両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 贅沢な釣り

 贅沢とは一体どんな意味でしょう。豪華絢爛?それとも無駄なこと?


 贅沢三昧の海鮮丼と表現するには、大盛りなイクラに溢れんばかりのマグロとか、丼から溢れるようなローストビーフ丼なども贅沢丼になるのでしょうか。


 多くの場合に使われている贅沢とは、食べきれないほどの量を表していて、物の価値を言い表してはいない事が多いと感じています。そのため豪華丼と定義するとマグロのトロだけの丼とかA5ランクの和牛ステーキ丼とかであり、何も量が多い必要はないはずです。


 では贅沢とは何でしょう。決して価値の高いものを言い表してはいないのです。不思議とマスコミでもなぜか贅沢は価値の高いものの表現に使われますので、何時しか贅沢を良い表現として使われるようになっています。


 現実的意味合いは、「そんな贅沢をしてもったいない!」との使い方をします。つまり無駄な使い方をしていたことを蔑む意味で使うのです。その意味でいう贅沢丼は食べきれないほどの量を盛って、なんと勿体ないことをしているのだと、多数盛っている行為を蔑む表現となるのが本来です。


 それをへらぶな釣りで例えるなら、浮を毎回使い捨てにしていたとすると、まさに贅沢な使い方をしてもったいない!となります。このように贅沢との表現は決して褒め言葉ではないのです。


 実際には浮きを使い捨てにする人はいないでしょうが、ヘラ餌を毎回大量に作っては使い切れず、最後に残った餌をそれも結構多い量を捨てるい方は、なんと贅沢な使い方をしているのだとなります。決して褒められた行為ではないですよね。


 では必要以上に釣り上げる行為は褒められたことでしょうか。


 各メーカーの釣り大会では、より多く釣り上げることを良しとしています。例えばシマノでは主催する大会では、SDGsの観点から釣れたヘラブナをタマに入れ状態で、次の餌打ちするのは禁止としていますが、この行為のどこにSDGsが関係しているかわかりません。
 それよりも釣り上げた枚数やキロ数を競うこと自体に、SDGsに違反しているのではないでしょうか。


 つまりこのような大会はSDGsの観点からは程遠く、とても無駄の多い大会となっているのです。無駄が多いのですから贅沢な大会となります。つまり蔑んだ大会と指摘出来てしまいます。


 企業姿勢としてSDGsに取り組んでいるとするならば、この大会方法が間違っていることに気がついてないのです。


 そこで提案として1つの方法は、腕の差を決めるのに長時間の大会で、多数釣り上げるのではなくて、より早く規定枚数を釣り上げた釣り人が優勝とする、釣り上げる時間競争とすればいいはずです。


 例えば最長4時間と決めて、30枚釣り上げるのに掛かる時間競争です。より早く30枚に到達出来る時間を競争するのです。すると無駄に多くのヘラブナを釣る必要はなく、環境にやさしい大会になるのではと思います。


 大会は別として日々の釣りで100枚も釣り上げる事は、本当に良いことなんだろうかと思ってしまうのです。そんなに釣ってどうするの・・・と思ってしまいます。まぁ個人の感覚ですけどね。


 といってもやはりより多く釣りたいのも人情としてはよくわかるのですが、私は過去にたった1度100枚越えを経験しました。両うどんの底釣りで100枚越えは滅多にありませんが、新規開店の池だったので、全てが新ベラだっためにとても良く釣れたのです。
 しかしあまりにも釣れすぎて面白くなく、その池にはもう2度と行くことはなかったのですが、勿論何時までも良く釣れるわけはないので行けば良いのですが、大釣りした記憶があるため足が遠のいています。


 贅沢と豪華は全く別ですが、ヘラブナ釣りほどある意味で贅沢な釣りはないのです。有名竿師の竹竿や竿受けに玉の柄、メーカーフラッグシップのカーボン竿、有名浮き師の浮き、ハリケースに浮きケースも高価な材料が使われているものも多々あります。他の釣りでは関東のタナゴ釣り程度と思いますが、高価で豪華絢爛な道具類が取りそろえられています。


 まさに大人の所有欲を満足させる工芸品が用意されている釣りがヘラブナ釣りです。食べもしない魚を釣るのも、幾ら再放流するとしても殺生に繋がる釣りは、贅沢の極みでもあるのです。


 まっ小市民の僻みでもありますので、ここだけの話ってことで・・・(笑)
 
 贅沢は敵だ!!