雑談 地蔵盆からみる京都
このところ雑談続きですが、私の知識はまんじゅうの薄皮程度で、広く浅くがモットーです(笑)。大したことは書いてないのですが、今回は地元京都のお話です。
盆の時期が済み京都では8月24日前後に地蔵盆が開催されます。子供達の成長を願う行事ですが、私が子供の頃はお菓子が貰える事を楽しみにしていました。お菓子を配る時間になると、鐘を鳴らして町内を一周します。この鐘の音を聞きつけた子供達が、お地蔵さんが奉られている家に行き、お菓子を貰って帰るのですが、この鐘は祇園祭で使われているコンコンチキチンと慣らすあの鐘です。
確か最終日になるとお坊さんが来て、お経を称えながら直径2m程度の大きな数珠を、子供や大人が輪になった座り、皆で回して大きな球が来ると捧げて拝むを繰り返します。残念ながらその風習も旧町内で残る程度で、新興住宅ではお地蔵さんその物がなくて、地蔵盆が出来ないのですが、熱心な町ではお地蔵さんを借りて地蔵盆がおこなわれていました。
しかしあの和歌山のカレー事件があった翌年から、町内行事は一気に無くなり、食に関することは中止になっている町内も多くなっています。そういえば町内で旅行の行事もあった記憶がありますが、今は町内行事は影をひそめているのではないでしょうか。
地蔵盆が行われた詳しい事情は知りませんが、ある説では親より先に死んでしまったと子供が、三途の川にある賽の河原で石を積み上げる修行をします。その石が積み上がる頃を見計らって鬼が現れ、全てを壊していくのですが、また子供達は石を積み始めるのです。
それを見た地蔵菩薩が鬼から子供達を守ったとされ、お地蔵さんは子供達の守りが神となったのです。それで子供達の幸せを願って地蔵尊を奉り地蔵盆を毎年行うのです。
京都の西に西院という地域がありますが、西院と書いて「さいいん」と読みますが、元々の読み方は「さい」でした。つまり洛中の西の端に賽の河原があったのです。そう西院は賽の河原の賽のことです。
ただ京都府によって読み方を「さいいん」に統一されましたので、今はさいと読む方はいませんが、四条大宮から始まる嵐山電鉄通称嵐電(らんでん)の駅名には、西院に「さい」と読み仮名が振られています。
賽の河原はとってつけた話でしなくて、西大路四条の角にある高山寺というお寺がありますが、本尊が子安地蔵でいわゆるお地蔵さんですが、その寺の石碑に西院(さい)の河原と刻まれているのです。
京都の東の端には地獄に繋がる六道の辻があります。六道珍皇寺には入口となる井戸があり、そこから小野篁(おの の たかむら)が地獄へ出入りしていたとか。
そういえば西には閻魔堂がありますねぇ。千本ゑんま堂は閻魔法王が本尊として奉られています。
平安時代の京都では、庶民が亡くなっても野ざらしが一般的で、今も残る町名で轆轤町(ろくろちょう)というのがあります。元々の町名は髑髏町(どくろちょう)です。この地域に六道珍皇寺があります。
またもう少し南に行くと鳥辺野(とりのべ)という地域があり、清水寺の南側あたりですが、風葬されていたあたりに鳥が群がっていたので付けられた地名です。今でもそこにはお墓が多数建てられています。延年寺旧跡墓地 (鳥辺山墓地)といいます。
ついでといってはなにんですが化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)の化野や船岡山近辺に蓮台野があり、蓮台野に通じる道として千本通がありますが、卒塔婆を多数建ててあったことから千本通と名付けられたとされています。この千本通に面して先の閻魔堂があるのですが、この3カ所が京都の三大風葬地となります。
京都は歴史が長くありますので、それに伴う恐ろしい話も多数あり、特に鴨川の三条河原は処刑場として特に有名で、元々豊臣秀吉には子がなかったので、甥の秀次に関白を譲っていたのですが、淀君に子ができ後継者が出来た事で秀次が邪魔になり、一族郎党幼子に至るまで処刑してしまったのです。その数40余人とか・・・人のすることとは思えないですね。
しかし鴨川の河原は処刑場としては特に有名で、平将門は七条河原に晒し首にされたのが最初のようで、その後次々と処刑されては晒し首となって行きます。かの有名な石川五右衛門も一族郎党が三条河原で極刑にあっています。というか石川五右衛門は物語の人物と思っていたのですが、イエズス会の宣教師が残した記述が見つかっていますので、史実だったことになりますね。
その昔アンノン族が京都のお寺などを含む町を闊歩していた時期があります。どのような捉え方で記事に紹介されたか知りませんが、物見遊山で出かける地ではないと私は今でも思っています。
それこそ1000年経っていたとしても、野ざらしにされた風葬地に足を踏み入れることは慎むべき・・・。まぁ今では普通に住んでいる方がいますので、無理に話題にする必要はないのですが、OOの辻とかOO野とか付いていると、何かあった地ではないかと思ってしまいます。
どこの地にもある怖い話ではありますが、長い歴史のなかにある京都に一部分でしたが、茹だるような暑さの中で、少しは涼しい気分になったでしょうか。
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