両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 人生を楽もう

 今回はチョット読みにくいですが・・・漢詩からスタートです。


 「于 武陵」が詠んだ漢詩『勧酒』(酒を飲む)


 勧 君 金 屈 卮  (君に この金色の大きな杯を勧める)
 満 酌 不 須 辞  (なみなみと注いだこの酒 遠慮はしないでくれ)
 花 発 多 風 雨  (花が咲くと 雨が降ったり風が吹いたりするものだ)
 人 生 足 別 離  (人生に別離はつきものだよ さよならだけが人生ならば)



 小説家「井伏鱒二」による訳
 コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ



 この漢詩に対して「寺山修司」は反論のように、詩で人生を次のように表現しています


 「幸福が遠すぎたら」
 さよならだけが人生ならば
 また来る春は何だろう
 はるかなはるかな地の果てに
 咲いている野の百合何だろう


 さよならだけが人生ならば
 めぐりあう日は何だろう
 やさしいやさしい夕焼と
 ふたりの愛は何だろう


 さよならだけが人生ならば
 建てたわが家は何だろう
 さみしいさみしい平原に
 ともす灯りは何だろう


 さよならだけが人生ならば
 人生なんていりません


 確かに人生はさよならだけのものなのでしょうか。勿論生きとし生けるものは、最後の最後確実に訪れるのが死ではありますが、人生は死へ向かっているだけのものだとすると、生物はどうして生まれたのでしょう。何のために子孫を残す必要があったのでしょうね。



 「開高健」は著書の中で・・・良く聞く釣りの名言ですが


 1時間、幸せになりたかったら、酒を飲みなさい。
 3日間、幸せになりたかったら、結婚しなさい。
 8日間、幸せになりたかったら、豚を殺して食べなさい。
 永遠に、幸せになりたかったら、釣りを覚えなさい



 釣りを覚えると永遠の幸せが出に入る事になっています。でも磯釣りなんて永遠には出来ません。船釣りもそうでしょうし、アユ釣りは急流に入れなくなってしまいます。
 唯一ヘラブナ釣りだけが、釣り堀という安全な設備で座って釣りが楽しめるのですから、足腰が弱ったとしても続けられます。つまりヘラブナ釣りだけが人生の終焉まで続けられる釣りですから、開高健のいうところの永遠に幸せになる釣りはヘラブナ釣りとなります。


 そういう意味でヘラブナ釣り師達は、ヘラブナ釣りに出会ったことを幸せに思うべきだろう。人生を終わるとき、我が人生は幸せだったといえるのではないでしょうか。


 でも末期の言葉としては、決してヘラブナ釣りが出来て良かったといってはダメです。家人に対して皆と一緒に過ごせて幸せだったと残しましょう。人生は大きな舞台です。最後の最後まで演じなければ、最後ほど名演技を・・だってその日の主役なんだから。


 終末を迎える準備は進んでいるでしょうか。どんなに大事に思っている釣り道具類も、残された者に取ればただのゴミです。終活のために不要な竿などから処分していますが、ついついまた別の竿が欲しくなって、困ったことに減っては増えてを繰り返しています。一向に終活の整理が進みませんが、1つずつ処分というか出先を考えても良いような気もします。


 お父さんがあんなに好きだった釣りだからと、棺の副葬品として釣り竿を入れるのはダメです。竹竿ならまだ良いかも知れませんがカーボンは禁止です。実際は浮き程度にしておくべきでしょう。基本写真もダメですが大助のプリント写真ていどならいいかも・・・知りませんが、三途の川でヘラブナ釣りをしても怒られないでしょう。


 なんか暗い話になってしまいましたが、ヘラブナ釣りを覚えた事は幸せだって事です。決してさよならだけの人生ではなく、とても有意義な人生が過ごせたことになるでしょう。
 子育てが終わり親としての役割を終えた後の、残された人生をただ流されるだけでなく、幸せな時間を過ごせる趣味として、ヘラブナ釣りほど良いものはないと思うのです。休みの日には竿を取り出して、綺麗に手入れをしても良いですし、浮きを洗うのも良いかもしれません。次の釣行の構想を練るのも案外楽しいものです。


 針を結んでいるとき、仕掛けを作っているとき、使う竿を用意しているとき、釣行先を考えているときには、もうヘラブナ釣りは始まっているのです。


 大いにヘラブナ釣りを楽しみましょう。釣れなくても・・・とはいいません。釣れた方が良いに決まっています。勿論訪問する池の雰囲気もとても重要です。野池専門の方はやはり閉鎖空間の釣り堀は好きになれないでしょう。私のように釣り堀専門だとしても、訪問する池の違いで雰囲気が随分と違っています。環境が良く気持ちよく釣り続けられる池はなかなか魅力的です。


 その魅力の感じ方の違いで釣り人それぞれの好きな池が決まり、ある池の常連となって行くのですが、常連となったとしてもいつまでも謙虚でありたいと思っています。感謝の気持ちを忘れずに、いつまても遊ばせて戴けるようにしなければなりませんね。


 さよならだけが人生ならば、とても悲しいことではないでしょうか。きっと大助があなたを待っています。


 ん?自宅では犬しか相手をしてくれなくて、外に出てもヘラブナしか相手をしてくれない?それはなかなかの人生・・・ですね。
 でも・・・自業自得って言葉もありますから・・・仕方ないので諦めましょう。