度のサイズで集団をしますので、釣り始めて小型が釣れるとその日は小型ばかりとなり、やや大型が釣れると良いサイズばかりが揃う傾向にありますので、狙っているサイズが釣れるまで、ポイント移動をするか尺数の変更をするのも方法ではあります。ただポイント移動は嫌がられますので、程々にってところでしょうか。


 最後に余談ですが・・・京都は元々海の底でした。それが川から流れる堆積物で川がせき止められ、巨大な池が出現します。それが山城湖と称される京都全域の池があったのです。
 大阪湾に流れ出す川がせき止められたことで、三方を囲う山がある京都盆地そのものが池となっていたのです。勿論太古の話ですから巨椋池とは関係がないとする説と、山城湖の名残が巨椋池だとする説に分かれています。今のところ京都府の公式見解は別のものとなっていますが、名残とする研究結果も存在しています。


 そういえば巨椋池には食虫の水生植物であるタヌキモがあったのですが、もう絶滅してしまったかも知れないですね。